第47話「子の心、親知らず」
「お前はいったい何を考えているんだ。いくら長代行とはいえ、料金を受け取る前から組織を動かすとは。これは重大な規律違反だぞ。そんなことが分からないお前ではないだろう。もしかして、反抗期なのか? 父の言うことに逆らいたい年頃か?」
両目から涙の滝を作りながら一息にまくしたてる様子は、今まで一度も親の望まないことをしなかった娘が無断外泊したことにショックを受けた母親のそれであった。
「落ちついて下さい、お父さん」
外では「おやじ」呼ばわりしていたヤナだったが、中では丁寧な口調である。
「これが落ち着いていられるか。やたらめったら親に反抗する時期でないのだとしたら、この父に対してもともと何か思うところがあるのだろう。はっきり言ってくれ、悪いところは父さん直すから。いくらでも批判してくれていいいんだ。しかし、加減はしてくれよ。男手ひとつでお前を育てて来たわけだからな。そこを考えてくれないと困るぞ。大体、男親なんてものは女の子のことなんかさっぱり分からんからなあ。言ってしまえば、未知の生物だよ。ついているものがついていないだけで、なぜこうも変わるのか、本当に神秘だな。……あ、こういうところが嫌われるのか? オヤジくさい? すまん、前言撤回する。とにかく、言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。誤解っていうのはコミュニケーションを取らないことから生まれるんだ。そう言えば、お前とこの頃ちゃんと語り合っていなかったからなあ。いや、何て言うか、お前ももう十七になって随分女らしくなった。昔は見た目、男の子と変わらなかったわけだが。それで我が娘ながら、どうにも気恥ずかしい感じがして、目を合わせるづらいというか。こんな気持ちになったのは母さんと初めて出会ったとき以来だな。お前は本当に母さんに良く似てるよ。まあ、母さんの方がお前よりももっと美人だったけどな。……って、おいおい、父さんに何を言わせるんだ、ヤナ!」
泣いたカラスがいつの間にか朗らかに笑い始めていた。しかも照れ笑いである。
アレスはズーマと目を合わせた。そのあと、エリシュカとも目を合わせてみる。読心術の心得などないアレスだったが、ズーマとエリシュカの気持ちは明確に伝わってきた。
父と娘のハートフルストーリーの現場から、くるりと背を向けたアレスは、しかし歩き出すことができなかった。凄い力で片手の手首の辺りが握られている。握っているのは誰か言うまでもない。
「父さん、組織を軽率に動かしたことは謝ります。考えが足りませんでした。でも、収穫はありました。ロート・ブラッドと呪式研究所がつながっていること、呪式研究所での研究内容の一端、あとは、これはまだ未確認なのですが、ヴァレンスのアレスの行方」
アレスはグイと腕を引かれ、無理矢理前を向かされた。その目に、長のうさんくさそうな目つきが映る。
「聞いて下さい。この人が――」
ヤナがアレスを紹介しようとした瞬間、
「う、うわああああああ!」
長は両手で耳をふさぐと発狂したような叫び声を上げた。そのままよろよろと後ずさって、先ほど座っていた肘掛椅子の肘の部分に手をついて体を支えるようにする。「長っ!」と駆けよる部下たちに片手を向け、
「わ、わたしは大丈夫だ」
言葉とは裏腹の弱々しい声を出した。彼は椅子から手を放し体を起こすと肩で息を整えるようにした。そのあと、遠い目をして何もない中空を見やりながら、
「こういう日が来ることは分かっていたんだ。娘にボーイフレンドができ、彼のことばかり考えるようになって、わたしは一人になる。いや、もちろん、嫌だというわけではないんだ。子はいずれ親のもとを離れるものだ。しかし、やはりそれは寂しい。何と寂しいことではないか」
誰にともなく言うと、周りから同意と慰めの声がかけられた。
「違います、父さん。この人は――」
「言うな、娘よ。ごまかさなくていいんだ。わたしはけして反対などしない。世の中には娘が連れて来た男を頭から認めないような親もいるが、わたしは違う。お前が気に入った男なら、それなりの男のはずだ。わたしに会わせようと連れてくるくらいだから、よっぽどだ」
長はアレスの前まで来た。
じっと見られたアレスは、長を見つめ返した。すっかり緊張が解けたアレスは空腹を覚えてきていた。
「なかなかいい目をしているな。その年に似合わぬ、まるで何度も死線をくぐり抜けてきた歴戦の猛者のような目だ」
「いや、だから、父さん――」
「ヤナと付き合うことを許そう。意地っ張りなところのある娘だが、仲良くしてやってくれ。しかし、わたしのことはまだ『父さん』とは呼ぶな。いくら何でも早すぎるからな」
バンバンとアレスの肩を叩きながらハッハッハと大笑する長のすぐ近くで、少女の細くしなやかな肩がふるふると震えていた。
「いいから、あたしの話を聞け! このクソおやじ!」
ヤナはよく耐えた方であるとアレスは思った。
これまでのやり取りで、彼女が父との対面を嫌がる気持ちが、アレスには十分に、いや十二分によく理解できていた。