第61話「エリシュカの告白」
「いい?」
エリシュカが言った。許しを与える前に、彼女はさっさと入ってきた。パタンという音とともに室内はまた薄闇に閉ざされて、窓から射す月光が唯一の明かりである。アレスは灯りをつけようとしたが、エリシュカに止められた。彼女はそのままアレスの隣にちょこんと腰を下ろした。
「誰と話してたの?」
「誰とも」
「声が聞こえた」
「独り言だよ」
「ズーマの声も聞こえたけど」
「空耳だろ。ズーマは下で酒を飲みながら、マダムを引っかけてるところだ」
エリシュカはそれきり少しの間、口を閉ざした。
やがて綺麗な声が闇の中に昇った。
「明日、王都に行くの?」
「お節介はやめろとか言うなよ。もうオレは決めたからな。キミはただオレの決めたことにハイハイ従ってればいいんだ」
アレスは傲慢に答えた。この件で議論をしたくなかったのである。
「王都に行くならやりたいことがあるの」
「やりたいこと?」
「うん」
アレスは無言で先を促した。
「姉さまを助けたい」
いかにも唐突なエリシュカの言葉にアレスは口を差し挟まなかった。
エリシュカは先を続けた。それは彼女が研究所から逃げ出して、下働きの山賊団に追われ、アレスの前にごろごろ転がって来た件とも関係のある話だった。
「わたしはここから南にある村で暮らしてたんだけど、二年前に死病にかかって、村から追い出された。わたしの一族は病気や死をケガレとして忌み嫌うから、重い病気にかかったら村にはいられない。家族が研究所に連絡して、わたしは村を出たあと研究所に入った」
何の感情も香らない声である。
「博士は初めから完治はしないって言ってたけど、わたしはどうでも良かった。死ぬまで生きてるだけで良いって思ってたから。研究所にはわたしの他に死病にかかった子が何人か集められていて、だんだんと死んでいった。研究所の裏手には墓地があって、死ぬとそこに葬られるの。死病にかかった『絶海の子』の中で最後に残ったのがわたしだった」
エリシュカの声は淡々としている。その声は、同情を誘うでもなく拒むでもなく、単なる事実を述べているかのような調子で、だからこそ返って胸に迫るものがあって、そうしてそういう風に感じられる自分であることに、アレスは驚いて、またどこかこそばゆいものを覚えた。
「死病を癒す呪式の研究の他に、戦闘用の呪式も開発されていて、その実験体のひとりが姉さまだったの」
エリシュカの声が弾みを帯びた。
「姉さまは初めて会ったときから本当の姉さまみたいにしてくれて、わたしのこと大事にしてくれた。姉さまと一緒にいると楽しくて、研究所に来てから楽しいっていう気持ちがどういうことか初めて思い出せたの。たくさん色んな話をした。たまに一緒に研究所を抜けだしたりして。わたしはどうせ死ぬから姉さまのために生きたいと思った」
灯りをつけなくて良いとエリシュカの言った意味が分かったアレスは、あえて彼女の顔を覗き込もうとしてやったところ、ペシッと頬に平手を受けた。
「姉さまは開発された戦闘用呪式のテストをするため、たまに研究所からいなくなった。その呪式の威力を試すために人とか獣を殺してたの。研究は完成して、王都から迎えが来た。姉さまは実験体のサンプルとして王都に送られることに決まった。わたしが研究所を出たのは、姉さまが王都に送られる前に姉さまから頼まれたことをしたかったから」
そこでエリシュカはあくびをしたようである。
緊迫感が台無しになった。獣はともかく人を殺していたというのは聞き捨てにできないことである。エリシュカはあろうことか、続きは明日でいいかなどと言ってきた。それへの答えとして、アレスはベッドの上に垂れた少女の髪を手探りでさぐって軽く引っ張ってやった。途端に隣から、肩口に頭突きを受けた。
「姉さまがどうして戦闘用の呪式を受けるようになったのかは教えてもらえなかったけど、でも、本心からそうしたかったわけではないみたい。もう呪式に従うのは耐えられないから、助けて欲しいって言われたの」
「助ける?」
「そう」
自分よりも年下の少女に酷なことを求める子だなあ、とアレスは思った。
「だから、わたしは武器が欲しかったの。それも魔法剣が。姉さまにかけられた呪式の中に、体を固くして防御力を上げる呪式があって、普通の剣では傷をつけることもできないから。魔法剣じゃないと攻撃が利かないの」
アレスは首を捻った。まるで倒そうとでもしているかのような言い草である。
「そう、倒すの」
「え? 今さっき『助ける』って言ったよ」
「倒すことが助けること」
「意味分からん。アホなオレにも分かるように言ってくれ」
「姉さまに頼まれたの。自分を殺して欲しいって」
確かにアレスにも理解できる表現に直っていた。
が、それはまた新たな疑問を産んだだけである。