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第69話「また会う日まで」

 アレスは最後に、宿のオーナー・サカグチ氏に、九日間世話になった礼を述べてから馬車に乗り込んだ。

 からからから、と車輪が音を立てて、二乗の馬車は街路をゆく。

 センカは見送りには来なかった。アレスもあえてセンカの姿を探そうとはしなかった。ことさらに別れを告げるようなことをすれば、それは折角整えた気持ちのどこかにひずみを生んで、自分が苦しむばかりか、そのひずみにあの清純な子を巻きこんでしまうかもしれないと恐れたのである。

 アレスはやはりセンカのことが好きだった。近接戦闘で自分より優れていようが、何でも力で解決しようとする癖やこちらの話をあまり聞かない傾向があろうが、そういうお茶目な要素を差し引いてもなお残る気持ちがあって、その気持ちは温かい。

 これからその温かさが消えるまでいくらかの時間がかかって、あるいは消えることなく続くのかもしれないけれど、そういう気持ちを持たせてくれたことにアレスは感謝した。感謝のほか、できることはなかった。

「センカ嬢のことを考えてるな?」

 馬車の内装は豪奢である。

 ふわふわした座り心地の良いシートに座ったアレスは、正面からズーマの声を聞いた。

「別に」とアレス。

「ウソをつけ」

 ズーマがどこまでも(かん)(さわ)る男であるということを、アレスは再確認した。そうして、次の瞬間に再々確認することになった。

「センカ嬢には、昨夜わたしから、どうしてお前が彼女の気持ちに応えられないのかということを説明していおいてやった」

 アレスは自分の顔色が変わったのが分かる気がした。

「何て顔してる。うら若き乙女がこの世の終わりのような顔で泣き濡れていたのだから仕方あるまい」

 ズーマは楽しげに言った。してやったりという顔をしている。

「お前、まさかとは思うけど……」

 それ以上は言葉にならない。まさかと思ったことを平気でやってしまうのが、このズーマという男なのだ。その行動原理は、それを行うことが楽しいか楽しくないかという一点に尽きる。そうして、その楽しさというのがもっぱら自分にとってのものであって、他人、特にアレスの迷惑など毛の先ほども考慮しないのだから性質(たち)が悪い。

「お前がなぜ旅をしているのか、その理由を正直に彼女に伝えたのだ」

 二つの視線を感じて、アレスは身をすくませた。

 シートの上に膝立ちして座って開いた窓から外を見ていたエリシュカと、淑女のように膝を揃えてきちんと腰かけているヤナが、興味ありげな目をアレスに向けた。

 ズーマはこほんと一つ咳払いをすると、

「お前がヴァレンスの英雄アレスで、昨年の大乱を治めた後、ヴァレンス王女のたっての願いで、諸国の動静を調査しているということを包み隠さず述べておいた。各国の諜報活動というのは危険な任務であるからいつ何時万一の目に会うかも知れず、そんな状態で想いを受け取ることはできないのだ、とそう伝えておいた」

 視線を意識したゆっくりとした調子で言った。

 アレスの口元からためいきが漏れた。それはいかにも重苦しいものである。

「で? センカは信じたのか?」

「わたしには信用がある」

「本気でお前を殴ってやりたいよ」

「やめておけ。どうせ当たらん」

「それから?」

 ズーマは分からない顔を作ったが、アレスが苦々しげな顔で、「お前のことだ。まだ続きがあるんだろ」と促すと、案の定であった。ズーマは、「ああ、そう言えば」といったいかにもわざとらしい顔つきで、

「そろそろ任務が終了してヴァレンス王女に復命する。そうすれば晴れてお役御免となりフリーになる。それからこの町に戻ってきて、黒髪の美しい少女と一緒になることには何の障害もない、というようなことを言ったかもしれんなあ」

 続けた。

 アレスは頭が痛くなってきた。

 今朝がたのセンカのつれない仕種の意味が分かったような気がした。

「任務が無事達成されるまでは重荷になりたくないと思って、センカ嬢はああいう言い方をしたんだろうな。それは、裏返し、お前への信頼でもある」

「……お前、オレに恨みでもあるのか?」

「大いにあるが、ソレとコレとは関係ない。わたしがセンカ嬢を気に入っただけの話だ。わたしくらい、多くの人間を見ているとな、その魂の質とでも言うべきものが分かるのだ。彼女は澄んだ水のような魂の持ち主だ。お前の汚れた魂を洗い清めてくれるだろう」

 アレスは背もたれに体を預けた。

 本人不在のところで勝手に結ばれた再会の約束を、センカはいつまで信じ続けるだろうか。

「どうする? 撤回したいならまだ間に合うぞ」

 ズーマは笑みを浮かべた。

 宿からはまだいくらも離れていない。確かに、今すぐ馬車を止めて宿に戻り、センカを見つけ、再会を約束することなどできないということを正直に伝えれば、それで事は済むかもしれない。しかし、アレスの中の何かがそれを柔らかく拒んでいた。その何かとはそう遠くない時の記憶の残影であり、その影に寄りそう哀しみである。

「……ここ、いい町だよな、ズーマ?」

「平和な町だ」

「もう一回来たいと思えるよな?」

「問うまでもない」

 アレスはシートから立とうとはしなかった。まして、馬車から飛び降りる気もなければ、センカのところに走る気もない。

 馬車は小気味良い車輪の音を響かせて街路をゆく。

 窓から車内に流れ込む風は涼気を含んで爽やかである。

 そんなとき――

「センカの告白ってなに?」

 錐のように鋭い声が、アレスの耳を突き刺した。

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