第35話「玄関前の二回戦」
「でも、これで金の当てはできた……できちまった。あーあ、まだズーマと別れられないのか」
山賊団を換金すれば、ヤナへの情報料となる。アレスは、はーあ、と大げさにため息をついた。
「ひどいヤツだな。あのズーマって人はお前に人質として残されても文句一つ言わなかったってのに」
ヤナが言う。
彼女は、たった一人の少年が、十数人の大の男を倒したという普通考えれば奇跡的な出来事に遭遇しても、小さな驚き一つ見せなかった。
「ヴァレンスのアレスならそのくらいは朝飯前だろ」
ヤナはそういう言い方をしたが、おそらく彼女自身も同じことができるからそれほど驚いていないのではないかと、アレスは思った。思って、そして口に出した。
「おい、『女の子』がそんなことできるわけないだろ。か弱いんだゾ」
「オレはできるヤツを何人か知ってる」
「それはゴリラみたいなやつだろ。あたしみたいな野にひっそりと咲く一輪の花のような子にはムリ」
「野の花はたくましいからな」
「ぶっ殺すぞ!」
「ん? 『女の子』がそういう口のきき方していいの?」
「……ぶっ殺すでございますことよ、ホホホ」
慌てて口元に手を当てるヤナから、アレスは再び炎天下で仲良く昼寝をしているロート・ブラッド団に目を向けた。
「それにしてもこの研究所とやらは一応、公的な施設なんだよな。そんなところにどうして、山賊団がいるんだかな」
「別に大したことじゃないだろ。公的機関の下請けが非合法集団なんてのは良くある話だ」
「世も末だな」
「世はいつも末なんだよ。それが分からないのは平和ボケしたやつらだけだ」
世の裏を知りつくす情報屋協会に所属している人間の言葉には、説得力があった。しかし、アレスは、分からないならその方が幸せだということもあるのではないか、オレも平和ボケしてえ! と痛切に思った。
建物の玄関へと向かおうとしたときのことである。
異様な風体の男が現れた。
がっしりとした巨体である。年齢は分からないが、三十くらいだろうか。堂々とした歩き方から威風が吹きつける。歴戦を経た猛者といった印象。しかし、まあ、それは良い。山賊団より余程厄介そうな敵であるが、敵であれば戦うだけであり、そもそもそういう心づもりでここまで来ている。問題は、その男の頭部である。血を浴びたような朱色の毛が全面から生え、額から一本の角が生えている顔は人のものではなかった。
「おいおい、この辺でもリーグルの被り物をかぶる風習とかあるのか?」
アレスが隣の少女に訊いた。
新手の男の頭部は地上で最強の肉食獣と名高いリーグルのそれであった。リーグルは、地方によると神獣として祭られるところもある。
「あるけど、それは祭りのときの神事の一種だ。普段からかぶってるやつはいない。この暑い中、あんな被り物をするヤツはただのアホだ。蒸れてしかたない。その上、視界も狭くなる」
「じゃあ、何であいつ、あんなもんかぶってんだよ」
「あたしに訊くな。本人に訊いてみろ」
「了解」
アレスはヤナより三歩ほど先に出た。獣人もゆっくりと歩いてくる。
アレスは足に力を溜めると、地を蹴って、唐突に獣人に斬りかかった。コミュニケーションを取る気などない。あの風体で味方ということもあるまい。というか、ここには敵しかいない。先手必勝である。
手ごたえあり、光の剣はあやまたず、獣人の胴をないだ。獣人は呆気なく地に沈んだ。
見かけ倒しで良かった良かった、と額の汗をぬぐう間もなく、アレスの体に影が差した。
「……え?」
空気が引き裂かれるような音がして、アレスは思わず横に跳んだ。体勢を立て直して剣を構えるところに、倒れたはずの獣人の巨体が迫る。リーグルの顔が迫ってくるのがそこはかとなく怖い。
「そんなこと考えてる場合じゃねえ!」
アレスは、両手を突き出してこちらを捕まえようとするかのような獣人の突進をかわすと、かわしざま、もう一度その胴を斬った。獣人の体はしびれたように痙攣し、どすんと地に崩れ落ちた。先ほどと同じ光景である。
アレスは倒れた獣人に目を向けた。まさかとは思ったが、そのまさかであった。獣人はむっくりと立ち上がると、アレスを睨みつけるようにしながら、低いうなり声を上げた。まるで獣そっくりの声である。それから、ぐわっと口を開いた。ねばつく糸のようなものが張った口内には、鋭い牙が生えそろっている。随分と精巧な被りものである。もしそれが被りものではなかったら、という想像はできるだけしないことにした。しかし、そういう想像ができるということが、アレスの認識の中に「獣人が存在する」という項目があることを示している。
獣人が無造作に腕を振る。アレスはしゃがんでそれをかわした。頭の上で、ぶうん、という嫌な音が鳴った。アレスは、しゃがんだ体勢のまま剣を振るうと、獣人の足を払った。アレスはすばやく立ち上がると、足をぶるぶる震わせて地に手をついた獣人を上から見る格好で、光の剣を思いきり振り下ろした。剣の軌跡上に、獣人の首がある。
首元に一撃を受けた獣人は口から泡を吹いて昏倒し、三度目に起き上がることは無かった。