間の話「密談は朝の光の中で」
「一体、何をやっていたんだ、ライザ!」
この風紀紊乱の世の中、醜いものは数多くあれど、男の怒鳴り声ほど醜いものは無いとライザは思う。そんなに大きな声を出さなくても普通の音量で十分に聞こえるのに、それでも大声を出すのは威嚇のためである。女を威嚇する男。器が知れるというものだ。
木張りの床に質朴な調度品が置かれた執務室のような部屋に、朝の光が差している。
室内に一つだけある事務机の前に直立していたライザは、
「はあ、スミマセン」
と生返事を返した。
「スミマセンで済むか。これだから胸のデカイ女はイヤなんだ」
胸の大きさと事務処理能力にどんな相関関係があるか分からないライザは、しかし、それを訊き返す気はなかった。彼女の目の前で、事務机の向こうでふんぞりかえって座っているのは、三十代前半の男である。室内であるにも関わらず、僧侶が身につけるような法衣を思わせるたっぷりと丈の長い長衣に身を包んでいる。眼鏡の中の細い眼は人を小馬鹿にしたようなインテリぶった光で溢れかえっており、茶色の髪が持ち主の性情とは真逆の様子でまっすぐに肩をすぎていた。
「それで、何者だったんだ、その二人は?」
「さあ、朝一でイードリで調べて帰って来たわけですけど、今のところ、正体不明です。冒険者協会に登録されてる冒険者でランクDだってことくらいしか分かりませんでした」
「それじゃ、何を調べたことにもなってないじゃないか、バカめ」
男は吐き捨てるように言った。ライザは恐縮した振りをした。内心では――
「冗談じゃない! こっちは化け物みたいなガキと戦って危うく死にかけたのよ。まず仲間の無事な帰還を祝うのが筋だろーが。大体、あんたはあたしの上司じゃないだろ! 部署違うだろ! 上から目線で批難してくんじゃねーよ、このタコ助! ナイフの餌食にしてやろうか!」
くらいのことは言ってやりたい気持ちだった。しかし、ライザは耐えた。男に反論などしても無駄である。男という人種は自分の論理の中で自己完結して、その完結したパーフェクトワールドに住むことに快感を覚える生き物である。彼らの世界を否定したり、また疑問を呈したりすれば、彼らはあらゆる手段でそれを守ろうとするだろう。「おれ様の論理は間違っていない。なぜなら、間違っているのはお前だからだ」に類する詭弁を延々怒鳴られ続けることになる。そんな事態を招くくらいなら、黙っていた方がよほど利口である。
反論が無いので怒り続けるきっかけを得られず、男は聞こえよがしに舌打ちすると、頭を動かしてライザの後ろを見るようにした。
「それで、これからどうする、博士?」
事務机の近くに、差し向かいになって来客用のソファがあり、その一つに白衣の男が腰かけている。初老の男である。博士と呼ばれたその男は伸ばされた白髪交じりの髪をガリガリとかいて、どうでもよさそうな口調で言った。
「放っておけばよかろう。どこにも逃げたりはせん。ちょっと外の空気を吸いたくなっただけだろう。今回が初めてでもないしな。どうせ、帰ってくるところはここにしかない」
「そういうわけにはいかん。この施設が公費で運営されているということを忘れてもらっては困る。アレは博士の孫娘などではないんだ。公の財産だぞ。回収して管理下におかなくてはいけないのだ」
男は得意げに小鼻をひくひくさせた。ライザは呆れた。それならいちいち訊くことないのに。
「では、どうする?」
博士が逆に訊いた。
「この研究所内で動ける者は?」
「無駄な人員はおらん。だから、ロート・ブラッドを使っているわけだからな。ヤツラの残りを使うか?」
「無駄じゃないスか。はっきり言って、あんな山賊連中、百人いたって役に立ちませんよ。あのボウヤはレベルが違うもの」
親切心で口を出したライザを、男は小うるさげに見ると、
「ライザ・ロエル。お前に汚名挽回のチャンスをやろう。もう一度行ってこい」
高飛車な口調で告げた。
ライザは首を横にすると断固とした口調で、
「あたしはもうイヤです。そもそもあたしは諜報部員スから。昨日のことだって、ロートのヤツラの監督としてついていっただけですよ。あたしは、ガチンコの殺し合いみたいな汗臭いことには向いてないんです」
言ったあと、
「それから、汚名は『返上』するもので、『挽回』するもんじゃないですよ」
ボソッと付け足した。
羞恥のせいだろう、男の目尻が吊り上がるのが見えたが、ライザは知らん顔をした。
少しの間、何とも言えない間の抜けた沈黙があったあと、
「ライザ殿の代わりに、ボクが行ってきましょうか」
綺麗な声が上がった。
博士と向かい合うようにして一人の少年がソファに座っている。まだ年若い。十七、八といったところだろうか。まるで朝日に祝福されたような輝くような容姿の少年である。繊細なラインの体つきの上に、優しげな目鼻立ち。後ろで軽く束ねるようにした淡い金色の髪は、それ自体が光を発しているかのように見えた。もし女装でもさせれば、都大路を今を盛りとそぞろ歩く花も恥じらう乙女たちを逆に恥じ入らせること間違いない。そのくらいの美貌である。
「そのアレスという人に興味があります。聞いた名前です。偶然の一致かもしれませんが」
男は戸惑ったような顔で言った。
「いえ、御身をこのような些事に巻き込む訳には参りません」
「しかし――」
「わたしが出ますので。どうぞ、ご心配なく」
それ以上の議論を嫌うように、男は勢いよく立ち上がった。そのまま、机を回ってツカツカ歩くと、
「何をしている? さっさとついて来い、ライザ」
戸口で振り返った。
さすがにライザはため息をつかざるを得なかった。しつこい!
彼女は振り向くとはっきりと言った
「ヤだって、言ってるでしょーが。ひとりで行ってくださいよ」
生死に関わることである。譲るつもりは無かった。
テコでも動きそうの無いライザに忌々しげな目を向けた男だったが、そのまま何も言わず戸を開けて廊下へと出て行った。どうやら捨て台詞を残すようなみっともない真似をしないだけの分別は備わっているようだ。ライザは昨夕出会った少年に対して、近々ボウヤのとこに現れる男には容赦しなくていいわよ、と心の中で注意を与えた。