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第64話「移動は馬車でしよう」

 ニヤケ面のアレスに近づく人影があって、

「おはようございます」

 と思わず聞き惚れるような綺麗な声を出した。王子である。ルジェは朝日のような美貌を惜しげなくふりまいていて、アレスは目がしぱしぱした。

「昨夜はよくお休みになれましたか?」とルジェ。

「久しぶりにな」

 アレスは微妙な心もちで答えた。確かにぐっすりと休めたが寝起きで疲れたので、あんまりいつもと変わらない目覚めだった。

「これから王都までよろしくお願いします」

 ルジェは軽く頭を下げた。

 アレスは丁寧語をやめるように言った。本来なら身分上、彼の方が言葉遣いを丁寧にしなければいけないわけだが、そういう細かい所にこだわらない大らかさがアレスにはある。

「これから出発したいと思いますが、準備を整えますので少し待っていただけますか?」

「丁寧語!」

 王子は苦笑した。

「馬車を調達してきます。女性がお二人いますからね」

 アレスは感心した。さすが王子である。馬車は安い買い物ではない。しかし、そのくらいの金はどんと持ち歩いているわけだ。

「山賊に気をつけた方がいいぞ」

「いえ、大した額は持ち合わせていません。というより、ほとんど持ってないのです。どうやら無駄使いをしてしまったみたいで。十重(とえ)で暮らしていたため、いまだに金銭感覚があまり無くて、フェイにいつも怒られています」

 十重とは宮殿の異称である。王のまします宮中がいくつもの壁によって何重にも守られていることからその名は由来している。

「じゃあ、どうやって? まさか、王の御名(みな)において無理矢理接収するのか?」

 王子は笑って首を横に振った。そんな強盗めいたことはしないらしい。

「市長に頼んでみます」

「頼んでどうにかなんの?」

「分かりません」

 実に良い笑顔で言い切る王子に、アレスは不思議な魅力を感じたりはしなかった。こいつはアホか、アホなのか、と思った。なにせ国内を漫遊する道楽王子である。頭のネジが一本飛んでいるか、あるいは、よほどの大人物だろう。まあ、どっちにせよ面白い、と感じるアレスの頭のネジも何本か外れているのかもしれない。

「オレはなくしてしまったそれらを探しているんだよ、ルジェ」

 アレスは遠い目をした。

 ルジェが返答に困っていると、王子の忠実な家来が頭に寝癖をつけたままやってきた。

「王子、また勝手にどこかに行こうとして。起こしてくださいよ」

 フェイが口を尖らせながら言う。

 いや、お前が先に起きろよ、と思ったアレスだったが、他人の上下関係に首を突っ込むような馬鹿馬鹿しい真似をしないだけの分別はある。

 アレスに一礼したルジェは、フェイを伴って宿を出た。「朝メシ食ってからにしましょうよ、王子」と部下に言わせるあたり、ルジェはかなり温厚な人間なのだろうとアレスは推測した。

 お腹が健全に自己主張を始めたので、アレスは席を立って厨房へと向か……おうとして、ピタリと足を止めた。よくよく考えれば、いや大して考える必要もなく、厨房に行けばこの宿が誇る看板娘に会うかもしれない。もし会えば、昨日の今日のこと、これはとっても気まずいことになること請け合いである。その気まずさに、大地は震え、天は裂け、時はその流れを止めるであろう。そんなことになってしまったら、これはひとり自分の問題にはとどまらないぞ、とアレスは思った。大勢の人に迷惑がかかる。

「よし、朝メシは外で取ろう」

 そう心を決めたチキンボーイが、宿の玄関へとトコトコと歩いていった先に、まるで計ったようにセンカがいるのだから、これは今日一日がどんな日になるのか予測できようというものである。

 アレスは足を止めた。

 センカがこちらを見る。胸まで流れる黒髪が朝の光の中で艶やかである。彼女のきりっとした瞳にはいつも通りの落ちついた色があって、しかし、それは精一杯の強がりに違いない、とアレスは思った。きっと昨夜はアレスの心無い言葉に泣き明かしたのである。それにしては、涼やかな目元であって、泣きはらしたような跡は全く見えなかったのだが、アレスの心の中ではまっくらな部屋の中でひとり寂しくしくしくしている繊細な少女の姿が見えていた。やらねばならないことだったとはいえ、なんと残酷なことをしてしまったのか。

 そんな、勘違いモテモテマンの後悔の苦みを味わえたのは一瞬だけのことであった。

 センカは、おはよう、と挨拶したあと、人見知りの子どものようにもじもじしているアレスに向かって一言、

「昨日のことなんだけど。あれは忘れてください。ちょっとテンションが上がってたみたい」

 とはっきりと告げたあと、笑顔を見せてから、すっとその場を離れた。

 あまりに唐突で簡潔な物言いに呆気に取られるアレス。女心が白菊の花の色のように移ろいやすいものであることは噂では知っていたが、しかしこれはいくら何でもという感がある。とはいえ、彼女の背を追って、一体どういうことか事情を訊く資格がある訳でもなく、とりあえず外に出るのはやめようと思い、アレスは食堂に戻った。

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