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眠れない異世界  作者: リック
同情が武器の灰かぶり
21/43

ポーキス山のスフィンクス

「あれが、空の穴……」


 道中、ロッテの身体を支えながら山に登る。中腹くらいでその不気味な姿が確認できた。ロッテに許可をとって翁に変わってもらい、一人崖の端まで行って眺める。


「集中豪雨でもあるのかな……と思ったけど、下に異変はないのよね。あ、真下は本当に山だ。フジね、うん」


 フジの山の真上にぽっかり空いた黒い穴。空に穴が空くとか、本当にここは異世界なんだと実感する。同時にそんな元の世界と原子レベルで物質が違うのに、普通に生活出来て普通に会話できるのって可笑しくないかと翁に言うと、召還された時点で適合されている。そして母が元々こちらの出身であるというのが大きいようだ。この辺りは深く考えても無駄だろう。行き来が簡単でない以上、答えが出るとは思えない。


 黒い穴の周りにはガラスにボールをぶつけたようなヒビが見える。空の向こうは宇宙なの? それとも別の世界なの? 昔、自分の知っている場所以外に行くのを、泣いて嫌がった子供時代を思い出す。


「あまり長々と見るのはお勧めしません。夜に見ると気が狂う、なんて伝えられている村もあるのですよ」


 そう言って、ミトが優しく千穂の肩を抱く。千穂ははにかんだ笑みを浮かべ、その手を取った。何処から見ても初々しい恋人な二人。



「きゃっ!」 「ぬっ……!」


 と、ロッテが翁を巻き込み盛大に転ぶ。ハッとした千穂は慌ててロッテの元へ駆け寄る。


「大丈夫?ロッテ」

「ごめんなさい、チホ様。もう慣れたと思っていたのに」

「無理しないで。私を頼って。ロッテは私の命の恩人なんだから」

「チホ様……」


 チホ様とミトがくっついた。あたしは敬愛する主人の幸せを喜べなかった。それどころかチホ様の愛するミトに嫉妬している。ミトが憎い。どうして、私だって救われたのに。腕だってあげたのに。男だからという理由だけで。ミトを見れば、微笑ましいといわんばかりに穏やかな表情を浮かべている。


この前まで嫉妬していたくせに。勝者の余裕って訳か畜生――。


「ロッテ、私が隣を歩くからね! 長旅でちょっとは鍛えられたからいつでも倒れていいのよ」

「そんなこと絶対しません。チホ様のお手を煩わせることなんて絶対」


 負け犬となっても。それでも。チホの側にいたい。あの日悪ガキを懲らしめた時から、貴女はあたしの心に住んでしまった。絶対に追い出すことのできない、神聖な場所に。




「それにしてもポーキス山って綺麗ねえ。道は整備されているし、見晴らしもいいし……あっ穴がさっきより近い……」


 山歩きの間、千穂が他愛ないおしゃべりをしていたが、空の穴が視界に入って思わず黙ってしまう。


「ここは山頂付近ですからね。空に一番近い」

「わしも、あの穴をここまで近くで見たのは久しぶりじゃよ」


 翁の言う事に千穂が首をかしげる。


「あれ? 翁さん、若い頃は色々研究してたって……」

「主に精霊と伝説関連のな。まあ、普通は学者や研究者とくれば空の穴を真っ先に研究すると思うじゃろうな。まあ、若い時分には色々あって難しかったのじゃよ」

「……そういえば、穴からは時々怪物が降ってくるって……」


 すっかり忘れていた脅威を思い出す。最終目的地のフジなんか真下ではないか。


「なあに、怪物の(たぐい)はそうそう来たりせん。それより恐ろしいのは隕石による疫病じゃな。だがそれも精霊の力が増してある程度防ぐことが出来るようになった。だから今やフジ山麓では普通に人も住んでいる。そういえばあの辺りが最も鍛冶が盛んでの……話が逸れるな。とにかく怪物は先代救世主がいらした少し前くらいから出てきていない。だから、今怪物が飛来するなんてことは確率的にも……」

