第68話「いざ、新天地へ」
エリシュカはその身を浅緑色のチュニックに包み、頭にはまるで被り物のような大きさの濃緑のリボンを留めていた。モチーフは草の妖精だろう、とアレスは推測した。
「どこ行ってたの?」
アレスの席の前に来て、じっと上からねめつけるような目をするが、そもそも迫力とは無縁のルックスの上に、その恰好では全く威厳が無い。アレスは思わず、よしよし、とエリシュカの頭を撫でた。途端にチュニックの裾を翻して、飛び来たるキレの良い蹴り。脇腹に飛んできたそれを、アレスはもう一方の手で止めた。
「何でこの子はこんなにキレやすいんだろうな、ズーマ?」
「尊重しないからだろう」
「最大限してるんだがなあ」
「では、スキンシップではないのか?」
「蹴りが? 猛獣のスキンシップの取り方だろ、ソレ」
エリシュカは、依然頭に載せられているアレスの手を払うと、「いつか当ててやるから」と憤懣やるかたない口調で言って空いている席についた。
「メシは?」
「食べた」
「体調は?」
「悪い。良かったら、今のキックであなたは死んでる」
「え、死ぬの!」
「うん」
言葉とは裏腹に、唇や頬は薄い薔薇色に染まっていて、血色は悪くない。何より昨日までとは違って、その小柄な体の全体に躍動感を感じる。アレスはズーマを見た。さすがは大陸一と内心で褒めてやった。口には出さない。増長するだけだから。
「そう言えば、キミ、オレに買わせた魔法剣はどうしたんだ?」
昨日研究所からエリシュカを引き取った時点で魔法剣は無かった。おそらく研究所で奪われたのだろう。あのとき回収しておけば良かったが、エリシュカの状態に少なからず困惑し、さすがにそこまで気にかける余裕が無かったのである。
「ザビルに取られたの。だから、もう一本買って」
「キミなあ。簡単に言うなよ。あれいくらしたと思ってんだ」
「知らないし、興味ない。もう一本欲しい」
アレスは浪費家の恋人に振りまわされる男の気持ちを味見してみた。ぺろっとなめてみただけだが、苦すぎる味だということがよく分かった。アレスは断固として首を横に振った。こういうことは最初が肝心である。
「剣も斧も槍も弓も杖も何も買わない。キミはまず我慢っていうことを覚えるべきだ」
「なにソレ、おいしいの?」
「おいしくないけど飲みこまなきゃいけないんだ。大きくなるためにはな」
「欲しい、欲しい、欲しい、魔法剣が欲しい!」
「うるさいなあ。金が無いんだよ」
「この甲斐性なし」
「その発言、マイナス100点だぞ、エリシュカ」
「何点でも引けば。じゃあ、もういいよ。アレスの持ってるヤツ、ちょーだい。体で払うから」
「キミはまたそういうことを。……って、ちょっと、違うよ、ヤナ。今の、この子の冗談だからね」
隣からヤナが、まるで道に落ちている動物の排泄物でも見るような目で自分を見てきているのにアレスは気がついた。昨日、エリシュカの「体で払う」宣言を聞いたセンカは直接、アレスの肉体にダメージを与えようとしたわけだが、ヤナの視線攻撃は精神にくる。アレスはテーブルに突っ伏した。
「その腰にある中古の短剣のヤツでいいから、ちょーだい」
エリシュカは、お菓子を買って欲しくてダダをこねる、しつけられていない子どものようなしつこさを見せた。
横から揺すぶられたアレスは、顔を上げると、今度ザビルに会ったときに奪い返してやるからと言って少女をなだめた。
「どこに行ったんだよ、あのロングコート?」
「多分、王都」
「じゃあ、ちょうどいいじゃないか。全ての道は王都に通ず、だ。王都に行けば、全て解決ってね」
王子が帰ってきたのは、昼頃のことである。
導かれたアレスたち四人が宿の前に出てみると、二頭立ての立派な馬車が威容を誇っていた。しかも、一台だけではなくて二台もある。
「一台は予備の車です。もう一台にもしものことがあったときの」
市長に対してどんなあくどい手を使ったのかは知らないが、その手まわしの良さにアレスは感心した。太子の代人を名乗るザビルが市長から鼻もひっかけてもらえなかったのに対して、ルジェの手際は見事である。どうやら王宮で美衣にくるまれてぬくぬく育ってきただけの男ではないようだ。
「そっちの人は?」
一台の馬車の前に控えるように立っていたのは、アレスとそう年が変わらないほどの少年である。引き締まった体つきをしているが、おどおどとして視線が落ち着かず、どこか頼りない印象を受ける。
王子は少し困った顔を見せた。
「馬車の一台の御をしてくれます。実は市長の息子さんなのです。同行することになりますが、よろしいですか?」
「凄いな。それも市長の好意なのか?」
「確かに好意もあるのですが、どうやら可愛い子には旅をさせよということらしく。一応お断りしたのですが、馬車をお借りする手前もありますので。勇者殿に相談せず、ボクの一存で決めたこと、お許しを」
許すも許さないもない。同行者が一人増えたところで、馬車は十分な広さである。窮屈になるわけでもない。少年については、アレスはそれ以上は突っ込まなかった。事情はみちみち聞けば良いことである。今は豪華な馬車の旅ができることが分かっただけで十分。
御の少年を除いた、アレスたち六人は早速荷を詰め込み始めた。