第106話「馬を手に入れよう」
パカラッ、パカラッというリズミカルな音を聞いたヤナはすぐに立ち止まった。アレスも立ち止まっている。振り返ると、二頭の馬がこちらに向かって疾走してくるのが見えた。もちろん、馬が自らの意志で街道を走っているわけではなく、それぞれの馬にひとりずつ騎乗している者の姿が見えた。どちらも、旅装である。
「どういう知り合いだよ?」
ヤナが訊いた。
「全く見知らぬ人」とアレス。
「は? 知り合いじゃないのか?」
「全然」
「じゃあ?」
「敵だろうな、当然」
アレスはのんびりと言った。そうして、さきほど鞘に納めたばかりの短剣を引き抜くと、呪文を唱え、一振りの剣を現出させてから、ヤナを隠すように前に出た。
二頭の馬は、アレスたちから少し離れたところで止まると、それぞれの主を降ろした。降りた二人の男たちは、ゆっくりと馬を引いて近づいてきた。
「敵じゃないみたいだけど」とヤナ。
「純情なフリするなよ、姐さん」
「フリじゃない。あたしは正真正銘、純粋100パーセントだ。汚れてるのはお前だろ、アレス」
「フ、確かにオレの手は血に汚れているよ」
「いや、手じゃなくて心が汚れてるんだよ」
不毛な掛け合いをしていると、二人の男がアレスたちから数歩の距離で立ち止まった。二十歳すぎほどの年のように見える。
アレスはすっと剣先を向けてやった。
途端に男たちは両手を上げて、敵ではないことをアピールしてきた。
「勇者アレス様とお見受けいたします」
男の一人が丁寧な言葉遣いで言った。
「いかにも。して、貴公らは?」
男たちは、アレスの悪ノリにちょっと戸惑ったような顔をしたが、すぐにさっと膝を折った。
ヤナはアレスの背中をちょんとつついてやった。これはどうやら敵ではなさそうだ。間違いを認めろよ、という意図を込めたわけだが、アレスは反応しなかった。きっときまり悪いのだろうと、ヤナは思った。
「われわれはルジェ王子の推挙を受けて王にお仕えしている者です」
男は自らの身元を明かした。かつて、ルジェに野にいるところを見出され、ミナン王の客となった者であると言う。
「太子がルジェ王子の暗殺を企てているとの情報を独自にキャッチし、急ぎ王子をお助けに馳せ参じたというわけです。王子はどちらでしょうか?」
「この先を馬車で走っているはずだ」
「そうですか。是非、我々をお伴に加えてください。王子をお守りいたします」
男が微笑みながら言った。
「条件がある」
「条件?」
「ああ」
アレスはニヤリとすると、馬をくれないか、と続けた。
「ええ、もちろん。我々は二人で一頭に乗りますので、お二人でもう一頭をお使いください」
そう言うと、男たちは立ち上がった。早速馬に乗る気である。それをアレスが止めた。
「待て」
「はい?」
怪訝な様子で振り向いた男に、アレスは、
「二頭ともくれ」
言うと、すぐさま光の剣で襲いかかった。
それはまばたき一つする間のできごとである。
男はなすすべなく斬られた。
どさりと男が街道に倒れるのと同時、いやそれよりも速くアレスの剣は、もう一人の男の喉元に突きつけられている。
「余計なことは言うな。オレには全て分かってる。お前らが敵だってことはな」
アレスは断定するように言った。
――おいおい、本当かよ。
そばで見ていたヤナは半信半疑であったが、残った男が悔しそうな顔をしたので、驚きである。
「勇者の目は全てを見通すんだ。ルジェの味方の振りをして近づいて、オレたちがルジェのところに連れて行ったら殺すつもりだったんだろ。相手が悪かったな」
男が腰に差していた剣に手を伸ばした。アレスがべらべらしゃべっている隙をつこうとしたのである。しかし、もちろん、アレスはそんな隙をつかれるほどお人好しではない。むしろ、人は相当悪い。鞘に手を触れた男をやすやすと斬ると、
「やっぱ敵だったんだなあ」
とヤナに笑いかけたのである。
「確信してなかったのか?」
ヤナは呆れたように言うと、ひらりと馬に飛び乗った。アレスは、だから試してみたんだろと答えてから、剣の光を消して鞘に納めた。それから自らも、もう一頭の馬に乗る。
「こいつらが来るのがどうして分かったんだ?」
「さっきのガサリ族の三人が成功するかどうか、見張る役がいるはずだろ。で、ガサリの三人組が負けたのを確認したあと、このままオレたちを逃がしてはいけないと思って、きっと追いかけてくると思ったんだよ。もちろん、足は馬だ」
ヤナは素直に感心した。随分と強引な理屈のような気もしたが、現にアレスの言った通りになっており、馬が手に入ったのだ。
「さすがだな」
「オレのカッコ良さをみんなに伝えてくれないか?」
ヤナは真面目な顔でうなずいた。
「『勇者はだまし討ちして馬をぶんどった』でいいか?」
「それは事実だけど、それだけ聞くとなんか誤解されそうな気がするなあ」
「うまく話してやるから心配するな」
ヤナは馬を走らせ始めた。アレスがそれに続く。
街道は少し登りになっている。
風を感じながら、どのくらい馬を走らせればみんなに追いつくだろうかと考えた。
そうして、ひとりの少女のことを思い浮かべたとき、「できるだけ時間がかかった方がいいかも」と思ったのだった。