「ん? あれ、何?」



 ロッテの視線の先に黒い穴から降り立つ小さな影。それが真っ直ぐこちらに向かってくる。 何で私の代で来ちゃうんですかと千穂は毒づく。



「あらあらあら? 不思議なこともあったものねえ」


 人間の女性の頭にライオンの胴体、そして背中には羽。あっけにとられる他三人と違い、元の世界のモンスター列伝なるもので同じの見たと千穂は思う。


「(スフィンクス……?)」

「本当に可笑しいわねえ、随分懐かしい香り。遙か昔に私がいた世界の香り……もしかしなくてもそこから来たの? 黒い少女の方」


 黒い少女。ミトは短い銀髪の緑目。ロッテは暗すぎない茶髪に茶色の目。翁は髪も髭も真っ白。自分を指しているのは明白だ。



「おそらくそうでしょうね。だったら?」


 名指しされたので少し前へ出る。後ろでミトが隠し持っていた武器を鳴らす音がかすかに聞こえる。


「久しぶりに懐かしい味を堪能したいわ。あなたを食べてもいい?」

「黙れ! 卑しい畜生風情が!」


 ミトが飛び道具を投げてスフィンクスを撃退しようとする。怪物の顔の部分はニコリと笑うと背中の羽で放った道具を全て吹き飛ばす。



「まあ怖い。……でもそうねえ。恐怖に駆られた獲物の味って美味しくないのよねえ。柔らかい肉は好きじゃないわ。そうねえ、こうしましょう。今から私が問題を出すわ。それに答えられなかったら大人しく食べられて? 大丈夫よ、痛みを感じる暇もないくらい上品に食べてあげるから。それで答えられたら、大人しく引き下がってあげるわ」



 人食いの価値観は一生解らないと千穂は思う。人食いの食のなんたるかなんて知りたくもない、と千穂は苦い顔をする。


「問題……か。うむ、わしに任せなさい」

「あらあ、貴方は駄目よ、おじいさん。私が出すのはそこの黒い少女に。見たところ代表でしょう?私が飛んでくるのを見て三人がかりで守ろうとしていたものねえ。代表はこういう時に前に出るから代表なのではないの?それに問題も、その子の世界から出すから。ねえ、代表なんかやってるんだから出来るわよねえ」

「……!」


 知恵者に任せられるほど甘くはないか。守られてばかりでいいなんて、もう考えてない。ロッテは腕を私にくれた。私も、覚悟が必要なんだ。



「受けて立ちます」

「チホ様! あ、貴方がそう仰るなら、あたしは」

「……分かりました」

「気をつけなされ」


 三人からの激励を受けてスフィンクスの前に立つ。謎々を出すスフィンクスの話を聞いたことはあるけど、あの通りとは限らない。……いざとなったら相打ちを狙ってやる。



「じゃあ問題よ」


 息を呑む。




「女が息子にこういうの。『お前の父は私の父、お前の祖父は私の父。お前は私の息子で、私はお前の姉です……』」

「ロトと二人の娘達ですね」


 その時、後ろの三人、特にロッテは真っ青な顔をしていた。だが前を向いている千穂はそれを知らない。


「……どうして」


 問題をやすやすと解かれたスフィンクスが驚く。


「なんで、貴女、異国の人間でしょう!? 私が出した問題が解るはずない!!」


 狼狽するスフィンクスとは打って変わって千穂は穏やかに諭す。


「どこかに行き違いがあるようですが、私、その話を本で読んで知ってました」

「だって、だって」

「貴方の中で私の世界は時が止まったままなのですか? その話ならちょっと検索すればいくらでも読めます。それだけの話です。約束、守ってください。」


 それを聞いて、糸が切れたようにスフィンクスが項垂れる。後ろでは今度はミトが死にそうな顔をしている。


「フフ…フフ……馬鹿みたい。いいえ実際そういう事よねえ、こんな若い子に負けるなんて。でも、でも。魔獣だの怪物だの呼ばれても、私にだって意地があるわ。……よく見なさい黒い少女ちゃん、これが誇り高い者の最後よ!!」


