第7話「夕暮れの激突 決着」
掛け値なしで本気だった。本気で殺す気だったのである。そして、良い勝負ができていると思っていた。ちょっと押しているとさえ思っていたのだ。もう少しで殺せると。しかし、それは勘違いだった。相手の手の平の上で見事に踊らされていたのである。その手をぎゅっと握られただけで、命は消える。女の背筋が寒くなった。
そこに――
「賞金首じゃないんだろ、あんた。あと、女だから、一応な。まあ、年増とはいえ。でも、そんなに強かったら手加減とか必要ないよな。失礼だよな。ホント、悪かった」
なにやら生真面目な声がする。
女は大慌てで手を振った。
「いやいやいやいや、必要あるわよ。ていうか、足りないってば。モア手加減」
「ノーモア手加減」
アレスはずいっと一歩前に出た。
「ち、近寄らないでよ! 変態!」
「誰が変態だ! こんな愛らしい少年を捕まえて」
「だって、あたしを殺す気でしょうが。この殺人鬼!」
「安心しろ。この剣はショックを与えるだけで、人を殺すことはできない。この剣に切られても、気を失うだけだ。明日の朝には目覚められるさ。いや、ラッキーだな、おばさん。今日出会ったのが、オレみたいな平和主義者でさ」
「平和主義が聞いて呆れるわ! あたしを気絶させてそのあと何するつもりよ、このケダモノ!」
思いきりバカな話をしているが、アレスはバカではない。女が何を狙って、ぺちゃくちゃ話をしているのかはちゃんと理解していた。アレスは先ほどから女の右胸のあたりに注意を向けていた。そこには、二本、短剣が吊られている。戦場では一瞬の油断が命を取る。戦が終わるまで、すなわちそれは基本的には相手が死ぬことを表しているわけだが、そのときまで、アレスの頭には油断のユの字も無い。
地から薄闇が立ちつつあった。
「アレス、ちょっと待て。気絶させるなら事情を聞きだしてからにしろ」
ズーマの声に、アレスは静かに首を振った。
「必要ないね。オレの見るところ、この女は奴隷商人か娼館の手先だ。そうして、その子はそこから逃げて来たんだよ。可哀想に。その子の白い髪を見ろ。心労のせいだ。いったいこれまでどんな扱いを受けてきたのか、想像できるじゃないか。そんな若い身空でさ。ひどすぎる」
「おいおい、そのレディの相手をするのが面倒くさいからそんな勝手なこと言ってるだけだろう」
「あ、分かった?」
アレスの足が地をこするようにしてほんの少し間合いを詰めた。
女の肌が粟立った。微妙に距離を詰められただけなのに、おそろしく接近されたような感覚を覚えた。まるで少年の体が一回りも二回りも大きくなったかのようである。これまでこなしてきた戦闘経験から培われた第六感とでもいうべきものが、目前の少年とはもう一合たりとも交えてはならない、と告げていた。そう感じた瞬間、女の左手が動いた。
アレスは飛来した短剣を弾き飛ばした。
踏みこもうとしたアレスが見たのは、女の背だった。その背は、なかなか見事な速度で遠ざかっていった。ダッシュで坂を駆け上った女は川の堤の上に至ると、そこで立ち止まり、大きくぶんぶんと手を振ってきた。それはまるで、久しぶりに会った遠くの親戚と楽しい時間を過ごし再び別れのときがきて、その親戚を見送っているかのような気安さだった。
女は夕闇の中に姿を消した。
アレスは剣を下ろすと、少女と銀髪の青年の元へと近づいた。
「全くいい性格してるよなあ。これだから年増はいやなんだ。恥じらいがなくてさ」
「そう言うな。彼女にも若い時はあったんだ。昔から、あんなんだったわけではあるまい」
「じゃあ、昔出会いたかったね。『骨に連なりたる肉よ、水の勢いにて……消えよ』」
アレスが呪文を唱えると、手にしていた剣の白い光が薄れ、やがて消えた。剣は元の短剣へと戻り、少年の腰にある鞘に納められた。
ズーマの腕の中で、華奢な体つきの胸の辺りがかすかに上下していた。少女の顔には気を失ってなお、苦悶の表情が刻まれている。
「相当ひどいことをされたんだな」
アレスはしみじみと言った。
「いや、お前に蹴られたからじゃないのか?」
「全くどこのどいつだ。こんなに可憐な子を苦しめるなんて。何だったら、今からそいつらのアジトを突きとめて、死ぬほど後悔させてやりたいね」
「いや、確か、お前のブーツが――」
「まあ、それはあとにしてだ! 変なやつらから助けたはいいけど、その子、どうする?」
ズーマはじっとアレスを見た。
アレスは口笛を吹いた。これは急に吹きたくなったからで、別に理由は無い。
「……起こして事情を聞きたいところだが、それは忍びないな。とりあえず、宿に連れ帰るしかないだろう」
「ふーん」
「…………」
「…………」
「何してる? 背負え、アレス」
ぼーっと突っ立ったままでいる少年に対して、ズーマは指示を出した。
「え、オレ?」
「そうだ」
そう言われると、アレスとしてはうなずくしかない。年頃の少女を背負うのは何だか気恥ずかしいシャイボーイではあるが、「何で、オレなんだよ、お前がしろ」などと言い返すのは、そういう意図では無いにしても、まるで少女を厄介者扱いしているようで聞こえが悪く、アレスにはできなかった。
アレスは腰と背中から、短剣と剣の鞘を外すと、地面に置いた。それから、ズーマに背中を向けて腰を下ろす。少しして、少女の体が密着して、柔らかさと温かさを感じた。どこからか花のような清らかな香りがした。
「町まで結構ある。負けるなよ、アレス」
短剣と剣を拾い上げたズーマが勇気づけるように言った。
アレスは首を捻った。
「負けるってどういうことだよ。この子、大して重くないから、イードリまでどころか、隣町だっていけるぜ。オレの鍛え方、見くびるなよ」
「そうじゃない。理性に負けるなということだ。確かに今この子は気を失っている。しかし、それに乗じてちょっとベタベタ触っても大丈夫かもなどと考えたら、わたしはお前のことを一生軽蔑するぞ」
「オレはいままさにお前を軽蔑したよ。この変態ヤロウ」
地平線上に沈みつつある夕日をバックにして、二つの影は歩き始めた。