第28話「別れのとき」
エリシュカが考える時間を取ったのは、何かしらの計算をしたからである。それは分かった。しかし、その計算の中身までは分からない。乙女チック路線で行けば、
「これ以上、アレスに迷惑をかけるわけにはいかないワ」
と思って身を引いたと考えることもできる。しかし、これは怪しい。エリシュカは見た目は乙女だが、中身は、なかなかどうして強靭なものを秘めている。つい昨日会って、今日初めて話したばかりだが、そのくらいのことは分かる。分かるほどの個性である。
では、なぜザビルと帰るなどと言い出したのか。それが彼女にとって何らか都合が良いからである。アレスはこれまで世を渡る中で、さして知りたくもない真実を色々と知ってきたが、その中に、「ほとんどの女の子は自分の都合を最優先する」という項目がある。これを「全ての女の子は」としないあたりに、アレスの希望が隠れていることが分かる。哀れである。しかし、アレスは自己憐憫にひたるようなナヨナヨとした性情を持ち合わせていなかった。
――思い通りにさせてたまるか。
女の子のなすがままでは男がすたる。アレスは手を伸ばしてエリシュカを捕まえようとした。が、少女はすばやい動きでそれをかわすと、ザビルのもとへと歩いていった。
「おい、エリシュカ!」
アレスは一歩足を前に進めたが、振り返ったエリシュカは手を突き出してそれを遮るようにした。
「アレス。わたしのことは忘れて。助けてくれて、ありがとう」
別れの場にまことに似つかわしい、しおらしい声である。それは大変女の子らしい所作で、アレスは一瞬、もしかしたらこれが彼女の本性なのではないかしら、と疑心暗鬼に陥ってしまった。
「アホめ。全く救いがたいヤツだ。お前は一生、女にだまされて生きろ」
パートナーとはありがたい。アレスは確かにズーマの声を聞いた。その声に正気に戻ったアレスが、よくよくエリシュカの目を見ると、彼女の瞳には別れの憂色などカケラもなく、ただ固い決意の色で満ちていた。何か心に秘すものがあるのである。
「エリシュカ、さっきオレが言ったこと忘れたのか?」
「覚えてる。わたしのためなら死んでもいいって。嬉しかった」
「いつ言った、そんなこと! オレが言ったのは、キミを助けることにしたってことだ。キミの気持ちとは関係なくな。オレはこれまで、言ったことは全て実行してきたんだ。それだけがオレの誇りだ。だから……」
「だから?」
「オレから逃げられると思うな」
アレスは思いきり悪党然としたことを言って隊長からにらまれたが、気にしなかった。それどころではないのである。逃げられると追いかけたくなると言うが、まさにその通りだった。それがロマンチックなものと何ら関係がないところが、アレスの不幸である。
「茶番は終わりで構わんな。アレスくんと言ったか、君には一応、お礼を言わんとな。フタを守ってくれたようだからな。君とはちょっとした誤解があったようだが、わたしは気にしていない」
ザビルは薄い唇の端を歪めながら言った。アレスが焦る様子を小気味良く見る目には、すっかりと尊大な色が戻っている。アレスは剣を持つ手に力を込めた。それから、ザビルの位置までの距離を測った。三通りの斬りかかり方が頭に浮かび、そして、呪文を唱えると魔法剣から光を消した。
腰の鞘に短剣を納めたアレスは、詰め所に連れてってくれるよう、隊長を促した。やることができた。さっさと調書なり何なり作ってもらわなければならない。背を向けて歩きだしたアレスに向かって、エリシュカは小さく頭を下げたが、もちろんそれはアレスからは見えなかった。
それから詰め所へ行き、色々と細々したことを質問されて、結局解放されるまで二時間近くの時を要した。アレスは心に誓った。今後は絶対に人前で暴行を働かないようにする、と。しかし、慎重な彼は、「できるだけ」という語を付け足しておくのを忘れなかった。
「わたしは情けないぞ、アレス。まさか、町の自警団の厄介になるとはな。わたしがちょっと目を離すとコレだ。お前はわんぱく盛りの子どもか。いっそ上半身はだかで走り回ってドブにでも落ちろ」
詰め所を出たアレスはその門前で、うるさいほどの日の光と、文字通りうるさいズーマの口撃にさらされた。いつもならすかさず言い返すところだが、銀髪ガミガミ男の横に、黒髪の少女が心配そうな顔をして立っているのを見て気を取り直した。
「センカ、どうしてここに?」
「宿のお客さんの中に、あなたが自警団に連れていかれるのを見た人がいたの。大丈夫だった?」
「あんまり大丈夫じゃないね」
「何かされたのね?」
センカは可憐な顔を引き締めた。そのあと、おもむろに詰め所入り口へと向かおうとするのを、
「止めたほうがいいな。さっきも、『アレスが捕まるようなことするわけない』と言って、危うく門衛を投げ飛ばすところだった。わたしが止めたから大事にならなかったがな」
というズーマのアドバイスで、アレスは慌てて止めた。センカの気持ちはとても嬉しいが、イードリの平和を守る砦を壊させるわけにはいかない。
「アレス、リシュちゃんは? 一緒じゃないの?」
視線を巡らせて白髪の少女を探すセンカに、アレスは事の次第を説明した。