第14話「再び眠りにつく少女」
それはなかなかに鋭い一撃だった。
アレスは前方に体を投げ出すと、床でくるりとでんぐり返しして、素早く立ち上がった。綺麗に避けられたのはひとえに日頃の訓練と天から与えられた才のたまものである。アレスは自分自身を誇りに思った。
立ち上がったアレスの目の前に、一人の少女の姿がある。隙の無い立ち姿は心得があることを表していた。何の心得か。剣である。彼女の手には一振りの剣が握られていた。どこかで見た覚えがあるその剣は、柄の部分に燃える炎のような赤い宝玉がはめ込まれていた。しかし、鞘付きであった。
「おい、誰かと勘違いしてないか? 何でいきなり斬りかかってくるんだよ」
アレスは油断なく相手を見据えた。広い部屋ではない。相手が一歩前に出れば、それで相手の間合いである。その相手とはもちろん、この部屋で自分を蹴った男に対して寝ながら恨み事を述べているはずの白髪の少女だった。長い髪は寝乱れたせいでところどころピョコンピョコン飛び出している。はあ、はあと息が荒いのは、まだ本調子ではないからだろう。
「落ちつけ。オレは敵じゃない。むしろどっちかっていうと助けた方だぞ。それともあれか、オレのブーツがみぞおちに入ったことを恨んでんのか? でも、それは仕方ないだろ。突然上から何かがゴロゴロしてきたらさ、足で止めるしかないだろ。な?」
言葉にしてみると不思議な理屈であることに気がついたアレスだったが、そんなことに構っているときではない。少女はじりじりと間合いを詰めようとしてくる。魔法の短剣は腰に帯びてはいるのだが、まさか、か弱げな少女に対してそんなものを使うわけにはいかない。短剣が使えないとなれば、どうにか彼女の剣をかわして懐に入り肉弾戦で押さえるしかないわけだが、あまり手荒な真似はしなくない。結局、
「話を聞いてくれ。オレはアレス。昨日キミがロート・ブラッドに追われてるのを助けた男だ。別に恩に着せるつもりはないけどさ、実際助かったのはこっちだし。でも、斬りかかられるようなことはしてないぞ。それは断言する。確かにキミを背負ってここに来た時、ちょっとお尻とか触っちゃったけど、でも、それは仕方ないだろ。不可抗力だ」
平和的な解決策を選んだ。
しばらくしんとした沈黙が落ちたあと、少女の持つ剣の先も落ちた。
こちらの誠意溢れる言葉が伝わったのか、とアレスがほっと胸をなで下ろしたのも束の間、バンと床を踏む音が響き、落ちた剣先が伸びあがるようにしてアレスの喉へと向かった。正確でなおかつ迅速な突きであった。顔をひねってどうにかかわしたアレスは、しかし首の皮が削り取られたような気がした。アレスは剣をぐっと掴むと力任せに少女から奪い取った。掴んだ手は素手であったが、鞘が付いているので怪我をする心配はない。だからこそやったというべきか。少女は体勢をくずして床に膝をついた。
アレスは剣先を少女の首筋に当てるようにした。
「とにかく落ちつけって。オレはキミに危害を加えない。言葉が通じないわけじゃないだろ?」
少女は肩で息をしながら顔をアレスに向けた。
アレスは初めてまともに少女の目を見た。
サファイアの向こうを張れるような青く透明な瞳である。
思わずアレスが見惚れていると、部屋の外から足音が近づいてきて、開いたドアからセンカが顔を覗かせた。部屋の状況を一瞥して、「何してるの、アレス?」と問い詰めるような声を出す。少年が傲然とした様子で剣先を少女に向けている。このシーンから見れば、確かに詰問したくもなるだろう。
「いや、何て言うか。いきなり、襲いかかってきたんだよ」
「……どっちかって言うと、あなたの方が襲いかかろうとしてるように見えるんだけど」
「なに、そのイメージ。やめてくんない」
「とにかく、剣をおさめて」
アレスはためらった。剣をおさめたら、少女がどういう動きをするか分からない。
「いいから。わたしに任せて。多分、寝ている間に知らないところに来てたからちょっと混乱してるのよ」
「混乱ねえ」
人は混乱するとドアの陰に隠れて他人を襲撃するのであろうか。アレスはなおもためらったが、センカが「大丈夫だから」と自信たっぷりに言うので任せることにした。アレスは剣を引くと少女から二歩下がった。
センカは少女に近づくと中腰になった。
「怖くないよ。ここにはあなたを傷つける人はいないから。寝起きにアレスの顔を見てびっくりしちゃったのかもしれないけど、安心――」
優しい言葉はそこまでしか続かなかった。裏拳がセンカの顔に向かって飛んだ。白髪の少女が立ち上がりざまに放った一撃だった。
――言わないことじゃない。
とアレスは思ったが、割って入ろうとはしなかった。なにせ完全に不意を突いたような一撃であったにもかかわらず、少女の裏拳はセンカの腕に見事に受け止められていたからだ。
それからの出来事は全て一瞬で起こったことである。
立ち上がった白髪の少女が初撃がうまくいかなかったことにもめげずに、センカに殴りかかる。
中腰を直して立っていたセンカはかわしざまに、少女の足を自分の足で刈る。
少女は思いきりバランスを崩して、横倒れになって倒れる。
そして再び気を失ったのだった。