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その嵐は、何の前触れもなく唐突に月基地を席巻した。
偵察用の人工衛星が、月の支配宙域に不審な機影を発見したとの報告が入るなり、それはすぐに基地内の戦闘要員に対する出撃準備命令に変わった。
ブランシュを伴ってオペレーションルームに飛び込んだミズキは、正面に設置された巨大モニターを見上げて息を飲んだ。
「戦況はどう? 分析結果は出てる?」
自分の席に着くなり、端末を操作し各部署からの報告を集める。程なく一斉に返答が返ってくる。個人用のモニターには大量の情報が表示され、物凄い早さでスクロールしていく。ミズキはそれを目で追って、捨取選択しながら自分の中で情報を記録し、整理した。
「間もなく常駐部隊が月大気圏外の支配宙域で、第一次戦闘態勢に入ります」
オペレーターからアナウンスが入ると、オペレーションルームの空気が緊張感で引き締まる。
火星軍のとの大規模な接触は、ブランシュが撃墜され、捕獲された一件以来である。ただ、今回は一番の脅威であった『白い悪魔』が自陣にいることで、どこか微妙な気の緩みを感じる
(ちょっと、不味いわよ。これが油断につながらなければいいけど)
しかし、ミズキの悪い予感は案の定的中し、正面の巨大モニターに映し出された宙域での戦闘は明らかに連邦側の劣勢を伝えていた。
「長官、待機部隊の出撃許可を下さい!」
長官室で陣頭指揮を執っているショウへ、ミズキは内から申請した。彼からの返答は間を置かず、すぐ返ってきた。
「――出撃を許可する」
「基地内に残っている戦闘要員を至急召集。直ちに出撃準備を指示して!」
ショウを返答を受けて、ミズキはオペレーターへ要請し、その旨のアナウンスが基地内に流れ、俄かに慌ただしくなった。その中で、ミズキは冷静に戦況を分析し始めていた。現地点ではどう考えても連邦の劣勢は覆せない。ブランシュ意外にも優秀なパイロットの多い、少数精鋭の火星軍のことだ。機械人間の部隊が中心なのだろう。数が少ないからと侮っては絶対痛いめを見るのは明らかだ。しかし――
(何これ?! いつもと動きが全然違う。指揮官が変わった? もしくは……)
火星軍にしてみればエースを失ったのだから、戦術の変更を余儀なくされたのかもしれないし、その線が妥当だろう。しかし、妙に違和感がある。
「――ミズキ、お願いがあるのですが……」
戦況の分析に没頭していたミズキを現実に引き戻したのは、今まですぐ側に居ながら気配すら感じさせないほど静かに控えていたブランシュの、意外な言葉だった。
「――はい?何かしら?」
これまで一度たりともこの少女がミズキに対して何かを願い出ることがなかったので、ミズキは一瞬我が耳を疑った。そもそも彼女は自らの意思を伝えることがなく、常に受け身の行動しか取らなかったのだ。
ブランシュはいつも通り無表情だったが、何かがいつもどこか違うように思えた。
「私にも、出撃許可を下さい。月ではペアでの出撃が原則だって聞きました。先日私のせいで怪我をしてしまったゼノンさんの代わりに、私を出撃させて下さい。必ず戦果を挙げて見せます」
あまりにも淡々と話すので、ミズキはブランシュの言葉の意味を理解するのに一瞬の時間が掛かった。
「――ちょっと待って」
ミズキは戸惑った。戦力として考えた際、ゼノンの代替としてブランシュ程適当な人物は他には存在しない。少女なら、ゼノン以上の戦果を期待できるかもしれない。実際、喉から手が出るほど欲しい戦力だ。しかし、少女を遣うことには問題が多すぎる。
「確かに貴女が出撃してくれるならとても助かるわ。けれど貴女の現在置かれている状況を考えたら、とても許可出来ない」
「でも、ミズキ。戦況は深刻です。司令官なら手元の駒は最大限有益に使うべきです。それに現在の私の指揮系統はミズキだけです。貴女に不利益をもたらす事は絶対にありません。もしご心配なら、遠隔自爆装置搭載の機体への搭乗も拒みません」
表情こそ、いつもと変わりないが少女の言葉からは、言葉以上の迫力を感じた。少女が問題ない人物なら、何のためらいもなかっただろう。
「中尉、常駐部隊の被害は70パーセントを超えました。待機部隊第一陣の出撃許可を!」
モニター上部に小さなウインドウが開き、情報通信局所属のオペレーターが現れる。彼女の表情は厳しく、その口調からもかなり逼迫した状況に陥っていることは、モニターを確認するまでもなく明白だ。
「許可します。続けて第二陣の出撃準備を急がせて! セルジスは――どうしてるの? もう出撃した? ペアは?」
「第二陣での出撃準備中で、今回は単機です」
すぐ側から、ブランシュの強い視線を感じて、ミズキは頭を抱えたくなった。そうこうしているうちに、画面の端にもう一つウインドウが割り込んできた。別のオペレーターが真っ青な顔をして追い打ちを掛けてきた。
「第一陣出撃完了しました。しかし依然戦況は劣勢。間もなく火星軍は月の支配宙域に到達します。第二陣の出撃を申請――」
「もう時間がありません。ミズキ、私はこの戦況を打開する自信があります。どうか許可を下さい」
