第89話「イードリに帰ろう」
「主街道ではなく間道を進んだ方が良いのではありませんか?」
半日進んで一行が小休止を取ったところで、そうアレスに進言したのはオソだった。
周囲は既に夜の色に染まっている。
オソはおずおずとしながらも、ちゃんとアレスの目を見て自分の意見を述べた。何を問われてもまるで岩のように口を開かなかった少年が自ら口を開いて、しかも提案をしたのである。その唐突なレベルアップにアレスは驚き、開いた口がしばらくふさがらなかった。
アレスはオソの肩に静かに手を乗せた。
「どうしたんだ、オソ。好きな女の子でもできたのか?」
そう言って、爽やかな声を出すと、
「え……?」と戸惑うオソに、
「ボーイ・ミーツ・ガールだよ。それで男はギュイーンとね。そうなんだろ? 『その子のためにオレ頑張る』みたいなさ」
たたみかけてから、待てよ、と首をひねり、
「女の子って……このパーティの中にはエリシュカとヤナしかいねえ! オソ、悪いことは言わない。あの二人はやめとけ。まあ、見た目はどっちもそれなりだけど、中身がキツい。人間は中身だからなあ。お前もまだ若いからルックスを重視するのは分かるけど、ホント苦労するよ。何も好きこのんで棘の道を歩くことは無いだろ」
心底からオソを心配しているような調子で続けた。
オソは、アレスが何を言っているのかさっぱり分からないということを正直に答えたのち、
「このまま街道を走るより間道を走った方が敵から見つかりにくいのではないかと思ったんですが」
と付け足した。
アレスは考える時間を取らなかった。
「この辺の地理には不案内だ。来た道を素直に帰った方がいい。ここからイードリまでの街道には悪路は無かった。この道なら、後ろから追いつかれても、何らかの事情で前で待ち伏せされてても、広い場所で存分に戦える。逃げることも容易だ」
オソは恥ずかしそうにうつむいたが、アレスはこれからも言いたいことがあれば何でも言うようにと告げた。
「話は終わったみたいだぞ、リシュ」
闇の中に浮かんだ綺麗な声はヤナのものである。
「じゃあ、こっちの番」
それに答えた可憐な声はエリシュカのもの。
オソは、その場をそそくさと離れていった。
夜のしじまに少年の悲鳴が長く伸びた。
わずかの休憩を取ったのち、一行は月明かりの下を走り出した。一刻も早くミナンを出るためである。馬車の御は、仮眠を取りながら、アレスとルジェ、ズーマとオソが交代でこれを行う。馬には一時的に疲労を感じさせなくする呪文を、ズーマがかけた。
「さすが、大魔導士だな。よく、そういうしょぼい呪文ばっか知ってるもんだ。どうせだったら、ここからヴァレンスに瞬間移動させる呪文とか使えよ」
アレスのからかいに対するズーマの答えは、
「死にたいならやってもいい」
というものだった。呪文自体は使えるが、その呪文に耐えられるのは特別な人間だけだというのである。
「わたしのようにな。だからこそ、編み出されたはいいが、ほとんど使用されなかった古の呪文なのだ」
夜を朝に継いで勇者パーティは、イードリへと猛進した。イードリは自由都市であって、太子の力の及ぶところではない。とりあえず、イードリ市に入れば一安を得られるのである。本当のところ、アレスとしてはイードリを素通りして、そのまま東進したいところであるが、仲間の疲労を拭う必要があること、オソを市長のもとへ返す必要があること、食糧などの必要物資を手に入れる必要があること、など幾つかの必要性が重なって、寄るほか無い状況である。
「センカにも会えるしね」
「なんだ。もうセンカお姉ちゃんが恋しくなったのか?」
アレスは意外な面持ちで言った。
エリシュカの声にあったとげとげしさに、アレスは気づいていない。相当に面の皮が厚い少年なのである。女の子の口調のトゲトゲなんかではその皮を貫くことはできず、まして、そもそもそのトゲをなぜ装備したのかという乙女心を彼の心に届かせることなど不可能なのだ。
あたりはほのぼのと明るくなっていて、朝の空気は清らかである。軽快な車輪の歌を聞きながら、エリシュカは御者台の上で体を横に向け、隣に座って馬を御している少年のその横顔をじいっと見ると、
「センカに会いたいのは、アレスでしょ」
はっきりと言った。それから、ほんのちょっとでも彼の表情の変化を見逃すまいと目を細めた。
アレスは別段、表情を変えず、
「いや、『鉄の天馬』亭には泊まらないよ。万が一にでも、迷惑をかけるとマズいからな。それに、もっともらしい別れになったのに――まあ、これはズーマのせいだけど――数日経っただけで会えるわけないだろ、カッコ悪い」
平静な口調で言った。どうやら、今考え出したことではなくて、そもそもそういう考えであったようだ。その言葉を聞いてエリシュカの心からトゲが消え、気持ちは丸みを帯びた。エリシュカは前を向いた。
イードリまではまだしばらくある。