第65話「準備は万全に」
センカの突然の変心にアレスは首を捻った。
確かに、気持ちが高揚してつい心にもないことを口にする、ということは彼女にもあるだろう。しかし、そんなときでもセンカなら「ええい、一度口に出したことだ。引っ込めるなんて、女がすたる!」と侠気を旺盛にして意地でも訂正しないような気がする。そういう心の強さというか、頑固さというか、他をかえりみない一途さというか。それがアレスのセンカに対するイメージだった。いくら色よい答えを得られなかったとしても、自分がした告白をあっさりと撤回するその軽やかな所作は、どうにもセンカに似つかわしくない。
ただし、センカの言動を怪しむ気持ちの中に、
「何だよ。オレのこと好きって言ったのはそんな軽い気持ちだったのかよ。ちぇっ。せっかく可愛い子から告白されたと思ったら、これか」
という逆ギレ気味の恨みがましい気持ちがあったとしたら、それは男を下げるというものだろう。断ったのは彼自身なのだから。
「もちろん、断じてそんな気持ちは無い!」
食堂に戻ったアレスはテーブルに拳を打ちつけた。ただし、軽くである。音は立たなかった。
「お前はきっと昨日という日を後悔することになるだろうな」
しみじみとした声を出したのは、アレスの義兄だった。テーブルの椅子にゆったりとかけた彼は、波打つ銀髪の中で、口元をにやつかせている。椅子についたアレスは、どういうことか、尋ねた。
「あれほど美しい子がお前のことを気に入るということはお前の残り少ない人生の中でもうあるまい」
「残り少ないってなんだよ?」
「わたしには分かる。おまえはそろそろ死ぬ」
「おい! 朝っぱらからふざけんな!」
「わたしが冗談が嫌いだということはお前も承知の通りだ」
嫌いどころか、ズーマの口から出ることは、およそ九割が冗談、残りの一割は悪口である。
「わたしの予知能力によると、このままだとお前は遠くない未来に、なんかしら邪悪な敵になんかしらの強大な攻撃を受け、なんとなく死ぬ」
「なにその死にかた! それに、お前、予知能力なんてないだろ」
「わたしがいつ無いと言った。わたしはこの大陸で最高の魔導士だぞ。未来予知くらいできないでどうする」
そう言うと、ズーマはしげしげとアレスの顔を覗き込むようにした。
アレスはうっとうしそうに手で払うしぐさをした。
ズーマはつるりとした顎先を手でなぜると考え深い様子で言った。
「お前には女難の相が出ている」
「何だよ。女難の相って?」
「女性による災難を受けるという人相のことだ」
「それ、予知能力じゃないだろ。占いだろ」
「わたしは占いにも精通しているのだ」
――予知能力あるのに、なんで占いなんかするんだよ!
心の中で突っ込んだアレスは、しかしそれを口に出してズーマを喜ばせてやるほど、彼のことは好きではなかった。
背中を真剣の刃先でちょんちょんと突っつかれているかのような感じがして、バッと振り向いたアレスは、三歩ほど離れたところに細身の少女を見た。ヤナである。彼女は感心したような顔をして近づいてくると、
「気づかなかったら殴るつもりだったんだけど、さすがだな」
純粋な褒め言葉と取るにはいささか剣呑なセリフを楽しげに言った。昨日はポニーにしていた亜麻色の髪が今日はおろされていて、女性的なニュアンスを高くしている。
「なんで殴るつもりだったんだよ?」
「何となくだ」
ヤナはしれっとしている。
いわれない暴行を受けてはたまったものではない。アレスは椅子をずらして、少女から身を離した。
「ちょっと家から服を持ってくる」
「最終確認だけど、本当に一緒に来るのか、ヤナ?」
「迷惑はかけない。いいだろ?」
「迷惑だとは思わないけど、危険かもしれないから、警告はしておくぞ」
「なんで危険なんだ? ただ王都に行って王に会うだけだろ。そうして気に入ってもらえば、お前はミナンに仕官することになる。王からは支度金が払われ、その一部をあたしへの支払いに充てる。違うか?」
アレスはズーマと目を合わせた。それから顎をしゃくるようにする。ズーマは静かに首を横にした。
ヤナは二人の様子を怪訝そうに見ていた。
「なんか間違ったこと言ったか、あたし?」
アレスは立ち上がると、自分より少し背の高い少女の肩をぽんと叩いた。
「ヤナ、これだけは信じてくれ。オレは必ずあんたへの借りを返す」
その口調がいやに真剣なものだったので、ヤナは面食らった。
「いや、それは実際信じてるんだ。昨日今日知り合った子どものために命を張るようなヤツだからな。昨日も言ったけど、別に、信じてないからついていくわけじゃない。ただ面白そうだからだよ。それに同行する王子から色々有益な情報を聞けるかもしれないからな」
ヤナは正直に言った。
アレスはズーマに、「こんないい子が何でモテないんだろうな」と言って、ヤナの顔を険しくさせたあとに、
「服を取りに行くんだっけ? オレを人足として使ってくれ」
手伝いを申し出た。