第72話「旅の途中」
それから三日が経った。
旅は順調そのものである。
山賊団も襲ってこなければ、リーグルの群れにも遭遇しない。天候にも恵まれ、馬車の調子も良い。
エリシュカは相変わらず傍若無人であり、ズーマは相変わらずつまらない冗談ばかり言っている。王子はいくら言っても丁寧語が直らないし、フェイはどうしてもアレスから疑いの念を消さない。ヤナは、旅における実用的なこと、食事の用意や、街道沿いの宿場に泊まる場合は宿の手配、その他もろもろの必需品の調達などをきびきびとこなし、デキる女の子であることを存分に示していた。
出発時、新たに仲間に加わった少年は名をオソと言った。イードリ市長の三男坊であるらしい。陰気というのではないが、あまりしゃべらない少年である。アレスが話しかけても一言二言返すだけであり、初デートの恋人同士みたいにすぐに話題が尽きてしまう。どうやら、人と話すよりも馬と話している方が好きらしく、馬の世話をしているときなどは目元に明るさを見せた。ただし、その対人面での消極ぶりが彼の生来の内気さからくるのか、それとも、アレス以下このパーティのメンバーが怪しくて話しかけるのを憚っているのかは定かでない。
「そっと市長が打ち明けくださったところによると、一番期待しているお子さんらしいです」
ルジェが言った。
「それで見聞を広げさせたくてイードリを出したいということでした」
「なるほどね。でも、それだけじゃないだろ。なんらか王子とつながりを持ちたかったんじゃないか。多分、オソをあんたに仕えさせるつもりだ。市長ともなると、なかなか抜け目ないな」
アレスが無造作に言うと、ルジェは微笑した。
フェイの御する馬車の中である。二台の馬車は、大抵オソとフェイによって運転されている。たまに、フェイの代わりに王子が自ら御者台に座ることもあって、驚いたアレスだったが、
「御は王子の必須科目ですから」
ということだった。他にも、弓や古代語など、色々と習い覚えなければならないことは多いらしい。
「大変なんだな、王子ってのも」
「いえ、宮中でのんびりしているだけですので、気楽なものですよ」
そういうことを言えるだけで並大抵の人間ではないことが、過去に実際に王族に会ったことのあるアレスにはよく分かるのだった。ルジェには王族特有の人を見下すような雰囲気が全くない。雲居の上ではなく、大地の上にいて人を同じ目線で、いや、むしろ下から見上げられるような人間であった。
それに――
「ところで、ズーマ殿のお話によると、アレス殿はヴァレンスの間諜であるということですが」
「おいおい、それを信じてるんじゃないだろうな」
「いえ、信じてません。ただし、そう考えると、アレス殿がヴァレンスから出て旅をされている理由が分かり、つじつまが合います」
「…………」
「それに嘘をつくにしても、全てを一から作るのは面倒であり、また本当に嘘くさくなる。嘘の中に一部分事実を混ぜることによって嘘は作りやすく、また真実のように聞こえる。違いますか?」
頭が悪くないところを見せる。一方で、
「じゃあ、そんな怪しい人間をどうして王に推挙するんだよ?」
「分かりません」
「え?」
「分からないんですが、ボクの勘がそう言っているんです。あなたを王都に連れていくのが吉であると」
やはりおかしな所がある。
占いも王子の必須教養か訊いたところ、ルジェが「はい」と答えたので、アレスはずっこけた。
「昔、国のゆくすえを決めるときに占いを使っていたんです。王族は占いに長じていなくてはならなかった。その名残ですね」
馬車は街道を外れて、街道脇にある林の前で停まった。
一休みである。
ルジェの馬車から出たアレスは大きく伸びをした。
ずうっと見晴るかすことのできる平原に、薄い雲の隙間から幾筋もの光が漏れている。
空気は爽やかだった。
エリシュカは木の根もとに座りこむと、「暑い」と言いながら、チュニックの裾をパタパタさせた。明るい色をした素足がつけねの方まで見えそうである。
「はしたないぞ、エリシュカ」
少女の保護者をもって自らを任じているアレスが務めを果たすと、エリシュカはきょとんとした顔を作ったあと、その可憐な面に何かを思い出したかのような表情をのせた。
彼女はすっくと立ち上がると、アレスの前に来た。
はっとしたアレスは、エリシュカの手を押さえた。
彼女の手はチュニックの裾にかけられている。
「何をするつもりだ?」
「下着を見せてあげようと思って」
「なに、その趣味!」
「ズーマが言ってたの。アレスは下着を見せると喜ぶって」
アレスはその体勢のまま、ズーマを睨んだ。少し離れたところに立っていた銀髪の青年は、その視線に気がつかない振りをして、涼やかな顔でヤナと話をしている。
「嬉しくないの?」
嬉しくないかどうかと問われれば、それは……。アレスは頭を横に振った。それから深呼吸してみる。これは沽券に関わる問題である。落ちついて答えなければならない。
「オレが嬉しいかどうかなんてこととは関係がない。ことはキミの問題なんだからな。はしたない真似はよしなさい」
「別にいいでしょ。減るものじゃないし」
「減るんだよ! オレのプライドがな」
「プライドなんかあったの?」
「あるよ、プライド。男はプライドなくしては生きていけないんだぞ」
エリシュカは、ほおほおとうなずくと、チュニックの裾から手を放して、再び地面に座り込んだ。
木漏れ日が差した少女の顔のその口元にはかすかな笑みが漂っており、アレスは慄然とした。その笑い方が彼のよく知る人物の笑い方とそっくりだったからだ。アレスはできるだけ彼女を自分のそば近くに置いておくことを決意した。