疑惑の初恋
「天国?」
目が覚めて初めて言った言葉。怒鳴り声でも拳で起きるのでもないのは久しぶりだった。そして目が覚めたら今まで必ずカイ様がいたのに、今目の前にいるのは、水色の髪に蒼い目をした裸の男の人。
頼むから天国であってください、と穂積は泣きそうになる。現状に頭がついていかなくて、あれ遭難者じゃないのか? 誰か! と叫ぶ声も聞こえていなかった。
「案外人魚が助けてくれたのかもしれないねえ」
穂積と水色の髪の男とは村の避難所へと連れられ、そこの村の女性が、火を見ながら語ってくれた。
「この村にはそんな話があるんだよ。海で溺れたと思ったら、得体の知れない何かに助けられていたって。さあ、出来たよ」
女性が温かい飲み物を二人に差し出す。穂積と水色の男は毛布の中からおずおずと手を伸ばす。
「遠慮しないでお飲み、困った時はお互い様なんだから。さて……アタシも行くかね、悪いねえ、今は漁の時期なんで、村総出で忙しいんだよ」
女性が出て行った後、二人きりで重い沈黙が襲う。口を開いたのは、穂積が先だった。
「貴方が、助けてくれたの? えっと……」
「え、あ、うん、僕が」
水色の髪の男は、やけにわたわたしながら答える。
「? ありがとう。それで、名前教えてもらってもいいかな?」
「あ、あの、イーヴァル! 君は?」
「イーヴァルくんね、私、鈴木穂積。ホヅミが名前よ」
「ホヅミ……うん、よろしく」
まるで大切なもののように甘く名前を囁かれて、穂積は急にくすぐったくなる。
「ええっと……ねえ、ここがどこか知らない? さっきの人に聞けばよかったのかもしれないけど、忙しそうで憚られて」
「ここ? スウォンでしょう? 水の神殿が近い村」
「え!? ここが?」
船は結構な距離を進んでいたと思ったが、村人の話を聞くに一晩で戻ってきてしまったらしい。逆算すると船よりも速い速度で。困惑しながら、目の前の男を見る。
「えっと、僕、なんかおかしなこと言った? スウォンであってると思ったけど。でも僕も、人間の村なんてスウォンくらいしか知らないし」
「え?」
「な、なんでもないよ!」
あからさまに怪しい。頭はそんなに良くない穂積ですら感づくものがある。
「ね、あの嵐の中、イーヴァルくんはどうやって私を助けてくれたの?」
「ホヅミが落ちてきて、泳いで地表まで。びっくりしたよ、あの日は地上に行く予定はなかったけど、たまには予定外の事もしてみるもんだね」
「……」
「え? え?」
大きなお世話かもしれないけど、人魚の未来が心配になる。
「私、ビアラの生まれ変わりで、山に入るための触媒を探しているの。ウンディーネ様に聞いたら、人魚に尋ねろと。何か知らない?」
今にも消えてしまいそうなほど儚い少女を助けた。浜辺に上げたらすぐ戻るつもりだったけど、少女が気になって仕方なかった。痣だらけの身体。地上には僕よりも可哀相な子がいるらしい。人魚のヒレが水分を失い人間の足になるまで残っていたのは、僕がいなくなったら今度こそ死ぬんじゃないかと思ったから。
ううん、やっぱり違う。最初見たときに、もう好きになっていたんだ。守りたいと思ったんだ。
そんな彼女の目的は、あの時海に出ていた理由は。
「なんで、僕に聞くの?」
「イーヴァルくん、人魚でしょう? この世界のことはよく覚えていないけど、見た感じあの嵐の中泳げる人間なんてそうはいないみたいだし」
「……うん。そうだよ。人魚。地方によっては男の人魚はマーマンともいうね。それで、ホヅミがビアラって?」
「違う世界にいたけれど、カイ様のお力で帰ってこれたの……。カイ様が呼べるんだから、私はビアラ」
基本、人魚は陸の世界には関わらない。水分が抜ければ自動で人間の足になるから行こうと思えば行けないこともないけど。水をかければ街中で人魚に戻ってしまう。侵略するには無謀で、侵略されるには深海に行くだけの技術は人間にはない。交易するだけの困ってるものもない。軽く断交状態だった。
だけど、時々人間は人魚を狩ろうとする。それが断絶状態に拍車をかけた。
ユージェルの人魚は、海に遺棄した死体が、空から落ちた隕石に付着していた物質と化学反応を起こして生まれた。しかし、いつもはこんなロマンチックなものばかりではない。大抵は恐ろしい流行り病なんかが生まれる。海中にいても例外ではない。ただ人魚が生まれた時だけは、奇跡だったのだろう。
死体が生き返った。隕石の力か単に魚と融合したのかは分からない。とにかくそんな訳で人魚の身体には魔法も通さぬ不思議な力が宿った。
水中に生きるものとして、人魚族はウンディーネが唯一神だ。その近辺くらいなら精霊の力で流行り病などから守ってくれる。そういえば大昔は世界を放浪していたと聞くが、今はスウォンの村近くの神殿に定住している。
ホヅミは言った。ウンディーネに言われて。そうか、ホヅミは水の力が強いのか。あの嵐の中ただただ水に沈むように落ちてきたのは、引き上げても水を飲んだ様子もないのは、そういう事だったのか。僕がこうして惹かれるのも。
「イーヴァルくん……?」
「ホヅミ!」
ホヅミの仲間らしきニンゲンが避難所に駆け込んでくる。逃げ場はもうない。