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あの日、星空の下で -Star Observation Society-  作者: TOM-F
Sign05 タウラス・ソーラーエクリプス
13/36

α Tau


「ああっ、もう。やっぱり、こんなの無理だよ」


 そう言った綾乃の左手から、シャープペンシルがノートの上に落ちる。そのノートには、幼児が書き散らしたかのように歪んだ文字が綴られていた。

 オレンジ色のポロシャツを着た店員が、コーヒーのお代わりをカップに注ぐ。

 香ばしいコーヒーの香りと、ドーナツの甘い匂いが空いた小腹をくうっと鳴らせた。


「詩織ちゃん、左右の手で同じように字を書いたり絵を描いたりしてるけど、あれって実はすごいことだよ」


 綾乃は、そう言いきると、もうやめたと言ってノートを閉じた。


「なあ、綾乃。なんでそんなことしてるんだ」

「わからない?」


 数珠を膨らませたようなドーナツにかじりついた綾乃は、ペーパーナプキンで口元を拭うと、ホットコーヒーに口をつけた。


「ライバルのことは、ちゃんと知っておきたいからね」


 綾乃の言うライバルとは、観月の他には考えられなかった。

 けれど、どういうジャンルにおいて二人がライバルになるのかは、考えつかなかった。

 僕は、チョコレートがかかったドーナツを一口かじる。しゃくっという歯ごたえがして、素朴な甘みとチョコレートの香りが口にひろがった。


 DREAMS COME TRUEの『未来予想図』が低く流れる店内に、いらっしゃいませ、と少しずれた店員の声が重なり、観月が自動ドアから入ってくるのが見えた。

 白いワンピースにピンクのカーディガンを羽織った観月は、ドーナツの並んだカウンターの前で店内を見回し、僕たち見つけると小さく手を振った。

 カスタードと生クリームが挟まったクルーラーとホットカフェオレの載ったトレイをテーブルに置いた観月は、緑色の木製のスノコのような椅子に座ると、ほっとひとつ息をついた。かすかに、コロンのような甘酸っぱい匂いがした。


 待ちかねたように、綾乃は鞄から写真雑誌を取り出してページを開く。

 読者の投稿写真コンテストというページに、一枚の白黒写真が載っていて、最優秀賞という文字の下に春日綾乃という名前があった。

 駅の階段を呆然と見上げる老女の横を、子供をつれた母親と、制服を着た女子生徒が歩きすぎる一瞬を捉えた写真だった。

 寸評に並ぶ言葉は、撮影技術と被写体の選択眼の高さを賞賛するものばかりだった。


「すごいな。綾乃って、こんな写真を撮ってたんだ」


 僕の言葉に、観月も相槌を打つ。


「ありがとう智之ちゃん、詩織ちゃん。これでフェーズワン、クリアだよ。この雑誌の賞、欲しかったんだ」


 綾乃は、そう言って雑誌を閉じる。

 フェーズワンというからには次があるはずだと思ったら、綾乃はドーナッツの残りをほおばりながら、次は有名な複写機メーカーが主催する個展を狙っているんだ、と言った。


「まずは、フリーのフォトジャーナリストになるのが目標だからね。遅くとも三十歳までには、ピューリッツァ賞くらい取らないと」


 じつに綾乃らしいセリフだった。


「詩織ちゃんは、どうしてイラストを始めたの?」


 クルーラーをちいさくちぎって口に入れた観月は、こくんとそれを飲み込んだ。

 琥珀色の瞳が、潤んだように僕と綾乃の間をさまよう。


「子供のころから、お絵描きばかりしていたの」


 ふうん、と綾乃がうなずく。


「好きこそなんとやらって、やつだね」


 ううん、と観月が首を振る。


「紙と鉛筆だけでいいし、他に遊びを知らなかったから」

「すごい才能だと思うよ。将来、なにか目指してるの?」

「私は、春日さんみたいには、なれないから」


 そう答えながら、観月は帆布のトートバッグからクリアファイルに入ったルーズリーフを取り出した。

 薄い水色のルーズリーフ用紙には、小さくて丁寧な文字で時刻やら数字やらがずらりと書き込んであり、表題の部分には「金環日食観測会」と記されていた。


 昨日、部活にこられなかった綾乃のために、月曜日の早朝から予定している金環日食観測会の打ち合わせをするというのが、今日の待ち合わせの本来の目的だった。

 観月が、ルーズリーフの時刻を順番に指差す。


「明後日の金環日食は、日食が始まるのが午前六時一七分、金環食が七時二九分から一分間、日食の終わりが八時五四分よ。朝陽北高のある場所は限界線ぎりぎりだから、金環食になるかどうかはわからないの」


 僕は、ひとつうなずいて、観月の言葉を引き取った。


「とはいっても、ほぼ金環食になるんだ。金環食が朝陽市で見られるのは、前回は二八二年前の江戸時代で、次は八三年後だからね。僕たちはラッキーだよ」


 綾乃の大きな目が、輝きを増す。


「うん。ニュースとかで聞いていたけど、いろんな意味ですごいイベントなんだね。すごく楽しみだよ」



 登校時刻や観測方法の打ち合わせを済ませて店を出ると、すでにあたりは暗くなっていた。

 週末の駅前には、様々な人が雑踏をなしている。

 コンビニの自動ドアが開閉するたびに、流行歌が聞こえてきたり途切れたりした。


「僕と綾乃は家に帰るけど、観月はこれから……」


 どうするんだ、と聞こうとしたとき、雑踏の中からその声がした。


「あれ、五藤(ごとう)じゃん」


 声の主は、派手なプリントのシャツを着て、だぶついたズボンをだらしなく穿き崩した、僕とあまり年の違わない男だった。襟足の髪を伸ばし、短い髪を逆立てたその男は、薄い眉毛の下で細めた目を僕たちに向けていた。

 こんなヤンキーもどきに知り合いはいないし、呼ばれた名前にも聞き覚えがなかったから、僕たちは当然のように無視していた。

 男はそれが気に入らないかのように、苛立った声を上げた。


「ちょっといい高校に行ったからって、すかしてんじゃねえよ……」


 そして、観月の前に立つと、ねめつけるような視線を彼女に向けた。


「なあ、五藤詩織」

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