人魚王子の清算
「どれくらいで戻る」
銀髪の男、カイ。リーダー格だかなんだか知らないが、僕が今からやろうとしていることは決してお前のためではないからな。
「三日。御用のものは恐らく別の人魚が持ってくるよ」
「あ、あの、イーヴァルくん」
ホヅミは僕の正体を知った時から、接し方が目に見えて変化した。腫れ物扱いだ。惚れた女にそんな対応されても嬉しくないんだけどな。
「ホヅミ、笑ってよ」
「え?」
「冥土の土産、いや景気付けに!」
取引相手のオネガイから無理矢理浮かべたその顔は、とうてい笑顔とはいえないものだった。口元だけ笑って、それに目元の薄い痣とかが痛々しさを強調する、
「うん、ありがとう」
「い、いいえ……?」
「ね、ホヅミ、もし、無事に元の世界に帰れた時はさ、僕のために笑ってよ」
「え? う、うん」
「あれ? 信じてない? 僕、きっとホヅミを守るよ。絶対……じゃあ」
水の跳ねる音がして、辺りが静寂に包まれる。
「行っちゃったわね。私達は宿屋で待っていましょう。山に向かう手はずも整えないと」
「そうだな。行くぞ、ホヅミ」
「……はい」
従順なホヅミが返事に少し間を空けた。イーヴァルの存在は彼女の中でどれほどになっているのだろう、とサラは思う。
「仲間の心臓って、簡単に手に入るものなのでしょうか」
ホヅミはぽつりと漏らす。
「大丈夫だって言ってたし、いいのではないかしら。」
「でもサラさん、彼、人魚の中でも平民だって。任せろとは言っていたけれど。実家、海のお医者様か何かなんでしょうか」
――貴方、一族での身分はどうなっているの?――
――ああまあ、そこそこかな――
――そこそこの身分で心臓なんて手に入るものなの――
――入るよ、誰もが認める犯罪者がいる。そいつの心臓なら文句も出ない――
はぐらかした。そして同胞の心臓をたやすく手に入れられると言い切った。サラの推理ではイーヴァルは貴族以上の身分。そして手に入れる方法は。
「やめましょう。彼が語らない以上、私が語る訳にはいかない」
「サラさん?」
「気にしないで、いつもの独り言よ」
今日も喚いている。深海の王位争い。父が鶴の一声で止めればこんなもの、すぐに終わるだろうに。それをしない父が嫌いで仕方なかった。弟とマジで争いまでする姉も。でも本当は、薄々感づいていた。
「父に会わせてくれ」
担当医師に頼む。有無を言わせぬ態度だったのに、それでも医師はしどろもどろで会わせようとしない。重病だからとか、うつるといけないからとか。やがて一緒になって僕の部下達も帰ろうと連呼する。
だが、もう見て見ぬふりはしない。
振り切って強引に通ると、父の部屋に向かうごとに水が濁っていくのが分かった。部屋には案の定。
「どうして父が死んでいるんだ。いや、もはやそれよりも、どうして僕達に教えなかった」
争いを好まなかった父がこの度の争いに関わろうとしない、それどころか姿すら見せない。何かあるとは思っていた。ただ、確かめるのが怖くて、逃げていた。
「聞いたぞ!イーヴァル様がご乱心だと……!?」
駆けつけてきた姉の部下達の顔が青ざめる。間違いなくグルだったんだな。後からついてきた姉上も驚きを隠せないでいる。父が死んでいたことに。
「イ、イーヴァル。これは」
「姉上、見ての通りです。僕達は謀られたのです」
「ああ、父上っ!このようなお姿になるまで私は……申し訳ありません……!」
姉上が泣き崩れるのをバツの悪い顔で見る部下達。自覚はあるようだな。なら
「王の息子、いや、父の息子として、僕はこいつらを……」
「イーヴァル?」
姉上がやつれた顔で何をするのか、と言いたげに見ている。小さい頃からお優しい人だった。部下さえまともなら、きっと女王としてやっていけるだろう。そう、部下さえ。
「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!!!!」
王の部屋に配置されている長剣で手近にいた部下の一人を切りつける。上層部がグルになっていたこの事件。首謀者の数はそんな多くない事が今の僕には救いだった。
「なっ……!?」
姉上のかすれた声が遠くで聞こえた。
王位継承権を持つ者として、小さな頃から武芸は嗜んでいた。僕にはそこそこの才があったらしい。だから重い地上の人間を運びながら船より速く泳ぐことも出来た。習っていた頃は望んだ事でもないのに、と不満たらたらだったが、今にして感謝の念を隠せず、血で汚れた海の中、クスリと笑う。
「イーヴァル、あなた、反逆者を殲滅するために……?」
姉の頭は悪くない。にもかかわらず、部下達にいいようにされたのは、情が厚すぎるからに他ならない。演技でも涙目で訴える彼らを無下にする事が出来なかったのだろう。
「そうです。実行するとしたら、この瞬間しかありませんでした」
「ええ、理解できます。悪事が露見して動揺するでしょうし。でも……!」
姉が頭を振った。ただただ悲しくて仕方ない、とでも言う様に。
「人魚の数は多くありません。だからこそ、同属殺しの罪は重い。しかもあなたは多人数を。これではあなたが王位に就くことは」
「それは姉上が就いて下さい。僕には他にしなくてはいけないことがあるから」
