オルド
「敵襲だ――――――!!!」
朝早くに屋敷で響き渡る声。オルドは慌てて部屋から飛び出し、ロンと鉢合わせする。ロンは全て承知です、と目で訴え、オルドに逃げるよう促す。
「それにしても何故今になって」
「裏切り者です。オルド様。リホを覚えていますか。あいつが今代の救世主でした」
「!!」
救世主、オルドにとってそれは。
「母上の……」
「どうされましたか?」
「何でもない。行こう」
抜け道を使って逃れようとするロンとオルド。その抜け道は屋敷の地下に通じ、少し離れた裏手の森へ続いている。オルドが七歳の頃にこのような生活を始めてからは、行く先々でこのような抜け道を作るか、最初から存在する場所を拠点としている。臆病なのだ。
そしてこれから逃げたあとは、地元の有力者……王権がリッピと自分、どっちに転んでも得をするようにと保険をかけるような軽薄な人間を頼って……。
「これからも……」
「オルド様?」
逃げてどうなるのだろう、とオルドは思った。王城を出てから十七年、生まれを考えれば惨めな生活を強いられている。自分は何の価値があるのだろう。本当は分かっていた。もう世間は自分を王位継承者とは見なしていないだろう。それなのに僅かな可能性にすがって、長年の逃亡生活ですっかり容貌も衰えた今も生きながらえている。
見苦しいのではないか。
黙りこくる主人に、まめなロンは逃げるようにと促す。半ば事務的にロンの手を取ろうとするオルド。だが
「……あ……う……?」
「……オルド様!?」
廊下の向こうから誰かがオルドに矢を射た。矢は命中し、オルドの身体を突き破っている。ロンにはかすかに残る魔法の痕跡を見た。
「王族……リッピか!」
矢を射た人物――リッピは外した、とぼやいてロンを見る。当のロンは目まぐるしく考えを巡らせていた。何故王族がここに、そもそもこれはいつもの世間体を気にした地方領主の差し金ではなく、王族自らの討伐だったのか、それならそれを命じたのはまさか
「リホ……あの、女!!」
「ああ、君だったんだ。リホを監禁していたのは。全くお陰で予定が狂っちゃったよ。あいつより先にリホを落とすつもりだったのになあ。……でも長年のしがらみはこれで無くなるから結果的には良かったのかな。ねえソイツ、まだ死んでないの?」
その声に兄であるオルドを射殺そうとした、という自覚は微塵もみられない。むしろオルドが生きている事に不快感を露にする。貫通した矢の手当ては……これは闇の魔力だ。射た本人の協力は得られないのか?
「くそっ!何故このようなことを!お前の兄だろう!」
「はぁ?冗談じゃないよ。同じ父の血を受けてもそいつは犯罪者の息子じゃないか。王位継承権を争う?馬鹿らしい。君も世間もその男もその母親も!ボクにそんな兄がいてたまるか。英雄の息子のなりそこないめ。王家の恥さらしはここで……」
言葉を最後まで聞くことなく、ロンは手から炎を噴射する。殺すつもりでやった。だが、逃げる直前の様子を見る限り、相手は相応の対策済みだったらしい。とにかく一時の目くらましになればいい。怯んだ隙にオルドを抱えて抜け道を使って逃げる。
「……くっ。逃げられたか。左腕のほうを仕留めたかったが、まあいいだろう。ザカリアも少しは苦労しろ。……ん?」
すぐ脇の部屋に違和感のある物が目に入る。近づいてみると、確かに王家のシンボルマークが刻まれた物。兄が王城を出る時に盗んでいったという、魔力封じの手枷。
「……噂じゃあ左腕に使っているって聞いてたけど、この騒ぎで慌てて置いていったのかな。でも、これはいい物を取り戻したなあ」
自分より重いオルドを背負って、森を走る。とにかく近くの町まで行く。医者の家は把握している、脅してオルドの治療をさせよう。これからの事はそれが終わったら……。
「……揺するな、痛い。下ろせ……」
ロンはハッとして背負っていたオルドを下ろす。貫通している部分は、血こそあまり出ていないが、その顔はまるで死人のようなオルド。魔法が関係している事は生まれつき魔力の高いロンには分かっていたが、あえて口にしない。
「オルド様、もう少しです。まず医者に見せましょう。上手い具合に急所を逸れていますから、痕も残る事は……」
「魔法に急所が関係あるか」
魔力のないはずのオルドが魔術を使った攻撃だった事を言い当てる。ロンはそれでもオルドをなだめて医者に連れて行こうとした。
「オルド様、使われたのは闇です。乗り越えればリッピに呪詛返しとして……」
「アイツはそれくらい対策しているだろう……。もういい、ロン。世にこれ以上仕える必要はない。何処へなりと行け」
口の端から血を流しながら、それでも王族らしく威厳のある声で命令するオルド。ロンはそれを聞こうとしない。
「恐れながらオルド様。俺にとって、貴方は親も同然です。親が死にそうな状況で見捨てていけるものでしょうか」
「……世の母は見捨てたぞ。こうなる事が分かって、城の展望台から身を投げた……。父にいたっては、新しい妻を迎えて……母を追い詰めた……。諸悪の根源の先代救世主は……有識者は口を揃えて言うな、憎いから母を置いていったのだと」
苦しい息の中、遠い目をしながら語るオルド。
「救世主にも見捨てられていた……生まれる前から呪われていた……。こんな、命など……」
「俺が、俺がいます。俺は貴方を見捨てはしません。俺をここまで育ててくれたのは、貴方の人徳です。魔力が発覚した日も、貴方様は喜んで下さって……」
途端にくくっと笑い、血にむせるオルド。
「それ以外、どうしろと……。世がお前を育てた?……ああ、お前を見ればいつだって安心した……世界には、自分より下がいるものだと……」
驚愕に開かれた目を見て楽しそうにまた笑うオルド。彼はもう、生死に頓着しない。
「下のお前が……魔力とかふざけるな……誰もお前なんか見てない……底辺は底辺らしくしてればいい……世も……」
まだ何か言いたいことがあったようだが、オルドはそこで事切れた。静かな森の中、鳥の声だけが辺りに響く。
「……底辺の意地をお見せしましょう」
やがて目の据わったロンがそれだけを言い、死体を打ち捨てて歩き出す。その方角は、フジ。




