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「例の一件については何とか内々に済ますことができたよ……。全く、わたしの、しかも非常に面倒な仕事ばかりを増やしてくれて。当然、特別休暇は頂けるんだろうね」
約束の時間きっかりに長官室に顔を出したエディは、持参した資料の束をショウの机の上において、勝手に側の椅子に腰かけた。
エディの政治力の賜物か、ゼノン・セルジス・ブランシュのシュミレーター決闘事件は表沙汰にされることなく、内々に処理され、関係者の胸の内に収められることになった。緘口令を布く際に、エディがどんな恐ろしい裏技を使ったのかは、怖くて想像したくない、とショウは身震いした。
対象者の処分は謹慎1週間と、拍子抜けするほどに軽いものだった。
あまりにも長い謹慎だと、それを不審に思われ、どこからかことの顛末が明るみに出る恐れもあり、またいつ火星からの襲撃があるか分からない臨戦態勢の状況下で、重要な戦力である二人を共に欠くことを避けたかったという意図もある。ただ、ゼノンについては怪我のためしばらくは使い物にならないが。
「毎度のことながらお前の手腕はお見事だな。今回も――貸しということで。休暇については……………、もうちょっと待ってもらえると……非常に助かるんだけど」
ショウは両手を合わせて懇願した。今エディに休暇など取られてしまってはこちらが過労死してしまう。
「分かってるって、冗談だよ。このタイミングで休暇など取るか。ただ、貸しが溜まっていることは忘れるなよ」
「――了解。落ち着いたら地球にでもバカンスに行ってくるといい」
「それはありがたい。期待しないで待つことにするよ」
エディは持参してきた資料を手早く仕分け、ショウに差し出した。雑談を終了させたいらしい。ショウは資料を受け取りながら、すぐに目を通し始める。この二人の切り替えの早さは凡人の比ではない。
「それで、前のアレはどうなった?」
「思いの外、順調だよ」
「それはまた…、流石というか……」
「わたしに掛かれば、あれくらい、ね」
「まったくその通りだ。失礼した」
渡された資料に目を通しながら、エディとこれまでの進捗を確認する。そしてショウが資料から顔を上げる。どうやら読み終えたらしい。相変わらずの速読である。
「しかし、火星では大変なことになっていたみたいだな。連邦も大きな失策を犯していたということか」
「当時の内政は非常に危険なものであったようだね」
二人は一様に厳しい顔つきをして黙り込んだ。それぞれに何やら思案しているようだった。
「ところで、火星軍のデータベースへの侵入の件はどうなってる?」
「侵入経路は確立し、成功した。ただ、目的のデータが見つからない。長時間の潜伏は危険だから、手早く脱出しないといけないんだけど。そう何度も出入りを繰り返す訳にもいかないし。……色々と厄介でね、骨が折れる。まあでも、メインのセキュリティが脆弱だとやりがいもないしね」
言葉の割には何でもないような口ぶりだ。
どうやらいいところまでは進展しているが、まだ確証を得るに至らないため報告するのを控えているらしい。相変わらずの慎重派ぶりだ。
「そうか、近く言い報告が聞けそうだな」
「プレッシャーかけるなよ。努力はするが。……ところでショウ、気になることがあるんだけど」
「どうしたのか?」
いつになく冴えない表情のエディに、ショウは眉宇を顰めた。エディは弱ったところや困ったところを他人に悟られるのを極力隠そうとする性分であるため、このように相談を持ちかけることは珍しい。逆に言えば彼の想定している事態が相当深刻であることを如実に物語っているといえる。
「最近、メインシステムの反応がおかしい。微妙にだが、誰かが痕跡を残さずに内部の極秘エリアに侵入している可能性を否定できない。こちらで調査したいのだが、生憎そこまで手配出来そうにない。現在情報局のシステム担当で、厳密に調査の出来るスタッフに空きがないんだ。かといって彼らの仕事を前後する余裕もないし、この件も後回しできない。今は部下にそれとなく注意させているが、それだけではどうにも心もとない。悪いけどそちらの管轄で専門職がいるなら応援を頼みたいんだけど」
