間の話3「待ち人なかなか来たらず」
「鉄の天馬」亭の食堂は、けだるい午後の中にあった。昼食時が過ぎ、ランチをかっこむにぎにぎしい雰囲気は遠のいて、静か。室内は、やわらかな光にしっとりと浸されている。十台ほどあるテーブルは一つしか埋まっていなかった。
そのオンリーワンに、二人の青年が座っている。二人ともまだ若い。二十歳を過ぎないくらいの年である。一人は輝くような容姿を持つ金髪の美青年であり、もう一人は、クセのある茶髪を持ち、あごの辺りに無精ひげを生やした、ワイルドと言えば言えるし、単にだらしないと言えばそうとも言えるような、微妙なライン上の青年だった。金髪の青年は、整然と椅子にかけて古ぼけた表紙の本を一心に読んでおり、茶髪の青年は、生あくびをかみ殺すことに夢中だった。
食堂に本のページをめくる音だけが響く。
やがて、それにカタカタカタという何かが小刻みに揺れるような音が混ざった。
金髪の青年は本を閉じると、
「何か食べるかい、フェイ?」
テーブルにつっぷして貧乏ゆすりをしていたクセ毛男に優しい声を落とした。
茶髪の青年は体を起こすと、顔をしかめてみせた。
「やめてくださいよ、王子。子どもじゃあるまいし」
「でも、ヒマなんだろ?」
「ですけど、だからって」
「それなら町でも見物してきたらどう? ボクは一人でも構わないよ」
「そんなわけにいきませんよ、仕事なんだから」
フェイがいっそう仏頂面になると、青年は笑った。
「笑うとこじゃないでしょ。今回みたいなことはやめてくださいよ、ホント。まさか、王子に置いてかれるとは思いもしませんでしたよ」
「それはもう謝ったじゃないか。悪かったよ、一人で研究所に行ってしまって。ミハイル博士にお会いできると思ったら、矢も楯もたまらなくなったんだ」
「心配したんスからね。おれの首も飛ぶところでしたし」
「何だ。ボクの心配じゃないのか」
「え? いや、モチロン、自分のことより王子の御身の方が心配でしたよ。とーぜんス」
「ありがとう。フェイがいてくれるからボクは安心して旅ができるよ」
そう言って、にこりと笑う青年を、フェイは眩しげに見た。同性でもちょっとクラっとする笑顔である。異性に対しては絶大な威力を発揮すること間違いないし、現にこれまでそうであったことを、フェイは知っていた。付き合いは半年になる。
「それにしても帰って来ませんね」
フェイは立ち上がって、宿の玄関の方を見た。誰も出入りする人がいないし、それが分かっているのかカウンターにも従業員がいなかった。
「本当にあのアレスなんですかね」
フェイの声には疑わしげな色があった。
「単なる同名のガキなんじゃないスか」
「ただの子供が山賊団を倒せるだろうか。ライザ殿も退けたらしいしね」
「それ、本当なんスかね。おれが研究所に着いたときには、ライザ姐さんはもう都に帰ってて会えなかったからなあ。アレじゃないスか、姐さん、年下好みだから、油断したとか」
「いや、そういう様子じゃなかった。本気でもう二度と会いたくないようだったから」
フェイが面白くない顔を作るのを、青年は面白そうに見つめた。表情を通して、ライザへの思慕の念が透けて見える。
「大体、ヴァレンスの英雄がどうしてこんなところをウロウロしているんですか? おかしいでしょ」
「それはボクにも分からない。ただ、こんな諺を知ってるかい、フェイ。『ずるがしこいウサギがいなくなると、良い犬は食べられてしまう』」
必要がなくなったものは処分される、という意味である。
「英雄が活躍できるのは、乱のとき。それが治まったから必要とされなくなったのかもしれない」
青年が付け足した。
「じゃあ、勇者アレスは働き損ですね。サイアクだな、それ」
「ボクなら……ミナンならそんなことはしない」
「仲間になってくれますかね」
「じっくり気持ちを伝えれば応えてくれると思う。でも、とりあえず、会ってみて話をしてからだけどね」
こんな地方都市の宿屋の食堂で瞳を子どものようにキラキラさせている彼が、ミナンの第四王子だと言って誰が信じるだろうかとフェイは思った。思ってから、いやもしかしたら、と思い直した。ミナン王の末子が、国中を旅して歩く「放浪王子」だという噂はそこそこ有名である。
王子がぶらりと宮殿を出て都の外の空気を吸うという一見アホなことこの上ないことをするにはちゃんとした理由があって、その理由の一つが、野でヒマしている賢人を拾い上げることであった。もちろん、そんなことは王子自らやるべきことではない、というのが王家に仕える高官の意見であって、そうしてフェイ自身の意見でもある。とはいえ、さすがにそれを言うのは差し出口。
「やっぱ、何か食べていいスか?」
代わりにそう言うと、青年は苦笑して、近くを通りかかった少女に声をかけた。