第94話「実験体の二人」
話によると、十歳くらいの少年少女だったという。
怪しげな呪文で監獄の門を破壊、そのまま敷地内に突入すると、出てきた警備員をちぎっては投げちぎっては投げしながら、まるで無人の野を行くがごとく、ロート・ブラッドの房まで進み、山賊連中を解放、また悠々と来た道を帰ったのだということだ。まさに白昼堂々の犯行と言えよう。
その後、監獄の外で待っていた仲間と合流して市の南門から出たらしい。騒ぎを聞きつけた自警団が到着したときには時既に遅し。鮮やかな手並みである。大事件である。
「それにしては市門でも大した警戒がされてなかったけどなあ。昨日の今日だっていうのに」
とアレスが言うと、
「ここは良くも悪くも平和な町だ。いわゆる平和ボケというヤツだな。危険なことが起こってもそれがうまく実感できないのだろう」
長が答えた。そうして、エリシュカから視線を戻し、アレスを見る。
アレスは小さくうなずいて見せた。オヤジと心が通じ合うというのもなんだかなという気がするが、それを嘆くのは後にしよう。今はしなければいけないことがある。アレスはつかつかとエリシュカの元に行くと、
「あー、コホン」
とわざとらしい咳払いをした。エリシュカはアレスを見ない。アレスは何度かコホコホと咳をして、風邪の引き始めの人のような趣を見せた。
「体の調子が悪いならさっさと休め」
アレスは、からかいの声を投げてきたズーマを睨むと、エリシュカの肩をトンと軽く叩いた。
「ちょっとお話ししたいことがあるんですが、エリシュカさん」
エリシュカは、聞こえない振りをして、器の中をフォークで突っついている。
「エリシュカさん?」
「…………」
「もしもーし」
「…………」
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、おーい」
エリシュカはつんとした横顔で完全無視を決め込んでいる。
持つべき者は仲間である。アレスはサポートを求めて周囲を見回した。
しかし、オソと王子は疲れ切った顔をして人のサポートをするどころではないし、ヤナとズーマはタイミング良く会話をし始めて、女の子に機嫌悪くそば向かれて途方に暮れている哀れな少年を助ける気など更々ないようである。良い仲間を持ったものだ、と感動したアレスは、テーブルをひっくり返してやりたい気持ちになった。
もとはと言えば、ヤナかズーマ(あるいは二人)が何かを吹き込んだからこんな目に遭っているのだが、アレスは寛大な気持ちで彼らを許した。人を許すこと。これこそが勇者の第一特性と言えよう。そうして、いつか二人にやり返してやろうと決めた。許すことと報いを与えることはアレスの中ではけして矛盾しない。
依然として、貴族のご令嬢のように澄ました横顔を見せ続けるエリシュカを見ながら、アレスは決意を固めた。その思いきりの良さが彼の長所かもしれないし、そうではないかもしれないと、アレスを知る人は言う。アレスは、エリシュカが座っている椅子を回転させると、自分の方を無理矢理向かせてやった。
唐突な乱暴に、しかしエリシュカは慌てた様子を見せない。椅子にちょこんと腰かけたまま冷淡な目でアレスを見上げている。威圧されたアレスは、後じさりたくなる自分を鼓舞して、
「いい加減にしろ。喧嘩してるから話さないってどういうことだよ。大事なことなんだ。答えてくれ」
心からの声を出した。
返されたエリシュカの言葉は鋭い。
「謝って」
すかさず応戦するアレス。
「イヤだ」
「じゃあ話さない」
そう言ってぷいと横を向くエリシュカの顔をアレスは両手で挟むと、自分の方を向かせた。
「子どものゲームに付き合ってる時間は無いんだ。答えてくれ、エリシュカ」
「謝って」
「イヤだ。オレは悪くないし、それにさっきの言葉はキミのためを思って言ったことだ。謝るってことはその気持ちがウソだったってことになる。だから謝らない」
「……わたしのため?」
「そうだよ」
頬を軽くサンドされたまま、しばし考えを巡らすような顔をするエリシュカ。
アレスはじっと彼女の瞳を覗いていた。
酔っぱらいの怒号が舞う喧騒の中で二人の空間だけが静かである。
やがてエリシュカはアレスの手に自分の手を添えた。そのあと、彼の手を自分の頬から放すようにすると、「分かった」と小さいがきっぱりとした声で言ってから、
「でもデコピンは許さないから、わたしもお返しする」
と続けた。
アレスは顔を突き出すようにした。そうして、ホッとすると同時に勝利の喜びを味わってもいた。これは完全にこっちの勝ちだろう。まさか女の子に勝てる時が来るとは。この世も捨てたものではない。ビバ! オレ!
パシン、という小気味良い音が鳴って、ほっこりとした気持ちは頬とともに弾けた。
「それで? 何が聞きたいの?」
両手を払いながら、エリシュカは傲然と尋ねた。
アレスは引っぱたかれた頬をさすりながら、デコピンに対して平手打ちとはフェアでないのではないか、と一応批判してみたが、
「貸したものには利子がつく」
もちろん、無駄であった。
アレスは本題に入った。監獄を襲った二人の少年少女のことを訊くと、
「もしかしたら、ミツとヨンかもしれない。研究所の実験体。魔法力を強化された二人。ミツは攻撃魔法の使い手で、ヨンは防御魔法の使い手。二人いれば、城を落とすこともできるって博士は言ってた」
とエリシュカ。
アレスは長の顔を見た。
今度は長がうなずく番だった。