「わたくしに女王となって、あなたに例外を通せという事?」
さすがの姉上も意図を察することは出来ない。苦笑して僕は語る。
「女王となって僕を処刑して、この心臓をある少女のもとへ届けてほしいのです」
三日目の夜、穂積達は海辺に立ってイーヴァルが来るのを待ち続けていた。
「一、二日くらいは誤差の範囲内よ。深海と地上じゃそもそも時間の単位も違うかもしれないのだから。……深海に時計ってあるのかしら。水時計? いいえそもそも深海に住むとなると日の差し込まない場所なのだから」
慣れたもので、サラが一人研究している側で穂積とカイは無言で海を見つめていた。
「来なかったら、どう落とし前つける?」
「……」
「カイ様、来ないと決めるにはまだ早いですわ。ぶっそうなことも、おっしゃらないで、ね」
サラが必死で暗くならないようにしているけれど、だが明るく振る舞うなんて無理だと穂積は思っていた。カイは怖いし、イーヴァルには心臓くださいなんて無茶振りして。
カイ様は落とし前と言った。もしイーヴァルくんが現れなかったら、私が海に沈もう。元の世界にも帰れない、帰るための材料集めもできないじゃあ。それにここで死んだからって、元の世界に帰れないってことはないはず。伝説の悪女は死んで私の世界へ転生したというし。私、実は死ねば元の世界へ帰れるんじゃない? ……でも待って。そんなことしても魔法が使えるカイ様に引き止められるんじゃ。あれ? なら伝説の時は止められなかったのかな? でも今より魔法が盛んだったみたいな感じなのに。じゃあ魔法って何? カイ様は召還以外に何か使えるのだろうか。
考えを巡らせていたが、横のカイがイラついているらしいのを見て、考えるのをやめる。
……今そんなこと考えたって意味はない。イーヴァルくんが来てくれたら、すぐ山へ向かうのだから。そしたらそこで分かる事もあるだろう。イーヴァルくん……。
思いが通じたのか、水面が俄かに波打つ。
「っ! お出ましかしら」
初めに水色の長い髪をした美しい女性が目に入る。次に、波の下に見える魚の下半身。そして、手に大事そうに持った箱。
イーヴァルくんに似ている?と穂積は思ったが、何となく怖い顔をした人魚の女性を前に押し黙る。
「頼まれ物を、お届けに。あなた方にこれを頼んだ人魚の名を聞いてもいいでしょうか」
「イーヴァル、と名乗っていた」
「……確かに。では、これを」
カイは人魚から箱を受け取ろうとしたが、人魚はカイに目もくれず、サラと穂積を見比べたあと、穂積に身体の向きを変える。
「貴女が、ホヅミ様?」
「は、はい。イーヴァルくんから聞いたんですか?」
「ええ……。どうぞ。貴女に渡すよう言われましたので」
カイ様を差し置いて私が受け取るなんて、と複雑な気持ちになったが、とにかく箱を受け取る。
「……」
「受け取りました、ありがとう。私、きっと世界を救います」
「……そうですね、そうしてください」
「はい。あの、イーヴァルくんは? 大変な事を頼んでしまって、直接お礼も言えないなんて」
「彼は……彼なら……」
言いよどむ人魚の心中を察して、サラが助け舟を出す。
「最初に来れないと言っていたんだもの。お礼はこれから行動で示すのが一番よ、そうでしょう?」
「そう、ですか?」
「……」
人魚はかすかに俯いた。返事をしたように見えなくもない。
「世話になったな、人魚の使者よ。私達はもう行く。ホヅミ、サラ女史、来い」
浜辺から遠ざかっていく三人の後姿を、人魚は涙を流しながら見ていた。夜明けまでその場に残った後、音も立てずに波間に潜り、深海へと帰っていった。
触媒も手に入り、この旅の終着点――――山に行くだけとなり、穂積の心は軽くなっていった。
もうすぐ終わる。死ぬかもしれないけど、死んだら伝説の悪女がそうだったように、私はきっと元の世界に帰れる、殴られなくて済む。今はただ、早く全てを終わらせたい。
最後の宿泊となった宿屋で、その日サラは穂積をお風呂に誘った。
「二人だけで話をするとしたら、お風呂くらいしかないものね」
サラは穂積とは対照的に、浮かない顔をしていた。まるで何か心配事があるかのように。
「私に何か?」
「ええ。……ねえ、ホヅミ。貴女は、私と話した事をカイに伝えてしまう?私が話さないでって言っても」
そんな当たり前の事を聞いてどうするんだろうと穂積は思った。
「カイ様が話せと仰るならそうします。それが?」
「そう。いいわ、分かった」
サラは思い出していた。船から穂積が投げ出された時の、あのカイの狼狽ぶり。
『離せ!!ホヅミが!!!俺のビアラが!!!!』
「カイール・カナ・イゴルド」
「?」
「彼の本名よ。伝説の暴君と化した兄王を諌めた弟の末裔。知ってた?」
「伝説の中で、弟は子々孫々悪女を呼び戻すため頑張ってるみたいな事があったから、薄々……」
「ユージェルの王家とは別に権力を持つ、特権階級的な一族。失われた魔法を使う伝説を体現する存在。伝説を正しく伝えるある種の宗教家としての一面もある」
「カイ様の略歴……ですか」
「ええ。……けれど今の私には」
――全てが嘘くさくて仕方ないわ――
サラはその言葉を飲み込み、黙って風呂に首まで沈み込んだ。