ブランシュがさらに詰め寄る。一刻の猶予もないことは、今更少女に言われなくても分かっている。しかしブランシュを出撃させるにはメリット以上のリスクを伴う。しかし、追い詰められていく戦況に、もはや選択肢はなかった。
ミズキは内線を開いてショウを呼んだ。彼はそれにすぐ応じた。
「非常事態です。ブランシュの出撃許可を申請します。搭乗機はα-205。遠隔スイッチは長官に――」
「いや、君がもっていたまえ。彼女に関する一切の指揮系統は君に一任する。但し、彼女が不審な行動を取った場合、躊躇せずにスイッチを押すこと。これが出撃許可に際しての条件だ」
「了解しました。――ブランシュ、信じてるからね。私にスイッチなんか絶対押させないでよね」
根負けしたミズキの苦渋の決定に、少女は心なしか嬉しそうに、見えた。
「今回の任務はあくまで敵軍の殲滅ではなく撃退が目的よ。自軍の被害を最小限に抑えること。でも無理は絶対にしないで。絶対無傷で私に直接帰還報告をしに来なさい」
ミズキの言葉に、ブランシュは一瞬目を見開いたような気がした。
そして大きく頷くと、すぐさま踵を返してオペレーションルームから飛び出して行った。
これで良かったのか。
今更ながら、ミズキには未だに迷いがあった。ブランシュのことは勿論信じている。でも彼女のかつての上官、エリード博士が関与してきた場合、少女はどうするだろう。
(私は恐れているのかもしれない……)
ミズキの目はモニターに映る戦況を追っていたが、心はあの少女の下にあった。
(――心を開きかけてくれたように思えた、あの子を失うことを)
「第二陣、戦闘宙域に到達しました。間もなく戦闘態勢に入ります。また、火星軍が月側の支配宙域ぎりぎりのところに妨害電波を放った模様。従って、支配宙域を越えると機影の確認、及び通信が不能となります」
無意識にブランシュの機影を追っていたミズキのモニター画面が大きく乱れた。ミズキは咄嗟に通信回線を開いた。
「ブランシュ! 深追いは駄目よ!!」
しかし、電波が届かなかったようだ。さらに画面が乱れて、完全に砂嵐状態になった。
「シェイル、α-205の動きを読み取れないかしら。位置とか、いろいろ……」
データ処理担当のオペレーターを内線で呼ぶ。彼のところにはさらに高性能のレーダーがあり、多少の妨害電波なら掻い潜ることができる。
「現在、セルジス機と共に、火星軍の本陣と接触したと様子です。動きが早すぎるため追いきれません。詳細も……、あ、済みません。レーダー上から二機とも消失しました。これ以上は……」
どうやら本格的に見失ってしまったようだ。ミズキの焦燥感はますます強くなった。敵陣の奥深くにいる二人の状況が分からないことに、何も出来ない自分に、苛立ちすら感じてしまう。
「命令違反ではないのかね?」
声に気づいて見上げると、すぐ脇に月基地の幹部――ショウ曰くの『老害』エディが言うところの『古狸』の一人が、立っていた。当然ショウの政敵でブランシュを処分したがっている筆頭だ。
「彼女は不用意に敵軍に深入りしすぎた。このまま母星に帰ってしまうかもしれないねぇ」
言葉とは裏腹に、彼の口調からはどこか嬉しそうな響きが感じられる。この状況で、彼の立場の人間がするにはあまりにも不謹慎であるが、面倒くさいのであえて指摘はしないでおいた。
しかし、彼の言うとおりブランシュがこのまま火星に逃亡するような事態になれば、ショウを中心とする一派の失脚は免れない。この戦況を見て、わざわざそんなことを言いに来たのか。しかもショウやエディに直接言う度胸もないから、ミズキのところに来たに違いない。ミズキは嫌悪感を隠しきれなかった。脂ぎった図体が憎らしく、衝動に任せて蹴り飛ばしてやりたい気持ちを懸命に堪えた。
「御言葉ですが、私は彼女に自軍の援護を命じたのであって、後方支援を命じたのではありません。それにセルジスも一緒です。これは彼女たちなりに最良と判断した結果だと信じます」
「本当に信じられるのかね? あの『白い悪魔』を」
「彼女は純粋だけです。どこにいても」
ミズキは努めて冷静に返答した。少女の行為はミズキから見ても十分に疑惑の対象となり得るものだ。現に自爆スイッチのロックは外してある。けれど、彼女が信じなくて誰が少女を信じ、守ってあげられるだろう。それに実戦経験もない者にあれこれ言われたくない。
「中尉、妨害電波が晴れます。間もなくレーダーが回復します」
オペレーターからの報告を受けて、ミズキは部外者を無視して指揮に戻る。見上げたモニターには先ほどと全く異なる戦況が映し出され、ミズキは思わず目を瞠った。
「――どういうこと……?」
敵の勢力は綺麗な程に一掃されていた。あの僅かな間に一体何があったのだというのか。全く想像もつかない。
「火星軍、撤退していきます。中尉、どうなさいますか?」
再び戦況を確認すると、レーダーから火星軍の機影が次々と消えていく。
「長官、撤収許可を」
追撃の必要はない。そう判断したミズキはショウに上申した。
「許可する。全軍を撤収」
ショウの言葉で、今回の会戦は一応の幕引きとなった。




