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あの日、星空の下で -Star Observation Society-  作者: TOM-F
Sign08 レオ・シューティングスター
22/36

α Leo


 夏休みに入ると、太平洋高気圧がその猛威をいかんなく発揮して、連日のように四十度ちかい最高気温を記録した。


 八月最初の水曜日も、いまいましいほどに晴れ渡った空の下に、熱気と油蝉の声とが混じりあった大気が充満していた。

 朝食をすませ、恒星球と教科書と問題集を入れたトートバッグを持って家を出ると、二軒先にある白木の洋館の扉が開いて、制服姿の綾乃が姿を見せた。


「おはよう、智之ちゃん」

「ああ、暑いね」


 短い挨拶を交わして、どちらからともなく手をつなぐ。

 柔らかくてしっとりとした綾乃の掌は、僕が触れるすべてのもののなかで、いちばんのやすらぎをくれる存在だった。


 ゆらゆらと陽炎を上げるアスファルトを踏んで、綾乃と僕は朝陽市立西図書館に向かった。

 綾乃とは、お互いの部屋に気兼ねなく出入りしている仲だったから、わざわざ図書館で会う必要はなかった。実際、いつでも綾乃の部屋に行けば、数学の難問をわかりやすく説明してくれたり、英語の複雑な構文を辞書も引かずに訳してくれたりした。

 それでも綾乃は、「約束だからね」と言って、こうして一日おきに西図書館に僕を連れて通っていた。


 図書館の前は親水公園になっていて、四角い石柱が乱立する浅い池の中では、子どもたちが水しぶきをあげて駆け回っていた。そういえば、綾乃と僕も、よくここで遊んだ。もう、十年くらい前のことだ。

 白い鉄筋コンクリートの建物と、青い断熱ガラスで覆われた温室のような建物が、L字型に組み合わされた西図書館は、あのころの僕には近寄りがたい大人の世界に見えたものだ。

 ここにはじめて入ったときも、たしか綾乃に手を引かれていたことを思い出す。


 自動ドアをくぐると、よく効いた空調の冷気に包まれ、うっすらとにじんだ汗もすぐに引いた。

 三階まで吹き抜けのスロープを登り、二階にある学習室のドアを開ける。

 室内はほぼ満席だったが、その片隅の四人掛けの席に座っている観月を、すぐに見つけることができた。あちこちの学校の制服が入り混じった学習室にあっても、朝陽北高の夏制服は圧倒的な存在感で人目を引いた。


 僕たちが前に立つと、観月は数学の問題集から目を上げて、琥珀色の瞳を細めた。

 繋いでいた綾乃の手を離して、「やあ」と挨拶をする。


「もう、智之ちゃん。おはよう、でしょ」


 綾乃に言われて、僕は「おはよう」とつぶやく。

 観月が、くすりと笑う。


「おはよう。綾乃さん……星河くん」


 席につくとすぐに、僕は恒星球を取り出して観月に渡した。

 穿孔作業は八割ほど終わっていて、透明なアクリルの半球二つの表面には、主要な星座が描き出されている。とはいえ、完成までには、まだ多くの課題と作業が残っていた。


 第一の課題は、太陽や月や惑星の投影をどうするかということだった。

 恒星とちがって複雑な動きをする惑星の投影は、とてもではないが素人の手におえるものではない。

 一時は諦めかけたが、一夜分だけの投影であれば、惑星も月も恒星と同じ動きでいいことに気づいた観月が妙案を出した。

 百円ショップに売っている懐中電灯を加工して、月と金星と火星と木星を映し出す補助投影機を作り、プラネタリウム投影機本体に括りつける方法だ。


 残るは、恒星球や補助投影機を安定して回転させるための架台をどう工作するかだった。


 苦手な積分の問題を二つ解いたところで腕時計を確認すると、午前十時前だった。

 綾乃と観月に、紹介したい人がいるからと言い置いて、僕は玄関ロビーに出た。


 その人は、待ち合わせの時刻ぴったりに現われた。

 袖が紙風船のように膨らんだ黒いワンピースを着て、黒いマッシュルームのような日傘を差していた。

 炎天下を歩いてきたのだろうに、汗ひとつかいた様子もなく、涼やかな黒い瞳を真っ直ぐに僕に向けた。


「幼馴染の綾乃と、こっちは同級生の観月。で、こっちは、軽津ありす」


 僕が紹介をすると、綾乃と観月は二人そろって、幽霊でも見たかのように表情を凍りつかせた。

 二人に見つめられたありすは、きゅうっとハムスターのように鳴いて、僕の背中に隠れた。


「智之ちゃん、いちおう確認するけど、紹介したいっていうのは、その子なの?」


 綾乃は、なぜか怒っていた。

 観月も、非難するような眼差しを僕に向けている。

 僕は、それから数分をかけて、二ヶ月まえの出来事から順番に説明をすることになった。


 その間に、ありすは背負っていたリュックから、リンゴのマークがついた銀色の薄いノートパソコンを取り出した。


 ありすの細くて白い指先が、ノートパソコンのタッチパッドに触れる。

 画面の下部に並んでいるアイコンのひとつが明滅し、ブラックアウトした画面に、突然星空が現われた。

 画面を左右に分断するように天の川が流れ、はくちょう座とわし座とこと座が見える。よく見ると、はくちょう座のアルビレオは赤と青の二つの星が表示されていた。

 タッチパッドを離れたありすの指が、黒いキーボードを素早く叩く。

 星空に浮かんだテキストボックスに、文字が連ねられていく。

 右手の小指が「return」と刻印されたキーをぽんと叩くと、僕の携帯が震えて一通のメールが届いた。


『これは、ぼくが作った「コスモス・シミュレーター」というCGソフトです。緯度、経度、年月日を入れれば、その場所でその時に地上から見上げた星空を再現します』


 変わった子だとは思っていたが、まさか中学生が天文シミュレーションソフトを作ってしまうとは。僕は、心底驚いた。


「すごいな、ありす……」


 思わず出た僕の声に、なぜか観月が驚いたような表情で僕を見た。


「これを、自分で作ったの?」


 言いかけた言葉を引っ込めることもできずに、僕はそう問いかけた。 カタカタとキーボードを打つ音がして、携帯がぶるぶると震えた。


『そうです。この「コスモス・シミュレーター」を改造して、モーター駆動制御ソフトを作りました。入力された情報をもとに、コントロールボード経由で、赤緯軸と赤経軸の二個のモーターを統括制御します。直流モーターの定格回転数と駆動系の最終減速比は変数として設定可能ですが、物理的誤差の補正が必要なので、必ず各軸に回転数を検出するセンサーを付けてフィードバックしてください』


 ノートパソコンの画面には、複雑な形をした架台の設計図が表示されていた。

 僕には理解できないような記号や数式が、ずらりと並んでいる。

 ありすが、人形のような顔を僕に向ける。笑っているつもりなのか、口角がすこしだけ上がって見えた。


「なあ、ありす」

『はい』

「僕に、そんなに高価そうなパーツは買えないし、そんなに高度な工作もできないんだけど……」


 困惑した僕の顔を映した、ありすの黒い瞳が潤む。僕は、あわてて言い足した。


「あ、でも、すごく嬉しいよ。ありがとう、ありす」


 ありすの黒いストレートヘアが、上下に揺れる。

 ふとその隣を見ると、観月が僕を見つめていた。その潤んだような琥珀色の瞳に、かすかな翳りがさしているように見えた。

 僕と目が合うと、観月はあわてたように視線を手許の教科書に落とした。

 同時に左手のシャープペンシルが動いて、ノートに積分の方程式が綴られていった。

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