第19話「女の子はオシャレ次第」
助けた少女に金を与える。泥棒に追い銭を与えるよりはマシだが、とはいえどうにも釈然としない話である。よしやあげるにしても、「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」と涙ながらに言われるのでなければウソだろう。アレスはけして守銭奴ではないし、どころかお金には寛容なヤツだと郷里では評判の子だったというもっぱらの噂だが、このところの極貧生活によって人並みの金銭感覚を持つようになっていた。貧乏はお金の価値を教えるのだ。
――よし! できるだけ値切ろう!
アレスがまことに男らしい決意に拳を握りしめていると、食堂入り口の方からエプロン姿のセンカが歩いてきて、その後ろに隠れるようにしてもう一人別の少女が歩を進めてきた。
「二人とも拍手の用意はいい?」
センカは茶目っ気たっぷりに言った。
ズーマがうなずいた。アレスもうなずいてやった。何の為に拍手するのかということは聞かなかった。手ぐらいいくらでも叩いてやろう。タダだから。
「美しきリシュ嬢をご紹介します」
センカが一歩横に避けながら手を向けた先に、エリシュカがいた。アレスは目を見張った。それは、ほとんど別人であった。青空に浸して染めたような爽やかな色のワンピースを身にまとい、雪のような白髪を綺麗にくしけずった彼女は、深窓の令嬢然としており、先ほどまでの野性味は全く消えていた。
ぱちぱちぱち、と上がった拍手に、エリシュカはワンピースの裾をつまんで優雅に返礼した。
「小さくなって着れなくなったわたしのお古だけど、しつらえたようによく似合ってるでしょ」
思わず、「太って着れなくなったんだな」と思ったアレスだったが、さすがにそんなことを言って無駄に死の危険を招くほどの無謀さは持ち合わせていなかった。
「これも可愛いでしょ」
センカは、エリシュカの顔の横にある三つ編みをちょんちょんつついた。エリシュカの頬を飾るようにして短めの三つ編みが垂れている。
女の子は怖い、とアレスは思った。ちょっと服と髪を変えただけなのに、原石と加工済みの宝石くらいの違いがある。この瞬間、アレスの頭の中から値引き交渉に関する気持ちが全て消え去っていた。少女のあまりの変身ぶりに驚きすぎたせいである。ズーマに言わせれば、それがアレスの良い所であり、ダメな所であり、アホな所であり、どうしようもない所でもあるわけである。
衣服が整ってさっぱりとしたエリシュカは先ほどより幼く見えた。そう言えば年を聞いていないと気づいたアレスが訊いてみると、
「十三歳」
とエリシュカ。
「十三歳! オレより二つも年下じゃないか」
「だからなに?」
「なにって、つまり、年下は年上を敬わなきゃいけないんだよ。キミ、オレを敬ってるか?」
「最大限敬意を払ってる」
「ウソつけ!」
「もっと強ければ、もっと敬意を払う。でも、あんまり強くないから」
「オレは強い。さっきメシの前に蹴られたけど、見事に止めたろ」
「あれはわたしが本調子じゃないから。わたしの調子が普通だったら、あなたなんか二秒」
そう言ってエリシュカは片手を突き出すと、Vサインを作った。
にゃにおう、と完全に三下役の意気込み方をしたアレスを押しとどめるように、ズーマが口を挟んだ。
「それで、リシュ。君は剣が欲しいと言っていたな。何か危うい事情があるんだな。話したくないのなら無理には訊かないが、もうしばらくは安静にした方がいい。君も言う通り、君の体は万全ではないからな」
「大丈夫。ご飯食べたから、治った」
「いや、それは違うな。正しくは、『ご飯を食べられるくらいに回復した』だ。急ぎの用かもしれないが、急いては事を仕損じる、しっかりと休んでから行くべきだ。この宿の宿泊代は、ここにいる君の未来の夫が全て負担してくれるから大丈夫だ」
アレスは、きょろきょろと辺りを見回した。目の前にいる可憐な花のような少女と結婚できる果報者は誰なのか、「ご愁傷様」と祝福の声をかけてやりたかったのである。しかし、周りには誰もいなかった。自分以外は。
「結婚するのは一年待って。十四にならないと結婚できない掟」
ついっと身を寄せてきたエリシュカが、青い瞳に真剣な光をたたえながら言った。その真面目な声に、思わずうなずきかけたアレスだったが、崖の一歩手前でどうにか思いとどまった。
「待て待て。いつ結婚なんていう話に」
「さっき。わたしと結婚したいって言った」
「あんなの冗談に決まってるだろ」
「冗談? 結婚に関する神聖な言葉を冗談で言ったの?」
キッと睨むような仕種に本気の怒りが透けて見えたアレスは、
「いや、キミだって随分気楽に口にしてたぞ」
抗弁したが、
「いったん口に出した言葉は取り消せない。あなたはわたしの婚約者」
抵抗は空しかった。
これもきっとズーマの楽しみの一環に違いないと、前科のある相棒の関与を疑ったアレスだったが、その疑いが事実であるかどうか確かめる前に、とりあえずこの宿を出なければならない、という焦りを持った。エリシュカから少し離れたところにいる黒髪の少女のそのつややかな黒の瞳が、まるで光線でも発して見るものを焼きつくしてやろうとでもしているかのような趣で、当のアレスに向けられていた。