第67話「別れのあいさつ」
アレスはヤナの手料理に舌鼓を打った。料理については彼女はもっぱら食べるほう専門であろうと、勝手なイメージを持っていたことをアレスは素直に詫びた。
「いや、言わなくていいだろ。そういうことは」
ヤナが渋い顔をしながら、食後に甘いお茶を入れてくれた。
「これもわたしの育て方が良かったせいだな」
長が満足そうに言った。
「父さんやみんなに任せていると、豪快なものしか食卓に乗りませんからね」
ヤナが微笑みながら答える。その微笑は、荒野に咲く一輪の花のごとき可憐さに溢れており、筋肉男しかいないむさくるしい室内を明るく照らし出した。
アレスは、「それ!」と言って、びしいとヤナの顔を指差した。
「何かものがついている時以外は、人の顔を指差すなって習わなかったのか?」
ヤナは胡散臭そうな顔を作った。途端に、アレスは残念そうな表情で、
「ずっとさっきの表情だったら、絶対にモテると思うんだけどなあ」
言うと、
「お前も、ずっと真面目な顔してたらモテると思うぞ」
やり返された。アレスは残っていたお茶をずずずとすすると、
「オレの呪われた運命に付き添ってくれる女の子なんているわけない。いや、いちゃいけないんだ」
そう言って、首を振り振りしたのち視線を落とした。
ヤナは、すぐに準備を済ませるので少し待つように言うと、ダイニングを後にした。
ぽつんと取り残されたアレスに、隣から長の声。
「その運命とやら、わたしに話してみるか、少年?」
「いや、いい」
言葉通り、ヤナの準備は早かった。ヤナ・パパがおもむろに語り出した過去の冒険譚が、彼が初めの仲間と出会ったところで、ヤナは現れた。アレスは長に、また今度お話聞かせてください、と口先だけで適当なことを言うと、「ここからが面白いところなんだがなあ」と残念がる長をしり目に、席を立った。
「え、それ何、ヤナ?」
アレスの目が少女の胸の辺りに落ちた。今日の空のように清快な青色をしたぬいぐるみが彼女の小脇に挟まっている。どうやら竜を模したものであるようだ。
「これは……その、まあ、何も訊くな」
ヤナはもう一つの手に持っていた頑丈な造りのスーツケースを床に置くと、父に向かって別れの挨拶をした。
「自称アレスの正体と、王宮の内を調べてきます」
「気をつけてな。常に連絡を入れるようにしなさい。危急のときには『テッケン』の使用を許可する。しかし、できるだけ引くようにな」
「分かりました」
「ちゃんと毎日食べるんだぞ。できるだけお風呂に入って、入れないときも顔や体を拭うだけでもしなさい。夜はお腹を出して寝ないように」
「……分かりました」
「あと、アレだぞ。旅先で開放的な気分になって、ふらふら変な男についていかないようにな。一夜だけの契りとか父さん許さんからな。でもだからと言って男を遠ざけるんじゃなくて、旅先でいい男と出会ったらちゃんとアピールしておきなさい。相手のこともメモしておくこと。あとで探し出してやるから。ただ、ちゃらちゃらしたヤツはダメだぞ。顔にいろいろアクセサリーをつけたり、体に入れ墨したりな。父さん、そういうヤツはマジムカツクから」
「…………」
「それと折角王都に行くわけだから、王都で流行している詩人のサインを買ってきてくれ。あと、男物の香水な。何を選ぶかはお前に任せるから。えーと、それから――」
「じゃあ、お父さん、行ってきます!」
ヤナは元気よく声を上げると、スーツケースをがしっとつかみ、まだ何か言いかけていた父に対して決然と背を向けた。アレスが少女に従おうとすると、「娘を頼む」とからかいの色を綺麗に消した真面目な声がかかって、しかしアレスはそれに答えようとはせず、ただ肩をすくめてみせた。
ヤナを追って外に出たアレスは、彼女のスーツケースを持ってやった。
「面白いおっさんだな」
アレスが言うと、ヤナは嫌な顔をした。
「はたから見ている分にはそうかもしれないけど、こっちの身になってくれ。十七年間あの人の娘をやってるけど、どうにもあのテンションにはついていけないよ」
空から惜しみなく注ぐ日光のせいで早速暑くなってきた空気の中を歩いて宿に戻ると、まだ王子とその愉快な従者は帰って来ていなかった。
食堂のテーブルのひとつで優雅にお茶を飲んでいるズーマに合流したアレスは、エリシュカが起きたかどうか訊いた。食堂は朝食どきで徐々に混み始めている。
「さっきセンカ嬢に連れられて行った。なんでも服を用意してくれるらしい」
「それは助かるな。なにせほとんど金がないからなあ」
「また運良く山賊団にでも会えればよいがな」
「旗でも作って立てておくか。『ここに王子がいます』って。良からぬことを企むやつらをおびき寄せてつぶして、『悪いヤツやっつけました』ってことで、王子から褒美をもらうっていうのはどうだ?」
「おお! お前にしては冴えてるな」
まるきり良からぬ輩そのものの発言をしている二人とそれを呆れ顔で聞いているヤナのところへ、エリシュカが返ってきたのは、それからすぐのことだった。