第24話「二人目の敵」
エリシュカの問いかけに、アレスは小首を傾げた。「ん、なんのことかニャア?」と小動物を思わせる無邪気さを瞳に満たす。そのいかにもな仕種は、少女をいっそうイライラさせるだろうということはアレスには良く分かっていたが、是非もないことである。どうせ簡単に納得してくれたりしないのだから、それならば自分の流儀で行くだけだ。
アレスは口を開いた。
「ただ道を歩いているだけだ。キミが歩くのと同じ方向にオレの宿があるから、自然、キミの後ろを歩くことになる」
エリシュカは体を引いた。
後ろからついてくる気持ちの悪い少年を先に通そうとしたのである。
しかし、アレスは動かない。
「なんで止まってるの? 宿に帰るんでしょ?」
「急に止まりたくなった」
エリシュカはくるりと背を向けると、速足で歩き始めた。そのあとにアレスが続く。エリシュカが急に足を止めるとアレスも止まる。まるで、二つで一組になっているかのような風情である。通りすがるイードリ市民は、二人のおかしな様子を興味深げに見ていた。
ストップ・アンド・ゴーを五回ほど繰り返したとき、とうとうエリシュカの堪忍袋の緒が切れた。切れた袋の中からなにやら禍々しいものが出てきたのが、アレスの心の目に映る。振り向いたエリシュカは、その整った白い眉をきりりと逆立てるようにして、アレスを見た。そして、一言。
「斬られたいの?」
「そんな願望は無いね」
「これ以上ついてくるならそうなる」
「キミは夫を斬るのか? どんな妻だよ」
「夫じゃない。夫候補。候補はいくらでも作れる」
「オレみたいないい男はそういないと思うけどなあ」
ハハハ、と胸をそらして影のない笑い声を立てるアレス。エリシュカの右手が、小剣を持つ左手に動いた。まるで踊りの動作の一部ででもあるかのような滑らかな抜刀。水のように透明な刀身が朝日を弾く。一瞬後、ぎいん、という鈍い音が響き、魔法の小剣は受け止められた。小剣を受け止めたのは、一瞬前までアレスの腰にあった短剣である。
エリシュカは悔しそうな顔をした。完全に不意をついた一撃だったはず。その一撃は、目の前にいる黒髪の少年の顔を恐怖に強張らせるはずのものだった。
「ま、こういうことだ」
アレスは自分の肩口を狙ってきた小剣を逆手で持った短剣で押さえたまま、軽やかに言った。
「今のは本気じゃない。もともと止めるつもりだった」
「そりゃそうかもしれないけど、仮に本気でやってきてもオレは止めたね。これがどういうことか分かるか? 君はオレを追い払うことはできないってことだ」
アレスは開き直った変質者のようなことを言った。
「なんでわたしに付きまとおうとするの?」
「その言いぐさは勝手じゃないか。もともとキミがゴロゴロ転がってきたのが事の発端だぞ」
「助けて欲しいと言った覚えはない」
エリシュカは小剣を引いて鞘に収めた。
「じゃあ、助けなかった方が良かったのか?」
さすがにそこでうなずけるほどエリシュカは傲慢ではなかったらしい。アレスはほっとした。
エリシュカは奥歯を噛むように口元を緊張させてから、
「あなたに手伝ってもらわけにはいかない。これはわたしがやらないと」
決意をみなぎらせた声を出した。
年端のいかない少女が強い声を出さないといけないということは、相当込み入った事情なのだろう。あるいは、それ以上立ち入らない方が良いのかもしれない。自分がしていることは単なるお節介なのかもしれない。そんなことをアレスはちらりと思ってみた。しかし、
「キミの気持ちなんか知らないね。オレはキミを助けることにした。だから、黙って助けられろ」
思っただけで、全く決心は揺るがなかった。
そのあまりに自分勝手な、いっそ清々しいほどわがままな物言いに、エリシュカはきょとんとしたあと、それまで引き結ぶようにしていた唇を不意にほころばせた。アレスはポリポリと頭をかいた。笑顔に一瞬見惚れてしまった自分を自分でごまかそうとしたのである。しかし、あまり上手くはいかなかった。花が開くような、そういう形容をしても誰からも文句を言われそうにない少女の微笑だった。
「なに見てるの?」
「見てない」
「今、見てる」
「そりゃ、今は見てる。人と話す時は目を見て話しなさいってね。常識だろ」
「じっと見るのは失礼だって習った」
「誰から?」
「姉さま」
「へー、お姉さんいるのか。美人?」
「世界一」
アレスは目の前の少女を頭の中で成長させてみた。小柄な体をもうちょっと伸ばして、顔からあどけなさを消し、ついでに胸の膨らみをサービスする。これは期待できそうだ、と思った矢先に、想像上の娘の細い腰に長剣が装着されていて、ぞっとするものを覚えた。成長して筋力がつけば、それだけ斬撃も鋭く、速く、強くなる。
「どうしたの?」
「一つ訊きたいことがある」
「なに?」
「美人のお姉さん、剣使ったりするか?」
エリシュカは、頬の横にある三つ編みを横にふるふる揺らした。
アレスは胸をなで下ろした。どうやら妹可愛さ余って、妹にちょっかいを出した少年を斬る、などという恐ろしいことにはならなそうだ。
「もう一つ訊いてもいいか?」
「いいけど、時間が惜しい。歩きながら話す」
そう言って歩き出そうとするエリシュカを、アレスは短剣を持っていない方の手で制した。
不審げに見上げてくる少女の目をアレスは道の前方に向けさせた。
二人の進行方向から、ちらほら歩く市民に混じって、法衣のような長い服を身につけた男が歩いてくるのが見えた。