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スコルピオ(蠍座)
黄道十二宮では、八番目に当たる天蝎宮宮である。
星座は、天の川に浮かぶように並ぶS字型で、英雄オリオンを倒したサソリに見立てられている。いちばん目立つ星は、「火星に対抗するもの」を意味するギリシア語である『アンタレス』。大きさが太陽の七二〇倍もある赤色巨星で、夜空では火星と並ぶ赤くて大きな星であることから、その名が付けられた。アラビア語では、「サソリの心臓」を意味する『カルブ・ル・アクラブ』と呼ばれている。
占星術においては、十月二四日から十一月二二日生まれの人が蠍座になり、その性格は「忍耐」だとされている。
*
詩織の手を引いて学校に戻ると、グラウンドでは陽北祭のフィナーレを飾るラストステージが始まっていた。
校舎の影は、西陽を受けて長くなっていたが、お祭り騒ぎは最高潮を迎えていた。
賑わう校門の前で、詩織はふと足を止めた。
そして、北校舎の上にある銀色の観測ドームを見上げると、一度目を伏せて、それからゆっくりと足を踏み出した。
僕たちは北校舎に入り、来場者に紛れて四階の地学準備室に向かった。
ブレザーを着てチェックのプリーツスカートを履き、三年生であることを示す空色と赤色のレジメンタルタイを誇らしげに締めた女子生徒とすれ違う。
彼女は、僕と手をつないだ私服姿の詩織に一瞬だけ目を留めたが、すぐに興味をなくしたように歩きすぎていった。
北校舎の四階に人影はなかった。
吹奏楽部はラストステージで演奏するためにグラウンドに待機しているだろうし、他にこの階より上階を使っているクラブも展示もない。
本来なら、五階の部室で天文研究部の展示とプラネタリウム投影が行われるはずだったが、二学期の開始早々に活動自粛になったため、陽北祭のプログラムにもその名前は掲載されていなかった。
喧騒を遠くに聞きながら、引き戸を開けて地学準備室に入る。
窓辺には、綾乃がこちらを向いて立っていた。
強い西陽を全身に受けて、背筋を伸ばし胸を張ったその姿は、天球の頂に君臨する北極星のように見えた。
僕の背中に隠れるようにして部屋に入った詩織が、うつむいたまま歩を進めて綾乃の前に立つ。
その手が、ぎゅっと握られるのが見えた。
そして、詩織は顔を上げて、綾乃と向かい合った。
窓から差し込む西陽が逆光になっていて、綾乃の表情は読み取りにくかった。
外のお祭り騒ぎが嘘のように、そこには静謐な空気と時間があった。
言葉を発することもなく見つめ合った二人の、犯しがたい雰囲気に気圧されて、僕も沈黙と静止を守らざるを得なかった。
誰かが、指先を動かしただけでも崩壊してしまいそうなほど危ういトライアングルが、僕たちを縛り付けているように感じた。
――ああ、夏の大三角だ。
僕は、そんなひどく場違いな感想を抱いていた。
天の川を挟んで向かい合う、三つの星。
こと座のベガ、わし座のアルタイル、そしてはくちょう座のデネブ。
いつもなら、そのかたちを即座に思い浮かべることができるのに、このときは、どの星が天の川のどちらにあったのかすら、思い出せなかった。
長い時間が過ぎたようにも思えたし、一瞬の出来事だったようにも思えた。
窓から差し込む西陽が強くなって、窓ガラスに閃光が走った。それは、まるで夜空を横切る流星のようで……。
そのとき。
『智之ちゃん』
『智之くん』
二人の声が、たしかに僕に届いた。
そして、僕は自然に口を開いていた。
「……おかえり、詩織」
まるで、その言葉を待っていたかのように、綾乃が足を踏み出した。
詩織との距離が詰って、綾乃の腕が詩織を抱きしめる。
目を閉じて微笑みを浮かべた綾乃がつぶやく。
「ばか」
心配をかけた親に叱られた子供のように、綾乃の腕のなかで詩織が返事をした。
「ごめんなさい」
暗室のカウンターの上には、完成したばかりのプラネタリウム投影機と、補助投影用の小型プロジェクターが設置されていた。
「完成したの、これ」
詩織が、そう言って目を見張る。
「ああ、ついさっきだけど。だから、投影しようと思ったんだ」
「ここで?」
「部室は使えないんだ。今、天文研究部は活動自粛中だから」
「私のせいね」
詩織が目を伏せる。
僕は、わざと大げさに首を振って見せた。
「僕がもっとしっかりしていれば、先生たちを説得できたはずなんだ。だから、詩織のせいじゃないよ」
そうだよ、と綾乃が相槌を打つ。
「ねえ、詩織ちゃん。出来なかったことを後悔するのは、やめようよ。あたしたちは、プラネタリウムを完成させたよ。そして、こうやって投影もできるじゃない。そっちの方が、大事なことだよ」
綾乃の言葉が、暗くなりかけていた僕たちの間の空気を、爽やかに吹き払ってくれた。
僕は、解説シナリオの原稿用紙を、詩織に差し出した。
「これを朗読してほしいんだ」
「私が?」
驚いたように見開かれた詩織の琥珀色の瞳が、僕と綾乃の間を往復する。
僕がうなずき、綾乃もうなずいた。
「うん。……ありがとう」
そう言うと、詩織はひとつ深呼吸をした。




