第57話「勇者を試そう」
お腹いっぱいになったアレスは席を立つと、明日宿を出る手続きをするため、サカグチ氏を探した。後ろからルジェとフェイがついてくる。どうやら、二人もここに泊まるらしい。
「ここからちょっと北に行ったところに、政府お抱えの呪式研究機関がある。知ってるか?」
アレスは、テーブルから十分に距離を取ったところで、ルジェに訊いてみた。
「はい、知ってます」
はっきりとした答え。
「ふーん。なるほどね」
おもむろに立ち止まったアレスは振り返ると、ルジェの隣にいる茶髪の青年を見た。
「あんた、オレがアレスだってこと疑ってんだろ?」
フェイは、ちらりと王子を見てから、不承不承、「いや」と首を振った。
「遠慮すんなよ。オレは確かに勇者ってルックスじゃない。それは自分でも分かってる。昼間も武器屋のオヤジに否定されたばかりだしな」
何が言いたいのか分からないというような顔をフェイは作った。
「オレの力を見せてやるよ。少なくとも自分より強い人間だってことが分かれば、ちょっとは納得するだろ」
アレスはそう言うと、右手でちょいちょいとフェイを挑発するようにした。
フェイは目に険悪な色を浮かべたが、
「おれは大人だ。ガキのざれ言に付き合う気はねえ」
鼻をならしてかわそうとした。
唐突な展開にさっきの夕食時のフェイの言動が気に障ったのかと思ったルジェが、慌ててとりなそうとしたが、
「いや、そういうんじゃない。ただ、これからしばらく一緒に旅するわけだから、いちいちつっかかってこられるのも面倒なんで、上下関係をはっきりさせたいと思っただけだ。あんたから情報を訊き出すついでにな」
アレスはのんびりと答えた。
「情報?」
「そ、情報。今からあんたを脅迫する」
「え?」
その瞬間、ルジェは肩をつかまれたかと思うと、力任せに思いきり後ろに飛ばされ、宿の床に尻もちをついた。ルジェは信じられない顔で、フェイを見た。
「何を――」
「てめえ! 何のつもりだ!」
ルジェの批難の声は、フェイの怒声にかき消された。フェイは腰の剣に手をかけている。
「まあまあの反応だな。さすが王子のお守り役」
ちゃかすように言うアレスの左手には短剣が握られている。呪文を唱えれば長剣と化す魔法の武器である。いつの間に腰から抜いたのか、ルジェには全く分からなかった。
「何のつもりだって訊いてるんだよ!」
「だから、あんたに試してもらいたいと思ってるってさっきから言ってるだろ。やる気が無いようだから、その気にさせてみただけだ」
「王子に刃を向けるとはな……死にたいのか、お前?」
「誰がオレを殺すんだ?」
かっと目を見開いたフェイは剣を抜こうとした。無論、斬るつもりである。言葉遣いだけならまだしも武器を向けるとは、許される無礼の範囲を通り越している。あとでルジェに怒られるかもしれない、という頭はフェイには無かった。そこまで考える余裕が無かったのである。
まるで錠でもかかっているかのように、抜こうとした剣は鞘に収まったまま出てこなかった。
「はい、おしまい」
目前からまるで子供が遊びを楽しんでいるかのような気楽な声が上がる。
フェイの胸元には短剣の切っ先が向けられている。
フェイは唖然とした。アレスの動きが全く見えなかったのだ。剣を抜こうとした次の瞬間に、まるで始めからそこにいたかのように目の前に黒髪の少年が現れた。そうして、左手からは短剣が伸びており、右手は、剣を抜こうとしたこちらの手の手首を押さえつけている。剣が抜けなかったのは、それが原因だった。
「ちょっとは信じる気になったか? まあ、こんなのはただの余興だけどな」
諜報部の仕事は国内外の情報を収集することである。けして戦闘ではない。しかし、収集した情報を守り持ちかえるためには、それなりの戦闘力が要求される。その要求に応えるため、フェイも厳しいトレーニングを経て剣の腕前を磨いてきた。自分のことを達人だと思っているわけではないが、少なからぬ自信はある。それなのに――
「がっかりすんなよ。あんたの戦場と、オレの戦場は質が違うってことさ。あんたもオレがいた戦場を経験してみるといい。強くなることに興味あるならな。すぐに強くなれると思うぜ。……ま、死ななければだけどな」
アレスは、すっと身を離すと、短剣を鞘に納めた。
フェイはなかなか剣の柄から手を離せなかった。どうやらあまりの驚きに手が硬直してしまったようである。やっと手が離れそうになったとき、後ろから足音がして、騒ぎを聞きつけた宿の少女が近寄ってきた。
「アレス、何の騒ぎなの?」
黒髪の少年は途端に委縮した。これまでの不遜な態度が影を潜め、女の子におどおどする様子は、まるで恐妻家のそれである。
「何でもないよ、センカ」
「何でもないことないでしょ。どうして、ルジェさんが倒れてるの?」
「イイ男だってたまには転ぶだろ」
センカはじろりとアレスを見たが、そのあと、立ち上がった王子に対して、
「何かされたんですか、アレスに?」
と心配そうな声をかけた。
アレスは両拳を合わせて、祈りのポーズを作ると、ルジェに目くばせした。
「いいえ、ボクが勝手に転んだだけです」
すぐに発せられたルジェの朗らかな声。
アレスの祈りは大地の神に通じたようである。