第30話「長代行の娘」
アレスは決して好戦的な性質ではない。腕を試すため自ら戦いを求めるようなバトルマニアでもなければ、暴力衝動に身を任せて他人を殴ることで快感を得るような変態でもない。ただ、振りかかる火の粉は払わねばならず、なぜか彼の行くところ、そばに火の元があることが多いというだけのことである。
「これはオレの求めた戦いじゃない。でも、戦わなければ先には進めないようだな」
アレスはコキコキと首をならすようにした。その不敵な笑みが、いかにも仕方なさそうに口にしたセリフを見事に裏切っている。
「良かったな、アレス。リシュ嬢にふられた腹いせができて」
ズーマが人聞きの悪いことを言った。
アレスを囲むように半円を作った五人は徐々に円の半径を狭めてくる。一人で突っ込んで来ないあたり、なかなか連携が取れている。昨日の山賊団に見習わせてやりたいくらいのものである。
アレスは無造作に一歩前に出た。
慎重に足を止める男たち。
まさにこれから少年とおっさん連の汗で汗を洗うあまり美しくない激闘が始まらんとした、そのときだった。
「おい、やめろやめろ」
近くの建物から新手が現れた。すたすたと近づいてきたのは、十六、七の少女である。浅黒い肌をしたちょっと見では男の子のようにも見えるほど背の高い彼女は、男たちとアレスの間に割って入るようにしてから、男たちに向かって事情を訊いた。まるで男たちの主人のような様子である。少女はふんふん、と軽くうなずきながら、亜麻色の髪で作ったポニーテールを揺らした。それから、先ほど、アレスが肘打ちを叩きこんだ恐い顔Aに向かって、「大丈夫か?」と声をかけた。
「もちろんです、お嬢」
「なら良し」
少女はくるりと振り向くと、アレスに向かって、よお、と手を上げた。
アレスは女の子が出てきたからといって油断するような男ではない。これまで生きてきて、油断して良いすなわち気を許せる女の子に出会ったことなどなかったからである。いつかはそういう子に出会いたいものだ、と密かな願望を抱いていたアレスだったが、この町でセンカとエリシュカに立て続けに出会って希望を踏みつけられてしまってからは、もう半ば以上諦めていた。
「手下を可愛がってくれたようだな」
少女は何気ない口調で言った。売り言葉である。アレスは軽く手を広げるようにすると、
「それは誤解だ。可愛がるのはこれからだね。地面に仰向けに寝かせてやって、お天道様を仰がせてやろうと思ってる。ちょっとはこれまでの悪事を悔い、改心する気になるだろ」
言った。
「おいおい。こいつらは顔は悪いけど、なかなか気のいいヤツラなんだぞ」
「気のいいやつがいきなり人を殴ろうとするか?」
「それは多分そっちが悪いんだろ。殴られるようなことをしたやつがな」
少女は一歩間を詰めた。次の瞬間、彼女の肩口からまるで大きな石のようなものが飛んできた。アレスは反応している。顔面へのそれをかわすと、もう目の前に少女がいない。アレスは後ろに跳んだ。空気を鋭く裂く音がして、アレスの腹部があった空間を少女の拳が高速で通り過ぎた。さきほど、肩口から飛んで来たのも同じその拳である。
「おいおい、アレス。何だこの町は? 女の子は生まれるとすぐに武道を教えられでもするのか?」
ズーマが驚いたような声を出した。
「オレに訊くなよ。でも、宿屋に達人がいるくらいだ。こんな怪しげな路地に怪物めいたのがいてもおかしくない」
少女は、へえ、と面白そうな顔を作ると、リラックスした体勢を取った。どうやら、それ以上戦いを続ける気はないようである。しかし、アレスは警戒を解かなかった。女の子はウソをつく生き物である。
「それで、用件は?」
少女は、何事も無かったかのように話を始めた。
「長に会いたい」
「今、出てる。娘のあたしが代行だ」
「娘?」
「息子に見えるか?」
少女は服の上からでも分かる形の良い胸の膨らみを見せつけるようにした。
「情報が欲しい」
「おおかた、恋人のスリーサイズかなんかだろ? 男ってのはどうしようもないな」
「エリシュカという少女が謎の組織にさらわれた。どこにさらわれたのかを知りたい」
少女の鳶色の瞳に興味の光が現れた。彼女は、ついてこい、と言って背を向けると歩き出した。アレスはズーマと顔を見合わせたあと、少女の後に続いた。さらにその後ろから五人の男たちが続く。ちょうど挟まれる格好になってひしひしと危険を感じたアレスだったが、前後から襲われるということもなく、近くの建物の一室に導かれた。なかなか小奇麗な部屋である。
少女は部屋の中央にあるテーブルにつくと、向かいの席にアレスとズーマをつかせた。
「あれは、あんたの趣味か?」
アレスは部屋の隅にずらりと並べられている大小さまざまのぬいぐるみを見ながら言った。
少女は楽しげな顔で白い歯を見せた。
「可愛いだろ」
それから、男の一人に茶を出すように言うと、テーブルの上で手を組み合わせた。
「改めて、情報屋協会・イードリ支部へようこそ。話を聞こう」