第26話「イードリ自警団、出動」
王家の紋を戴くということは、王族か、あるいは王族関係者ということである。とすれば、その紋を持つ者に逆らうということは、王家を敵に回すということになる。王家を敵に回すということは、犯罪者になるということであって、それはすなわちこの国で生きていくのが非常に難しくなるということだ。
アレスの剣はその切っ先を男の喉元に当てたままで、男から遠ざかろうとしなかった。
「聞こえなかったのか。わたしの意志は、太子の意志だ。つまり、それはミナン国の意志だ」
王家の後ろ盾を得ているというとこをことさら口に出すことによって気分が落ち着いたのか、男の目は幾分緊張を緩めた。同時に、人を見下すような色が現れ始める。ゲンキンである。
「太子の意志がミナンの意志? いつから太子がこの国のトップになったんだ? 王はどうした?」
「太子は王から全幅の信頼を頂いているのだ、次代の王としてな」
アレスは、へえ、と感心したような振りをして、
「とすると、その太子から信頼を受けてるあんたに剣を向けてるオレは、やばいことになるなあ」
言うと、男は、
「その通りだ。今ならその無礼、許してやらぬでもない。さあ、今すぐ剣を引け、下郎」
くくく、と嘲るような笑みを浮かべる。
光の剣はなお同じ位置にあって、動かない。
アレスは、はわわわ、と大きくあくびをしてみせると、
「悪いけどオレは、もとからこの国の生まれじゃない。仮にこの国の生まれだとしてもだ、上のやることがいつも正しいとは限らない。間違ったことをしているときは抵抗するだけだ」
口元を引き締めて不敵な笑みを乗せた。
男は細い目を限界まで見開いた。
「ぼ、冒険者風情が国の方針に逆らうと言うのか?」
「立場で逆らうわけじゃない。オレはオレが気にくわないものに対して逆らうのさ」
「後悔するぞ。貴様は必ず後悔する」
「オレの人生、後悔してばかりなんだ。いまさら一つくらい増えたって何とも思わないね。……さて、あんたが王子の代人うんぬんっていう話は置いといてだ。あんたとエリシュカの関係を聞かせてもらおうか」
そのときである。
複数の足音が鳴って、十名ほどの男女がアレスたち三人を取り囲むようにした。揃いの制服に身を包んだ中に、ちらほらと見覚えのある顔が混ざっているのは、彼らがこの町の自警団の人間だからである。昨夜、失神したロート・ブラッドを一緒に捕えにいったときのメンバーが入っているのだ。
男は唇の端を歪めた。どうやら自警団が包囲陣を敷いたのは、この男の差し金らしい。さっきまで引いていた血の気が、まるで潮が満ちるように戻って来ている。
「そこまでだ、剣を引け」
隊長らしき壮年の男が重々しい口調で言った。
しかし、アレスの剣はぴくりとも動かない。その剣先は男の喉元に固定されて、いつでも喉を突き破れそうな様子である。実際のところ、この剣でそういう真似はできないわけだが。
「剣を引けと言ってる」
アレスはなおも剣を引こうとせず、そのままの格好で、
「悪いけど、このお偉い方にはいくつか訊きたいことがある。その質問にあんたが答えてくれるっていうんだったら、引いてもいいけどな」
横目で隊長を見た。
「その男のことは何も知らん。われわれはただこの町の平穏をぶち壊して、チャンバラをやろうとしているやつらを捕えようとしているだけだ」
隊長の答えはそっけない。長衣の男は唇をわなわなさせると、
「き、貴様。先ほど説明しただろ。わたしは太子に直属している者だと。太子の印を見せたはずだ」
言った。隊長は男を睨むと、
「このイードリは太子の領地ではない。たとえ太子の命令があったとしても、それを聞く義務はないことは既に市長に確認済みだ。ついでに言えばだ、太子は徳のある方らしい。あんたのような傲慢な人間が、太子の部下だというのはどうにも怪しい話だ」
面白くない口調で答えた。男は肩を小刻みに震わせた。
周囲のざわめきが大きくなっていた。善良なイードリ市民たちが、十人からの自警団が演じる大捕り物に興味津津の態で遠巻きにしている。日頃に無い良い見世物なのだろう。
アレスは剣を引いた。いくら何でも自警団とやり合うわけにはいかない。男の作戦は、彼の意図とは違うにしても、当たったわけである。アレスは剣先だけは男へと向けながら、エリシュカの元に戻った。見ると、気分が悪いのか、エリシュカの眉のつけねがぐっと寄せられている。
「大丈夫か?」
「それ、もう訊くのやめて。子どもに戻った気分になる」
「まだ子どもだろう。胸だってペッタンコだしな」
「胸なんか体の前についてるだけのもの。大きくても小さくてもどうでもいい」
「いや、それは違うぞ。そこには男のロマンが詰まっているのだよ」
ゴホン、という咳払いがして、男のロマンについてのレクチャーはそこで遮られた。
アレスとエリシュカの上から、じろり、と威圧するような視線が降ってきた。