 スフィンクスが翼で飛び上がり、切り立った崖の上で止まる。しばらく浮いていたかと思うと、羽が急に活動をやめ、そのままスフィンクスの身体は落下する。


「な!」


 しばらくして崖の下から鈍い音が聞こえた。余りの出来事に千穂は固まったまま動けない。



「さすがですな。千穂殿」


 辺りに鳥の声が満ちた頃、翁が千穂に話しかける。


「そんな。運が良かっただけです。でも本を読んでおいて良かった。それにしても、ユージェルってああいう怪物が来るみたいだけど、一体いつ頃から……ミト? ロッテ? どうしたの?」


 安堵で口数が多くなる千穂。生きるか死ぬかの一仕事を終えた後なので、さすがに周りの異変に気づくのが遅れる。

 ミトもロッテも一様に暗い顔をしている。顔だけではなく雰囲気もかなり重い。どっちからフォローしようか考えて、彼女となった身分からミトにまず話を聞く。



「ミト、どうしたの? 私なにかまずい事した?」

「何でも……。ただ、貴女の話が耳に痛かっただけです。それで勝手に落ち込んでいます」

「??」


 イマイチ要領を得ない千穂に翁が口を出す。


「チホ殿や。貴女は先程、文明は進んで当たり前という事を仰った」

「? はい」

「この世界……ユージェルでは当たり前ではないのじゃよ」

「ええとそれは、どういう?」

「ふむ。わしが言っていいものか」


 翁がミトを見る。ミトは頷いて千穂に話す。


「悪霊が現れ、ユージェルの文明は五百年退行し、五百年でやっと戻った。もしくは、ユージェルはこの千年、まったく進化しない奇跡の世界」

「え?」

「巷で言われていることです。チホ様のお話を伺うと、魔法のない世界がどれほど素晴らしいか分かりますね。私の父、祟り神とも悪霊ともされる諸悪の根源は、己の地位を確立するために、初期の頃」


 それを話す時のミトは苦しそうだった。罪に耐え切れないとでも言うように。


「真実や事実を伝える書物を全て焼き払い、知恵ある学者――生きていては都合の悪い者を全て殺しつくした。おかげでユージェルは、悪霊の最初の事件以前のことは何も分かりません」


 千穂はどう反応していいか分からなかった。しかしこれでさっきの事が納得できた。あのスフィンクスはユージェルを基準にしていたから、大昔の話を異境の民が知るはずないと見くびっていたのか。


「……その男を先祖に持つ私です。チホ様、それでも貴女は、私を」

「言ったでしょう。貴方とお父さんは別人だって。私が被害者じゃないのと一緒」


 そう――悪霊とミトは別人だ。母と千穂も別人だ。そうでなくてはならない。ミトを軽く抱きしめた後、次はロッテのとこへ赴く。


「ロッテ? 貴方も何だかつらそうだけど……。まさか腕が痛むの? 包帯変えて薬を塗りましょうか?」

「それはまだ大丈夫です。チホ様、あの、さっきの化け物の話なんですけど」


 傷で落ち込んだり暗くなったりしていたのではないらしい。そうすると、ミトと同じく会話の内容に地雷が?


