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第63話「旅立ちの朝」

 朝の光と鳥の鳴き声のなかでうつらうつら、夢と現実の境目で遊んでいると良いにおいがした。

 花のような香である。

 ぼんやりと目を開けたアレスは、感じた芳香に、花畑かどこかで昼寝でもしてしまったのだろうかと一瞬考えたが、そんな乙女チックなことをしていなかったことはすぐに分かった。

 花の正体は、花のような容姿の少女である。

 目をぱちぱちさせてはっきりしたアレスの視界に、エリシュカの寝顔が映っている。すやすやとした寝息を立てている少女のその花顔は、まつ毛がはっきりと分かるほど間近にあって、アレスは驚きに絶叫しそうになる自分を、どうにかこうにか抑えつけた。これまでの一生で最も自制心の力を借りた瞬間だったかもしれない。

 ギリギリで平静を保ったアレスが、まずなすべきことは、今現在彼が身を横たえているベッドがズーマのものかどうかということだった。ゆっくりと起き上がって、確かに昨日自分が寝たベッドであり、エリシュカが入ったベッドではないということが分かると、とりあえずほっとした。女の子が寝ているのに乗じてそのベッドにもぐりこむなどという変態的行為をしたわけではなさそうだ。

 とはいえ、この状況はあまりにも危険である。アレスはちらりと、毛布にゆるやかにくるまったエリシュカに目を向けた。下着姿の彼女は、胸や腰回りは隠されているものの、首元から腕、脚も露わになっていて、こんなところを見られたら最後、どんな誤解を受けるか分かったものではない。そうして、アレスの言い分を聞いてくれそうな者は仲間の中にはおらず、今日以降、アレスの二つ名は「勇者」から「変態」、あるいは「痴漢ヤロウ」に格下げになること間違いない。

 脱出あるのみである。

 アレスは静かにベッドを抜けようとしたが、服の裾が何かに引っかかったようである。確かめてみると、それはエリシュカの手だった。「逃がさない」と言わんばかりにアレスのシャツをギュッと握りしめている。手を外そうとしたアレスだったが、親のかたきのように思いきりつかんでいてなかなか外れない。こいつ本当は起きてるんじゃないかと疑ったアレスが、ほっぺたを人差し指でつんつんしてやると、幸せそうに微笑んだのでドキっとした。憎たらしい子でも寝ている時だけは可愛いというが、どうやら本当だったらしい。

 アレスは丁寧に一本ずつエリシュカの指を放していき、苦労して全ての指をはなすと、ベッドを出ようとした。とたんに再び裾が引っ張られるような感覚。アレスは、エリシュカの顔をよおく見た。大地の神の使いのような清澄な微笑が、なんだかにやけているように見えるのは気のせいか。アレスは、いつの間にかつかまれていたエリシュカのもう一つの手を、我慢しながらほどきはじめた。

 そんなことをして朝っぱらから無駄に精神を疲労させたアレスだったが、無事ベッドから出ることができて事なきを得た。胸をなで下ろす。それにしても、なぜエリシュカは、寝ている間に男のベッドにもぐりこむというおよそ淑女らしくない真似をしたのだろうか。ちょっと考えたアレスだったが、答えは出ず、とはいえそれ以上考え込むのは面倒だったので、きっと夜中に寝ぼけたのだとそういうことにしておいた。

 そこで気づいたことが一つ。

――そう言えば悪夢を見なかったのは久しぶりだな。

 アレスはほぼ毎晩悪夢を見ることができるという、誰からも全く羨ましがられることのない特殊能力の持ち主だった。しかし、昨夜は違った。さして良い夢とも言えないが、普通の過去の記憶である。もしかしたらエリシュカのせいか、とふと考えたアレスは、慌てて首をぶんぶん振って考えを改めた。

「この軟弱者!」

 アレスは自分を叱りつけた。エリシュカに添い寝してもらえば、これからも悪夢を見なくて済むのではないかと一瞬考えてしまった自分に嫌悪感を覚えたのである。そのとき、エリシュカがごろりと寝返りを打って、白い太ももをさらした。アレスはすばやく翻意した。

「軟弱もいいかもしれない」

 だいたい剛強であっても何ら良いことはない。アレスは自他ともに認める強者であるが、強くて得したことがあったかと言われると、どうにも心もとない。強さはまた新たな強さを呼び、容赦ない激闘がスタート。そうしてその戦いから得られたものは、戦いは空しいという真実だけである。

 アレスは剣を置いた自分をほわほわと想像してみた。戦いの連鎖を断ち切ったアレスは、どこか平和な町で暮らす。もちろん隣には気立てが良くて可憐な少女がいる。アレスは剣を放した手で彼女の手を握るだろう。穏やかな時間の中で、二人は互いを思いやりながら生きていくのだ。

 空想をやめたアレスはざっと身だしなみを整えると、短剣を腰に帯びて、剣を手にした。それから部屋を出て階下におりる。食堂に入ると、軽やかな光の中を歩いて壁際に席を取った。人影はまばらである。今日はこれから旅の用意を整えて、イードリを出る。王都まで正確な日数は分からないが、一週間くらいだということだ。

 王都行きは思いがけない成り行きだったが、アレスはあまり気にしていない。これまでの人生の中で自分の思い通りになったことなどないのであるから、もう半ば諦めているのである。

「運命に翻弄される少年」

 つぶやいてみたアレスは、これはなかなかカッコイイかもしれないぞ、とひとりニヤニヤしたのだった。

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