「それは構わない――そうだな、何人か心当たりがいるからすぐ派遣しよう。それにしても、よくもここまで次から問題が湧いてくるものだ。もう結構食傷気味なんだけど。そろそろ落ち着いてゆっくりとお茶でも飲みたい気分だ」
しみじみと語るショウに、エディは心から同調して大きく頷いた。
「しかしまだ一波乱あるだろうね。お互いのんびりできるのはまだ先のことだろうね」
分かってはいるが、あんまりな現実にショウはすっかり項垂れてしまっていた。言われるまでもないことだが、改めて言われると堪えるらしい。
「何が来ることやら……、お前のことだから何か掴んでるんだろう?」
自分よりも一歩も二歩も先の情報を掴んでおきながらなかなか情報を渡さない親友を、ショウは恨めしそうに睨む。しかし、情報局長という立場だけでなく独自の情報網を持つ彼のもとには桁違いの情報が集まる。その情報には清濁様々なものが含まれる。情報を整理し、有益確実な情報のみを適宜利用するエディの立場上、いたしかたないことは理解しているのだが、逸る気持ちは押さえられなかった。
「そう急くなよ。不確実な情報で混乱させるわけにはいかないだろう。実際わたし自身もどこまでが本当に使える情報なのか、その見極めに情けないことだが難航している。今回は難敵相手だから、慎重に吟味しないと。ただ――」
エディは言いかけて、一旦言葉を切った。
ここで言っていいのか、言いかけて今更躊躇しているようだ。
だが、ショウは言い淀むことを許さなかった。視線で続きを促す。
「――現在、ある人物をマークしている。俄かに信じ難い相手からの情報なのでどこまで信用すべきか、慎重に勘案する必要があるのだが、仮にこれが事実なら打てる手は早急に打って不意打ちを阻止しないと取り返しのつかないことになる。今のところ主だった動きは見られないが、注視すると不審な点が見え隠れする。まさかとは思うが、念のために……」
「ある人物とは?」
エディの表情が今まで以上に厳しいものとなる。周囲に注意深く視線を走らせて、それでも不安なのか、ショウの傍まで寄ってきて、『ある人物』の名をその耳元で囁いた。ショウの顔が強張った。
「まさか! ……いや、そうだな。考えられないことはない。残念だが」
「わたしだって信じたくはない。それにもし、これが真実ならミズキが深く傷つくだろうね。あの子にとっても、辛い事実だ」
ミズキのことを単なる部下以上に大事にしている二人は、彼女の嘆く姿を見たくないと思う。彼女はあの若さでかなりの修羅場を経験している。出会ったころの彼女は酷く荒れていた。他人を拒絶し、それでも近寄って来る者には攻撃的な態度を取る。しかし根は優しい子であったから次第に周囲の好意を受け入れ、その期待に応えて、彼女なりにも相当の努力を重ねて現在の場所まで辿り着いた。かつて見せたような陰のある表情は最近見られなくなってきたのだが。
「もしかしたら以前のように人を信じることが出来なくなってしまうかも……」
ショウとエディは出会った当時のミズキのことを思い出す。
憎悪と絶望の入り混ざった昏い眼差しを。
「多分だけど、ミズキは大丈夫だ。あの子はもう、理不尽な運命を嘆くばかりだった子供じゃない。あの頃よりもずっと強くなった。お前、あの子の『兄』だろう、もっと信じてやれよ」
エディはそう言って励ますようにショウの肩を叩いた。
あの時――彼女の亡くした兄の代わりになろうと決めた時、どんな時でも彼女の強さを信じてあげようと思ったことを思い出し、ショウは顔を上げて、頷いた。
これから起こりうる何かが、すぐ背後まで迫ってきている気配を二人は敏感に感じ取っていた。その不明瞭な姿を捉えようと動いてはいるものの、どうにも後手に回っている気がして、どうにも歯痒い。
「とにかく、言うまでもないけど確実なウラが取れるまでオフレコで頼むよ。勿論ミズキにもだ。これが杞憂に終わってくれることを願いたいよ。――ミズキの、それにわたしたちの為にも」
掠れた声で漏らしたエディの、切ない想いに溢れた一言に、ショウは同じ想いで頷いた。
そう、彼も願わずにはいられなかった。