「ロトって何者なんです?」


 それを聞いて千穂は悩む。何せ内容が内容だ。


「わしからもお願いしていいかな。それに、ロッテはこう見えても出来た子じゃよ。心配するような事にはならん。それに、聞いておいたほうが彼女のためかもしれん」


 旅の一行一の年長者のお墨付きを得て、千穂は安心して語り始める。


「うろ覚えだから、聞き苦しいこともあるだろうけど、お見逃しくださいね。


 ……昔々、ある所にとても荒れた町がありました。その町の名はソドム。犯罪すら楽しむ惨状に、神様はついに町を滅ぼすことを決めました。しかしソドムにはこの町の風習に染まらない正直者の一家が住んでおりました。一家の長の名はロト。神様は町を滅ぼす前に、このロトにだけ山へ逃げるように告げました。ロトは神のお言葉を聞いて町の住民達に危機を訴えますが、誰も本気にはしません。そうこうしているうちに町が滅びる時間がやってきました。ロトは諦めて妻と二人の娘を連れて町を脱出します。神は逃げる最中、決して後ろを振り向いてはならないと忠告しましたが、ロトの言う事に半信半疑で町に未練があった妻は振り返り、塩の柱になってしまいました。ロトと二人の娘は忠告を守り、生き延びました。

 さて、山へ逃げた後、困ったのは二人の娘でした。町は全滅。母もいない。このままでは子孫が残せないのではないか。そう案じた娘達は、父であるロトにワインを飲ませて酔わせました」


「……」

「あとは、うん、そういうことなの」


 若い少女が祖父ほどの年齢の男性や恋人、年下の少女に話すには少し恥ずかしい話だ。とはいえ、怪物の問いかけで命綱となったエピソードなのだから、誰もが神妙に聞いている。特にロッテは、この話を聞いてから少し顔色が落ち着いたようだ。


「神話的な話じゃな。よろしければ出典を聞いても構わないか?」


 翁の学者らしい質問に千穂は頭を抱えた。これ旧約だっけ新約だっけ。考えた末、間違ったことを言わなければ問題ないだろうと判断し、曖昧な表現で答えることにする。


「確か、ある宗教の教本ですね。聖書と呼ばれています。残念ながら私自身は別の宗教に属していますのでこれ以上の詳しい事は分からないのです……。この話も宗教と関係ないところで覚えたものでして」


 確かあれは世界の賢王シリーズだったかな。ソロモン王と対峙したシバの女王の質問にあった。あのスフィンクスも長寿でそれなりに博識だったのだろうか。


「いやいや充分じゃ。それにしてもそうか。宗教がいくつもあり、また違う宗教に属していようと相手の宗教の知識を得ることが出来る。わしらから見れば本当に夢のようじゃ」


 一人感心する翁。タイミングを見計らってロッテが口を挟む。


「チホ様、どう思ってるんですか?」

「え?」


 ロッテがこれ以上ないくらい真剣な目をしていて、千穂は一瞬怯む。


「だって、そんなの、汚らわしくないですか? 実の親子で、なんて。チホ様もそう思いませんか。生まれた子も何なのか分からなくて気味悪いです」


 ロッテの少女心には、やっぱりロトの話は刺激的すぎたかなと悩む。とはいえ質問には誠意を持って答えなければならない。


「町が消えて母が消えて。状況が状況だったから仕方なかったのかなって思う。あと生まれた子に罪はないよ。ちょっと、遺伝病とかは心配だけど。同じ聖書内でその後、子孫繁栄してるようだったしね。あと子孫から偉い人が生まれたりしてるし」

「罪はない……本当?」

「? うん」

「そうなんだ……」


 ロッテが千穂からその言葉を聞くと、たちまち顔の血色がよくなる。


「よかった、そうなんだ」

「ロッテ?どういうこと?」

「何でもないです! そんなことより早く出発しましょう! また怪物が来たら嫌です。ここ、穴の方から丸見えだし。さあはやく……っ!」


 一人で歩き出したロッテは石に躓いて転び、胴体を強かに打ってしまう。手がないから受身が取れず、顔にも若干擦り傷を負う。


「ロッテ!」


 慌てて千穂が駆け寄る。真っ先に千穂が来て、ロッテは今負った傷や打撲、腕の傷が痛むのも忘れて喜ぶ。


「ロッテ?大丈夫?」

「……あたし、死んでもいい」

「ちょ、なに縁起でもないこと言ってるの! 死んじゃだめ! 私泣いちゃうから!」

「ごめんなさい、泣かせません」


 ただね、それくらい幸せなの。絶対選んでくれない恋に。

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