女学者サラ
この異世界、ユージェルでは空にはガラスが埋まってるらしい。
怪物になった古代の王がそのガラスを壊してしまった。
だから災厄……隕石落ち放題とか宇宙の病原菌落ち放題? ……が世界に溢れてしまった。
あの穴はパンドラの箱みたいなものだろうか。
古代の王兼怪物は世界で一番高い山になった。
でも穴を塞ぐにはまだ足りない。
だから、王を誑かし、全ての原因になった悪女の生まれ変わりである私が、あの山へ死にに行く。
自分の魂のルーツを聞いた翌日から、穂積とカイの二人旅が始まった。歳も近い二人だが、傍目にはご主人様と小間使い、もしくは奴隷の忍び旅にしか見えないだろう。小奇麗な男と痣だらけでぼろぼろの女。宿に泊まる時だって、従業員は穂積を見ても気にかけることはない。
奴隷になるとは思わなかった。でも絵本で読んだのだと、連れて行くにもトイレにいけない状態ですし詰めにされて……ってあったから、きっと私はまだマシなんだろう。それに同じ奴隷でも、きっと他の人よりラッキーだ、大勢が傅く身分で、見目は良い人がご主人様なのだもの。そうだ、まだ幸せなんだ……。あとは頑張ってこの人の言うことを聞かなくちゃ。
「長年お前が戻ってこなかったお陰で、山に入るのにも触媒が必要になった。海辺の村へ行くぞ」
穂積は痣の痛々しい顔をカイに向けてはい、と頷いて黙ってついていく。
今回は、殴られなかった。よかった。
「あらお嬢さん、可哀相にこんなに汚れてしまって。その痣はどこかでぶつけたの?うちには怪我や痣にいいお風呂があるのよ、是非くつろいでいって下さい」
「コイツには気を遣わなくて結構。私達には私達の事情があるので」
「そうです。あの、お構いなく」
旅の途中、宿屋で従業員と思われる美しく色香漂う女性が、珍しく穂積に気を遣うがカイに阻まれた上、当の穂積に拒否される。
「大丈夫ですから……。私みたいな人間。」
「嘘くさい伝説を信じる必要はないわよ、お嬢さん」
女性が近くにいるカイにも聞こえないような小さな声で耳打ちする。
穂積は身体を震わせた。空に穴とか人間が怪物になるとか、穂積の今までの常識から信じられないような話ばっかりだったが、それに疑いを持った発言をすれば容赦なく殴られた。カイからも黒子の男達からも。そうして今の従順な穂積がいるのだ。
「嘘だなんて……。」
「しっ。カイが見てるわ。……夜に会える?」
目が覚めたら温かい布団にいて、お母さんが起こしに来てくれて、湯気のわく食事がすぐ食べられて。ユージェルに来てからそんな夢を何度見ただろう。幸せな夢。そう、あれこそが夢で、辛いものこそが現実。そう、信じるしかないと思ってた。
嘘くさい伝説。私は希望を持ってもいいのだろうか。
「来たわね」
「伝説について、貴方の見解を、その」
夜、宿屋の裏庭。昼間に彼女を見た時は若女将かと思ったが、接待用の服を脱いでからは雰囲気や話し方から教師や研究者っぽいと穂積は感じた。
「まずは自己紹介からにしましょう、私の名はサラ。貴方と会えてよかったわ」
「あ、ホヅミ、です。あの、私を会ってもいい事なんて……」
「あるのよ。私はここで働いているけれど、本業は学者。例の伝説について調べているの。貴方は伝説の体現者じゃない」
要点を絞ってハキハキ話す彼女は理知的で美しかった。何より自分に好意的。この世界に来てから初めてサラのような人に穂積は出会った。
「でも伝説と言われても……。私が、罪人の生まれ変わりだとしか私には」
聞いたことをそのまま伝える穂積にサラは声を殺して笑う。
「生まれ変わりだから何? 別人でしょう。貴方に伝説の責任をとらなくちゃいけないいわれは無いわ。そもそもあの伝説、八割方嘘っぱちなんじゃないかしら。私はそう考えて貴方に会いに来たのよ」
穂積に激震が走った。
「嘘? なら、何で私はこんな目にあわなくちゃいけないの? どうして私は呼ばれたの? 帰りたい、お母さんのところへ……」
サラは少し考えた後、地面に次々染みを付けて泣く穂積をそっと抱きしめた。
「もう少しだけ、頑張れるかしら? 私を旅に同行させてほしいの」
カイは散々渋ったが、サラが「男と女の二人旅なんて下世話な勘繰りされる」 「伝説についてはその道の研究の第一人者である」 「幼いホヅミには世話役が必要」と説き伏せ、同行に至った。
道々、風呂や食事の世話などで二人きりになる度に、彼女の見解を伝説の生き証人といえる穂積と話し合う。特に風呂では邪魔が入らないからとついつい長話をしてしまう。
「あの伝説にはどうにも穴が多いの。特に化け物になった元賢王。今の王家とは別物だけど資料は残っているわ。そこから調べると、どうも存在自体が怪しいのよね。王統を辿っても出てこない。ただ家系図には、とある王には腹違いの兄がいて、相当の素質があったが横死したという記録を見るに、この人物ではないかと言われているのだけれど」
風呂で見たサラは、三十手前だと苦笑していたが、穂積の世界ならグラビアアイドルも勤められそうなプロポーションだった。容貌も美しいというのに頭もいい。だがしかし一番重要なのは、穂積を労わってくれるその優しさであろう。
誰も私を気にかけないのに。女神様がいるなら、確かにこんな容姿だろうと穂積は思う。
「でも今は伝説の真偽より、目の前の触媒探しかしら。それにしてもホヅミの側は気持ちいいわね。滝に打たれているみたい」
穂積はきょとんとする。
「ごめんなさい、貴方の世界にひょっとしたら魔法の概念はないのかしら。ほら、自分の周りの水が波打ってるでしょう?貴方は水の精霊の加護を受けているのよ」
『この魔女が!』
最初の罵倒を思い出したのと超常現象を自覚したこと、魔女が本当だったこと。その日穂積は卒倒した。