第23話「ヴァレンスの英雄」
小剣の値段を聞いたアレスは、なるほど、とうなずいたのち、おやじに剣の方の値段も訊いてみた。特に意図はない。後学のためである。それから、エリシュカに向かって、剣の方は見なくていいのか、と何食わぬ顔で訊いた。これも別に特別な意図があるわけではなく、彼女があまりにも迷いなく小剣を選んだので、確認のために訊いてみただけである。
「お値段は剣の方が安いですが、能力的に劣るところではありませんよ。見なくてよろしいんで、お嬢様?」
エリシュカは首を横にした。
「長くて抜きにくいからいい。腰に佩くのも重いし」
その答えを聞いて、二本の剣を持ってきたことへの筋を通したおやじは、アレスを見た。
アレスは、まあ待て、と片手を出して、おやじをなだめるような格好を作ったあと、隣の白髪の少女に向かって、剣は背中に帯びるという手もあるということを思い出させてやった。現にアレスはそうしているのだ。
「背中に差すなんてヤダ」
「なんで?」
「ダサい」
アレスはがっくりと肩を落とした。自分では結構カッコイイんじゃないかと思っていたが、自分より年若い女の子にはっきりと否定されるということは、おそらく誤解だったのだろう。どうりでこのイードリの町で、背中に剣を負った剣士に出会わないはずである。
「いや、ここは平和ですからね。剣士自体いないんですよ」
おやじはそう言ってアレスの顔を上げさせたあと、手の平を上にして手を差し出してきた。
「お値段。もう一回、言いましょうか?」
ほんの三分前のことである。アレスは首を横に振った。
魔法剣は法外な値段だった。ロート・ブラッドを打ち倒して稼いだ金からニヤニヤおやじの手の平へ言い値を乗せてやると、あとは、センカに宿泊代として渡す分プラスちょいくらいしか残らない。見事に元の貧乏生活へ逆戻りである。むんと手を突き出してくるおやじ。アレスは一瞬、ためらいを覚えたが、それが一瞬だけだったというところに自分の男らしさを見るが良い、と誇らしげな顔をしておやじを見た。
支払いはなされた。
「ありがとう、アレス」
魔法の小剣を手に入れた少女は綺麗に頭を下げた。
「ハハハ、所詮はあぶく銭さ。もともとキミのおかげで稼げたってこともあるし」
アレスは乾いた声で笑うと、エリシュカの小さな肩をぽんぽんと叩いた。顔を上げたエリシュカは、じいっとアレスを見た。アレスは目元に感じたしめりけを指先で払った。どうやら、さっきのエリシュカとのミニバトルで掻いた汗が目に入ったようである。
「それにしてもお客さん。ヴァレンスの危機を救った英雄と同じ名前とは縁起がいいですね」
金貨をざくざく受け取ったおやじは、ほくほくした顔で言った。全く金の力とは恐ろしい。用がある客に声をかけないような無愛想な男を、用が終わってもう帰ろうとしている客に声をかけるほど愛想が良い男に変えてしまうとは。
「なんのこと?」
アレスより先にエリシュカが反応した。
「おや、お嬢様はご存知ない? 昨年、隣国ヴァレンスにあった大乱を鎮めた英雄の名がアレスなんですよ。ヴァレンスを手中に収めんとする魔王クヌプス。それを打ち倒して、かの国に平和をもたらした方です。何でも体長二メートルを越す大男で、その身の丈と同じくらいの棍棒を振り回し、一振りで十人の敵を倒す。それはもう悪鬼のような男らしいですね」
おやじは縁起がどうこう言う割には、気持ち悪いものを見たときのように体を震わせた。
エリシュカは、ほうほう、とうなずくと、興味ありげな目でアレスを見た。
アレスはにやりとした。
「ふ、オヤジ。その英雄が実はオレだって言ったら、あんたどうする?」
おやじはすかさず答えた。
「突っ込みますね。『なんでやねん!』って」
おやじはほとんど別人であった。もうあの頃の彼に会うことはできないのか、と思ったアレスだったが、別に惜しくもなかった。
「なるほど。オレの正体がバレることはなさそうだな」
「一生無いと思いますぜ」
店を出たアレスは、大きく伸びをすると、空を見上げた。青々とした空にところどころ、小さな白雲が気持ちよさそうにぷかぷかしている。ちらりと隣を見ると、エリシュカが小剣を見ながら頬を上気させていた。欲しかったおもちゃを買ってもらった子どものように嬉しげである。エリシュカはアレスの視線に気がつくと、慌てて瞳の色をクールにした。
「この借りはいずれ返す」
「そんなんいいけど、やっぱり話す気ないのか? オレは勇者アレスだぞ。相談すればいいことあるんじゃないか。その小剣で誰を倒すにしたって、魔王より強いってことはないだろ」
「あなたは勇者じゃない。だって、棍棒持ってないもの」
「いや、棍棒を持ってる時点で勇者じゃないだろ」
エリシュカは手を差し出した。
アレスはその手を握った。先ほど手をつないでいたときには感じなかったが、彼女の手は自分の手の中にすっぽりと収まってしまいそうなほど華奢であって、そうしてそう感じたことが全てだった。アレスの心から迷いが消えた。
別れの握手をしたのち、エリシュカは歩き出した。見た目にはしっかりと歩いているが、おそらくそう見せかけているだけだろうということがアレスには良く分かった。その小さな背から、大きなプライドが感じられた。アレスから見えなくなるまでは同じ足取りで歩いていくだろう。
武器屋からニ十歩くらい歩いたところで、少女はふと立ち止まった。そうして、ワンピースの裾を揺らして振り返った。後ろを見た彼女の目には、悲しげな、切なげな、未練のありげな色は全然なくて、ただ……うっとうしいと言わんばかりの色があった。
「なにしてんの?」
エリシュカは、武器屋で別れてからずっと、まるで母に突き従う子どものように後ろをくっついてきた少年に対して、いらだたしげな声を投げた。