結末
事の次第を聞いた穂積達は呆然としていた。単純に悪役と割り切るには、彼は余りにも人間らしい。
「それで、カイール……さん。貴方は私を一体どうしたいの?」
沈黙に耐えかね穂積が口を開く。
「聞いていなかったのか? 俺は、お前が好きだ、千年間、ずっとずっと好きなんだ。だから、付き合ってくれよ、俺以上にお前を想ってる人間なんていない」
生まれて初めてされた愛の告白が全然嬉しくない。そもそもあれは本当に自分に言っているのか、ビアラがどういう人間なのかカイから聞いたが、あれを自分だとは思えない。それに、もう自分の心には……。
「ホヅミ……大丈夫よ、私が守るから」
『ホヅミ……』
サラと氷づけの青年が後押しする。この洞窟に来る前までだったら、私は大人しく言う事を聞いていただろう。でも今は違う。
「カイールさん……私の名前、言って下さい」
それが間違ったものであっても、千年もの永きに渡って続かれた事を一概に否定することはできない。だから、賭けに出た。
「どうしたんだ……ビアラ」
負けたのは私だったのだろうか、それともカイールだったのだろうか。どっちにしろ、これはない。
「……」
惨めすぎて涙がこぼれる。ふと、ませた同級生が「彼が元カノと名前間違えた。よりによって私の誕生日に」 と言っていたのを思い出す。間違える事なんかいくらでもあるだろうに、とあの時は思ったが、きっとそういう問題ではない。その間違いでいかに自分という存在が適当に思われてるかが分かる時もあるのだ。
「どうしたんだ、ビアラ。ビアラ?」
「ビアラじゃない……私、ビアラじゃない……」
嗚咽で上手く言葉が紡げない。前世は別人だと認識した今となっては、彼は別の女の名前を連呼する男にすぎない。ここに来るまで殴られてきたのも、罵倒に耐えたのもひとえに一途な想いから、と言われれば諦めはついたかもしれない。けど彼のやったことは好きな人が死んだから、よく似た女を誘拐しましたみたいなものだ。
「……さいてー……。女心というか、人情が全く分かってないわね」
『……』
泣きじゃくる穂積を不思議そうにカイールは見ている。
「同じ魂なのに。名前や姿形は所詮便宜上のものなのに。私は貴女なら何だって愛せるのに」
狼狽するカイールに冷たい目線をくれてやる穂積。
「貴方にはそうでも、私にはそうじゃない。仮に貴方と今結婚しようが、私の魂は消滅するでしょう。私は貴方を愛していない」
それは穂積の魂と前世に関する考えだった。生まれ変わったら別物。自分とビアラは別人であると結論づけたのだ。対するカイールは魂が同じなら同一人物であるという考えを崩さない。
「飴……。飴をくれてやったからいけないのか。そうだよな、獣を慣らすには断食や鞭が一番だ。ビアラは、ビアラは千年も別の世界にいたから、少し疲れているんだ……。悪い子にはいつだってお仕置きが必要だよなあ!!」
と、暴風が巻き起こり、穂積もサラも目を開けていられない。
「これ……魔法……!?」
「当代カイール様は闇属性って聞いていたけれど……今まで身体を乗っ取った分って事かしら……! くっ」
魔法の使役者は悠然と穂積に近づく。薄目でそれを確認して、穂積の身体を包み込むように守ろうとするサラ。
「サラさん……!」
「攻撃されたら代わりになるから、その隙に逃げて頂戴ね」
研究目的で着いてきただけなのに、哀れな境遇にすっかり同情してしまった。でも暴行を受けても権力を持つカイが怖くて助けられない。それどころか助けたいと思っても、彼女はその手を振り払う。被害者なのに腹が立つことさえあった。でも今は違う。
「学者である以前に私、一人の女だったの。小さい子が力ずくでどうにかされようとしてるの、見逃せないわ。若い子はね、年寄りよりも先に死んじゃ駄目なのよ」
「サラさ…」
巻き込まれただけ。諦めればいいだけ。そう思っていた。もうそれじゃいけないんだ。誰か、何か
――ホヅミ、僕を呼んで――
「イーヴァルくん!!」
水。暴風の中に水が飛んでいる。それは突然現れ、生き物のようにカイールにまっすぐ向かう。やがて顔に直撃したかと思うと、そのまま仮面のように張り付いて離れなくなった。
「僕だってこんなこと、したくないんだけどね」
「ゲボッ! ガハッ!!」
