第12話「可愛い、センカちゃん」
しかし、どうにか宿泊料は間に合った。これにて一件落着である。本当に山賊さまさまであった。
アレスはあれから一週間ぶりに、実に晴れやかな気分でセンカの顔を見ることができた。
「お帰りなさい、アレス」
まっすぐに引かれた眉のあたりが柔らかくなると、本当に優しげな顔立ちになって、見る人をほんわかさせずにはおれない。アレスは返す返す、惜しい、と思った。変な格闘術さえ習っていなければ、一生守ってあげたいくらいの女の子なのに。守るどころか、おそらく無手ではアレスはセンカにかなわない。剣が使えないときのために無手の格闘術も習得してはいるのだが、それはセンカのものに比べればいかにもハンチクであった。
「ただ今帰りました。マスター」
アレスは後ろ手に両手を組むと、オッスと気合を入れた息を吐いた。
センカは目を細めた。
「なに? ビンタでもしてもらいたいの?」
「はい、マスター。いつものようにお願いします!」
アレスの声は腹から出ており、食堂内に無駄によく響いた。
センカは身につけていたベージュのエプロンの端をぎゅっと握りしめた。
「……アレス。あなたって基本いい人だと思うんだけど、そのノリはホントやめて。本気で、殴っちゃおうかなーって気になるからね」
「本望っすよ」
「や・め・て」
アレスはにやにやしながら、ベルトに下げていた革袋の一つから紙の包みを取り出した。手に握ると少し出るくらいの大きさである。それをセンカに差し出すと、彼女は警戒するような目をした。
「言っとくけど、男を投げ飛ばすからってわたしが女の子らしくないなんて思ったら大きな間違いよ、アレス。カエルとか虫とか、そういう類のものはホント苦手だからね。そんな回りくどいことするより、男なら男らしく、わたしのことが嫌いだって言えばいいでしょ」
「オレのイメージ、どんなだよ」
アレスはセンカの手に包みを握らせた。センカがおっかなびっくりそれを開くと、中からきらきらとした光があふれた。茶色の包みの中にあったのは、気持ち悪げなものではなく、クリスタルで飾られた小型のバレッタだった。
センカは目をパチクリさせた。
「え、なに、これ?」
「なにって、プレゼントだけど」
「……わたしに?」
「他に誰に? さすがにオヤジさんの頭には似合わないだろ」
「え、でも……なんで?」
呆けたような顔で訊いてくる少女に、アレスはぐいっと親指を立てて片目をつぶってみせた。
「もちろん、好きだからさ!」
そうして、アレスは身構えた。左右のどちらから平手がきても対応できるように準備した。まさかこの程度のことでアッパーカットはあるまいから横の動きだけに注目すればよい。なにゆえ女の子に物を贈るときにつまらないことを口走ってわざわざ相手の怒りを買おうとするのか、それはアレスにもよく分からなかったが、おそらくこれまで彼のいわゆる「残念な美人」と付き合った経験がそうさせているのだろうと思っておいた。元からの自分の性情だとは思いたくないアレスである。
随分長いこと待ったような気がするが、その間ニ秒程度。
平手もアッパーカットも肘打ちも、まして投げられることも無かった。
その代わり、センカは白い頬をさっと朱色に染め上げると、ずいっと身を寄せてきた。アレスはどぎまぎした。アレスを見るセンカの瞳に、昼まだはやきこの時間帯にもかかわらず、星空が広がっていた。
「それ、ホント?」
「え?」
「今言ったこと、ホントなの?」
アレスはぎくりとした。
本当は、昨夜例の少女を運んできたとき色々と彼女の世話をしてくれたことへの感謝、それといつも下ろしている黒髪をバレッタで留めてもらってセンカのアップにした髪型を見たかったという下心が原因である。
アレスはうなずくしかない。
「嬉しい。わたし、男の子にちゃんとしたもの貰ったの、初めてだ」
バレッタを飾る宝石と同じくらい目を輝かせているセンカを見て、アレスはごくりと息を呑んだ。一つ後ろ暗い秘密を呑みこんだアレスの腹はどんよりと重くなった。そんな彼の腹模様とは対照的に、
「ありがとう、アレス。大事にする」
そう軽やかな声で言って、宙に浮かんばかりの足取りでセンカはその場を後にした。
「お前もスミにおけんな」
背後からの聞き覚えのある声に、アレスは振り向かない。
「もし今のが冗談だって知ったら、センカ嬢は怒り狂うだろうなあ」
「そ、そんなわけないだろ。べ、べつに、オ、オレたちそんな関係じゃないし」
「どもってるぞ。怖いんだろ」
「怖くなんかない」
「わたしは怖いがな。あの子の武の腕前は尋常じゃないからな。まあ、あんな美人に殺されるなら、それもまた良しだな。お前の墓碑銘はこう彫ってやろう、『あまりにも女ごころが分からない者であった』と」
アレスの脳裏に自分の墓石のイメージがはっきりくっきりと現れた。
アレスはその幻影をどうにか振り払おうと、頭をぶんぶんと振ったが、それは困難を極めた。周囲にいる客は、狂ったように首を振る少年を見て、眉をひそめた。