第50話「サージルスの石」
裏通りから大通りへと出ると、夕闇までまだ時間のある町には人の数が多い。
「それにしても、変わった人だな。ヤナのオヤジは」
アレスがのんびり言った。
「よく言うよ。あたしからすれば、あのオヤジのノリに付き合えるお前の方がよっぽど変わってる。オヤジは普段は普通なんだけど、怒るとノリがうっとうしくなる。多分、怒りに任せて普段溜めこんでるものを吐き出すからだろうけど」
「じゃあ、あれ、相当怒ってたのか?」
「我が娘が組織の規律を破ったんだぞ。当たり前だろ」
おかしな怒りの表現もあったものである。しかし、それを笑える立場にアレスはいない。
「悪かったな、としか言えない。でも、おかげで助かった」
「別に謝ってほしいわけじゃない。久しぶりに面白かったしな」
ヤナは屈託のない笑みを見せた。そういう笑い方を心がけて、言葉遣いを柔らかくし、ちょっと女の子っぽいフリフリドレスでも身につければ、いくらでも男が寄ってくるだろう、とアレスは思った。思っただけでなく口に出してしまうところに、自分の真正直さがあると力強く断ずるアレスである。
「余計なおせわだ」
渋面を作るヤナ。
「それ良くないと思うね。やっぱ女の子はスマイリーじゃないとな」
「おかしくもないのに、そうそうバカみたいに笑えるか」
「でもそれができる子がモテる」
「そんなことでモテるのはしょうもない男にきまってる。そんなのにモテてどうする」
「それは実際にモテてから言う言葉だろう。じゃないと、ただの負け惜しみ」
「勝ち負けの意味が分からないけどな。あたしのことよりお前はどうなんだよ? ヴァレンスに恋人を残したりしてるのか?」
「カマのかけ方がストレート過ぎるなあ。ちょっとはお父さんを見習えよ」
「『お父さん』言うな。別にカマなんかかけてない。ヴァレンスじゃなくても、どこだって構わないさ。つまり故郷にってことだよ」
アレスは、ふっ、と寂しげな微笑を浮かべると、柔らかい色になってきた空のそのはるか彼方を見やるようにした。
「あー、もういい、良く分かった」
「何が?」
「お前がまたつまらないこと言い出そうとしてるのがだよ」
「心外だな。今日初めて会ったばかりなのにオレのすることが分かるのか?」
「分かりやすいよ、お前は」
自分のことを奥深い男だと思っていたアレスはがっかりしたものを覚えた。
前方、少し離れたところをエリシュカとズーマが歩いている。
エリシュカは何か怒っているようであるが、アレスにはさっぱりその原因が分からない。何をした覚えもないのだから、奇妙である。
「まあ、エリシュカも女の子の端くれだからな。女の子っていうのは理由なく怒るもんだ」
「そんなわけあるか。お前、女を何だと思ってる?」
「可愛い顔をした怪物」
「たく……それで、あのちびっ子のことを愛しちゃってるわけだな、お前は?」
「昨日会ったばかりだぞ」
「でなきゃ、国の施設に襲撃をかけるなんてバカなことをする理由が立たないだろ」
「そんな大したことでもないだろ。成り行きだよ。エリシュカがあまりにも勝手だったから腹立っただけだ」
アレスは首を回しながら気楽な様子である。
ヤナは呆れた。
女の子にむかついたから、国家権力に歯向かうなどというのは、正気の沙汰ではない。しかし、それを正気でやるだけの力をアレスは確かに備えていて、そうなるには一体どれほどの狂気にさらされて来たのだろうと思うと、背筋が立つのを覚えるヤナだった。
「で、今度はミナン王家を敵に回すつもりか。それとも、ヴァレンスか?」
「さあ、どっちにしようかな。ミナンの都に行っても、山を越えてヴァレンスに入っても、ここからじゃそう距離も変わらないしな」
「おいおい、冗談だぞ」
「オレは本気だ」
「なりゆきの子ども一人を助けるために、国を相手取るつもりか?」
アレスは不敵な笑みを見せた。
エリシュカの病を治すために必要な魔法の道具は、ミナンとヴァレンスの宝物庫に眠っている。
そう言ったのは、エリシュカにとりあえずの呪文をかけたあとのズーマだった。
「サージルスの石という、もともとはミナンの国宝だ。二つで一組だったのを、今から三十年前、ミナンの先王が友好のためにヴァレンスに贈ったのだ。それ以降、ヴァレンスはミナンに一度も敵意を向けていないのだから、前ミナン王の商才もなかなかだな」
国宝をどうやって手に入れればいいのか、などということをアレスは聞かなかった。そうそう何でもかんでも聞いてばかりいては男がすたるし、ズーマにもそんなことは分からないだろう。それが証拠に、銀髪の青年は、してやったりといった顔をしていた。人の、特に相棒の困った顔を見るのが心底好きな、いやらしい顔であった。
「まあ、何とかなるさ。気楽に行こうぜ、ヤナ」
ヤナはやれやれと首を振って、軽く天を仰いだが、しかし、アレスが言うと本当に何とかなりそうな気がするのが不思議だった。
宿はもうすぐのところである。