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「ブランシュに関しては君のような人道主義者が同情してくれるであろうことは計算済みだった。……憎んでも恨んでも構わない。でももう、諦めてくれ。ブログラムは実行されたんだ」
彼が溜息とともに零した言葉に、ミズキは絶望のあまりそのまま冷たい床に崩れ落ちた。マーディンはミズキに銃口を向けたまま、片手で端末操作を再開した。
カタカタ、とマーディンが迷いのないリズムでキーボートを叩く音を聞きながら、ミズキはそれでも何とか突破口を開くことはできないかと、懸命に意識を集中させて周囲を窺っていた。
――その時、耳障りな音がして見上げると、マーディンがキーボードを思いっきり叩きつけているところだった。
その瞬間、甲高いエラー音が狂ったように室内に響き渡る。彼は明らかに狼狽していた。何度も同じ操作を繰り返すが、嘲笑するかのようなエラー音は鳴りやむことがない。
「な……っ!! どうして、ここまで来て!!」
マーディンが苛々と悪態を吐く、そこに出来た僅かな隙をミズキは逃さなかった。素早い動作でマーディンの足元に滑り込み、その足を払って転倒させる。その拍子に彼の腕から滑り落ちた銃を、ミズキは奪い取った。
「所詮は科学者ね、実戦経験はないのでしょう? さあ、形勢は逆転したわよ」
弾んだ息を整えながら、ミズキはゆっくりとした動作で銃を構えなおした。マーディンは突然のことに一瞬、呆然としていたが、状況を理解するなり見たこともないような形相で睨みつけてきた。
『どうやらチェックメイト……のようだね、マーディン』
突然割り込んできた第三者の声に、マーディンもミズキも思わず周囲を見渡すが、人影もなく、気配すら感じられない。
『コトは慎重且つ大胆に行わないと……無様な醜態を曝すことになるよ。昔、そう一緒に学んだじゃないか』
「――まさか……………レヴィラ……」
その声音からその正体を悟ったらしいマーディンが思わず顔を上げると、エラー表示が赤い点滅を繰り返しながら物凄い勢いでスクロールしているモニターの中央に新しいウィンドウが開き、そこには一人の青年が感情の窺えない氷のような眼差しを向けてこちらを見つめていた。
マーディンの叫びに、モニターの向こうの彼――レヴィラは微かな含み笑いを漏らした。
『わたしの声をまだ、覚えていてくれたんだ……』
モニター越しに話しかける彼の声からは、言葉の内容ほどの感情は籠っていない。
長い銀の髪に、海の底のような深い蒼色の瞳。中性的な細面に、日の光さえ知らないような青白い肌。まるで精巧な彫刻のように造りものじみた美貌が、彼を必要以上に見る者を拒んでいるようにみせる。レヴィラ・エリード博士は火星の医療工学の権威でその名前を知らぬものは少ないほどの有名人だが、その本人に会ったことのある者は限られる。ミズキも顔を見たのは初めてだ。思ったよりも随分と若い。マーディンと同年代くらいに見える。
「何故、お前がここに居る! こんなことは上から聞いてない。まさか、先日の会戦時に例の子供に――ブランシュを使ったのか?!」
『ご名答。これはずっと以前からあの子に命じていたこと。お前が『計画』を実行する前に、わたしを月に潜り込ませるように』
先日の襲撃時、単機火星軍の中に特攻をかけたかのように見えたブランシュは、実はあの時レヴィラと接触していたのか。当時の異常なまでに強い妨害電波は、レヴィラがブランシュと接触するために仕組んだことだったのか。ならばミズキはまんまとレヴィラのいいように踊らされていたと言うのか。
「何しに月へ来たんだ。僕の援護ではないだろう? 誰の差し金だ!!」
興奮気味に声を荒げるマーディンをおもしろげに目の端に捉えつつ、レヴィラは意地悪く回答を躱した。
『そんなことより火星では大変なことになっているよ。君がここで茶番を演じている間に君の大事な大事なユイが――先日死んだよ』
淡々と語るレヴィラの前で、マーディンは蒼白になっていた。握りしめたこ拳が小刻みに震え出した。ミズキは『ユイ』という人物に心当たりはなかったが、それがマーディンにとって掛け替えのない、『唯一』のものであることは、もはや聞くまでもなく察することが出来た。
『前回は『右目』だったね、君のもとに返されたのは。その前は『左の小指』……彼女はもうこれ以上自分の体の一部を切り取られることに耐えられなくなったのだろうね』
あの時の――金星から届いた小包がそうだったのかもしれない。
マーディンの震えが一層強くなる。肩も小刻みに震え出す。もしかしたら、彼は泣いているのかもしれなかった。そう、彼は大切な人を人質に取られていたのかもしれない。そして彼の『唯一』は永遠に喪われてしまった。
「――僕はっ、一体何のために……こんなこと………!!」
マーディンは端末に向かって拳を叩きつけた。
「マーディン、火星に従う必要がなくなったというのなら、現状を何とかして!今なら、制御が効く――間に合うんじゃないの?」
ミズキの悲痛な叫びに、マーディンは力なく頭を振った。
「このウイルスプログラムは何重にも特別なプロテクトが掛かっている。僕では――解除できない……」
うわ言のような力ない返答に、ミズキの焦燥は加速した。
「レヴィラ博士!! 貴方なら――」
『――ミズキ・クライム中尉、だね? お噂はかねがね。そう…、わたしなら確かにこのプログラムの解除が可能かもしれない。もともとこのプログラムはブランシュの自爆用にわたしが構築したものだから。しかし、今のわたしは一人で作業出来ない状態にある。そして、あと数十分後には、今回のウイルスプログラムを起爆剤とする爆発が基地内のあちこちで始まるだろう。君は今いる地下から最上階のマザールームまで迅速に辿りつけるかな?』
彼の口調はどこまでも挑戦的だったが、ミズキにそれを拒む理由などどこにもなかった。
力なく崩れ落ちているマーディンが気にならなくはなかったが、もはや一刻の猶予もなかった。ミズキはとにかく最上階目指して駆けだした。