深海へと向かっていった姿が最後の筈のイーヴァルが、半透明の姿となって穂積の前に立っていた。
「え? え? 何で……」
「ごめんね、話はあとで! ……さあ、ホヅミにかけた魔法を解きなよ! 精霊達も怒ってるんだ! 魔力を得るために本来は形すらない精霊に無理矢理形を与え、神殿という名の牢獄に押しやった事を!」
「しっ新情報だわ! って場合じゃないわね。でもそうか……精霊すら封じるから王家であの扱い、そして魔力の含有量が違うのね」
あの神秘的な精霊は無理に形作られたもの? だからあんなにやつれたような表情に見えたのかと穂積は納得する。最後に謝っていたのは、今すぐは助けられないという事、だったんだろうか。
「ガッ……」
水が顔を多い手で拭い去ろうにも濡れるばかり。カイールはついに無念の表情で叫ぶ。
「わかっ……た……はやくっ……」
その言葉にイーヴァルは水を弾き飛ばし、穂積の手を掴み守るようにカイールの側へ連れて行く。
「言っとくが、あやしい真似したらもう一回するぞ。精霊の加護つきだから、制限がないんだからな」
「……カイール、さん」
「……我が名において、千年の永きを越えて、この魔術がこの者の最後であらんことを」
強い光が辺りを包む。それは穂積の身体の中から輝いていた。そしてしばらく辺りを照らした後、あっけなく消える。
「終わった、の……?」
サラが恐る恐る聞く。
『間違いない。ホヅミ殿の魂にあった魔の力が消えている』
「ホヅミ! やったね! よかった! ウンディーネ様ありがとー!」
氷づけの青年の言葉にイーヴァルは嬉しそうに笑う。と、カイールがその場に倒れる。
「! カイール、さん」
『心配ない。千年の呪いを解いたんだ、疲労も大きいのだろう。直に意識も戻る。ひょっとしたら、今度は子孫本来の自我が現れるかもしれないな』
死んだように動かないカイールを、穂積は複雑な目で見る。
「ええと、とりあえずまず、イーヴァルくんはどうしてここに?」
「……ウンディーネ様の加護だよ。ここまで魂を飛ばしてもらったんだ」
「精霊といえば、この世界の守護神、大黒柱みたいなもの。違法に封じられていて、封じた張本人に一矢報いられるとあれば、例外的に力を貸すこともあるかもしれないわね、ええ」
どこか白々しいような気はしたが、二人の言葉が嘘か本当か、裏に何かあるかないかを見抜くには穂積は経験も足りなくユージェルを知らなすぎた。
「そっか。うん神秘的な人? だったし。あ!それと……カイールさんはこのままでいいの? あの、氷づけの貴方の封印? 魔法? も解かないといけないんじゃ」
『そのことなんだが……カイールが目を覚ます前にホヅミとイーヴァルくんにしてほしいことがある』
「……はい」
「私にですか?」
『私はこのまま山と一つになろうと思う。精霊の力で標高を上げて穴を塞ぎたい、私の魂は土台となる』
イーヴァルは初めから知っていたかのようで、サラは驚いたものの少し考えて納得、訳が分からないのは穂積だけだった。
「魂を土台って! 千年もそのままで……やっと解放されるチャンスなんじゃ」
『時間があったからね、穴を塞ぐには魔力もある自分が適任だと割りと最近気づいたんだ。ただ死ぬよりいいと思って』
「そんな……」
納得できない様子でおろおろする穂積にサラが語る。
「千年……ユージェルに住む者はあの穴に悩まされてきた。この旅では現れなかったけど、あの穴、異次元と繋がっているのか、時たま隕石やら怪鳥やらが飛来して疫病の原因を作ったりして……何とかできるものなら、何とかしたい。それが幾ばくかの犠牲を生んでも」
「サラさん……」
「ホヅミ……実は僕も、ウンディーネ様に頼まれたんだ。氷づけになっている人間を楔に魔力を送り込み、山を活性化させて穴を塞いでくれって。力を貸すのは、それが条件でもあった」
イーヴァルがいなければ、何も分からないままカイールの女となっていただろう。ウンディーネが力を貸してくれなければ、いつまでも殴られっぱなしだったろう、サラがいなければ、この顔は醜い痣だらけで隠す必要があったかもしれない。氷づけの青年は……
『頼む。この世界、ユージェルを守りたいんだ』
半透明のイーヴァルと手を取り、氷の中の青年に向かって手をかざす。すると、手の平が熱くなったかと思うと光が生まれ、その光が辺りを満たした後、凄まじい地響きが起こる。
「いっ今思ったけど、活性化って火山……?」
「伝説の研究でこの山の地質も調べたけど、ここは火山ではなかったはず……!」
「まずは水の魔力を異世界人のホヅミと水の申し子たる人魚の僕で送る。そうすると明かりのスイッチが入るように第一段階が完了する」
「ううーん、よく分からないけど……時計に電池入れて動かすようなものかなあ。でも第一段階?」
イーヴァルは簡単に口をすべらせる男だ。穂積の勘が何かあると訴える。それを少し離れたところから見ていたサラが「そういう事」と小声で呟く。
「え? いやあ、時間がかかるんじゃないかな、うん。それよりホヅミ、これで、君の世界へ帰れるんだよ!」
「!」
それは半分諦めていた事だった。元の世界、鈴木穂積が生まれ育った世界。
『ありがとう……魔力が溜まった。当時ビアラを送ったのが思い出されるな。さあ、ホヅミ殿』
「あ……」
帰れる、この苦痛の多い世界から脱出できる。またお母さんに会って、お母さんの料理を食べて学校へ行ける。
「えっと……あったあった。貴方がここへ来た時に持っていたらしい鞄、服。カイールは捨ててしまえって言ったけど、こんな事もあろうかと取っておいたわ……なんて。本当は研究しようと思ってたんだけどね」
学校の帰り道に突然呼ばれた。着の身着のままで旅が始まった。それが今終わろうとしているのだ。
『さあ……いいかな?』
「あっもう少し待って。イーヴァルくん、あの……この箱」
カイールに命じられて大切に持っていた、人魚の心臓が入った箱。これを持ってからイーヴァルの存在を近くに感じた。罪人のじゃなくて、もしかしたら。
「役に立ててよかった」
「やっぱり……やっぱり!」
止まった涙がまた溢れる。もしこの世界に未練を残すとしたら、自分のために犠牲になった人達がいた事。共に殴られ守ってくれたサラに、命を捨てたイーヴァル。
「こんな、こんなのって」
「……ぅ……」
気絶していたカイールが目覚めようとしている。その事に恐怖を覚えるのは、殴られた記憶がいまだ生々しいからだ。
「ホヅミ、さぁ、行って、大丈夫だから」
「イーヴァルくん、サラさん! ありがとう……!ありがとう!!」
『我が力よ……』
穂積が消える。と同時に、イーヴァルも消える。こうなる事が読めていたサラは氷の中の青年に向き直る。
「穂積は呪いを解いたからもう無理。しかも例外なく使える属性は一つだけ。……条件を満たすために今度は――を呼ぶ気ね?」
気がつくといつもの通学路だった。高校からの帰り道。回覧板なんかでここが一番危ないスポットとよく言われる場所に立っていた。逃げるようにその場を離れる。穂積の家は、そこから数分もかからない。
「ただいま! お母さん! お母さん!!!」
怖い夢を見た子供が親を求めるように、彼女は半泣きで母を呼ぶ。
「やあねえ、聞こえてるわよ。おかえりなさい、どうしたの?」
いつものように、台所にいた。今日はシチューらしい。懐かしい母の手料理の香りが鼻腔をくすぐる。と同時に、涙が堰を切ったように流れた。
「お母さん! おかあさーーーん!! うわああああ……」
エプロン姿の母に抱きつき泣きじゃくる。夢だった、とこれで思える。ただの悪夢にするには、切ないことも多かったけど。
「ちょっと、どうしたの? ほら、イーヴァルくんが見てるわよ。ごめんなさいねこの子ったら」
「いえ、気にしないでください。きっと辛い事があったんでしょう、穂積は無理を重ねる子だから」
言われた事が理解できなくて、今まで死角にあった位置に顔を向ける。
「お帰り、穂積。約束したとおり、笑顔を見せてほしいな」
「今度は子孫を呼ぶ気ね? 異世界人の特性か知らないけど、ホヅミは普通にして溢れ出るほどの魔力があった。山を高くするのに、異世界人をから魔力を調達する気でしょう! イーヴァルを送ったのもそのため! 事情を知っていて黙ってここまでホヅミをここまで来させたのは、ホヅミが自我を失って信頼できないからじゃない、そうして利用するのが目的。さあ、反論なさい! 反論して! ……お願いよ」
氷の中の男は『すまない』とだけ答えた。よろよろと起きだした、一連の事件の犯人であるカイールは、「ここはどこ? ママは?」 と言った。




