第8話「冒険の舞台」
今あなたの前に一枚の半袖シャツがあると思ってもらいたい。色はなんだって構わないが、あなたの心のように純白だとしておこう。その半袖シャツの、あなたから見て左側――つまり着る人から見て右側――の腕のつけねあたり、つまり脇の下の部分、そこから少し内側に入ったところにあるのがミナン国である。「シャツの上に国なんか無いよ、何言っちゃってんの?」という疑問は当然のことであるが、まあ、つまりは半袖シャツのような形の大陸があると思ってくれという話。ちなみに色の話は本当に全く何の関係もない。
さて、ミナンは小国である。脇の下の位置にぴったりとあれば、腋の下の外は海であるので、塩が取れたり、海運貿易などで発展することもできただろうが、古来よりその海岸地域は他国に押さえられていた。ミナンは海に面していない内陸国なのである。無念。また、特産物があるわけでもなく、レアメタルが出るでもない。
無い無いづくしであるミナンがこれまで生き残って来られた理由は二つ。一つにはこの国が、かつて大陸を制覇した王朝の末裔にあたり、周辺国が侵略の手に手心を加えたからである。これはまた後ほど述べることがあるかもしれないが、無いかもしれないので、今簡単に述べておく。
大陸が一つにまとめられるとき、それは武力によって行われることは言うまでもない。しかし、一番喧嘩が強かった者が大陸の覇者になった、というのは下町で子どものガキ大将を決めるわけではあるまいし、さすがに聞こえが悪い。そこで、
「大陸が一つになったのは、制覇を行った国の王が大地の神の祝福を受けたからである」
という擬制がなされるのである。神の祝福を受けたからこそ大陸全体の帝王になれた。この祝福が別の国に与えられると、帝王が変わり王朝が変わる。大地の神を信仰しているこの大陸独自の考え方である。そうして、いったん帝王の座についた者がその地位を他の者に追われたとしても、いったん大地の神の祝福を受けたということには変わりはなく、帝王の座についた者は永遠に尊いとされる。
ミナンは、今から五百年前に大陸を統一したアンロン朝の最後の王の甥に当たる者が建国した国であり、周辺国はかつての帝王の血筋に当たるということを尊重して、これまでミナンを滅ぼすということをしなかった。大地の神の祝福を受けた国を滅ぼすというのは縁起が悪いということだ。
もう一つの理由は商業を発展させたことである。ミナンは三つの大国と境を接している中々に可哀想な国なのであるが、そこを逆に利用して、商売上の中継地点として国を開放した。商人の行き来を寛大にして、他国の金を落とさせたのである。何も持たない国の苦肉の策と言える。勢い、ミナンの国民は利にさとくなり、「お前はミナン人か!」という言葉は、「けち」「拝金主義」「心の貧しいヤツ」と同じ意味であった。
そのミナンの東部にある都市がアレスがここ一週間ズーマと滞在しているイードリ市だった。中程度の地方都市であるので、人口もそこそこ、賑わいもそこそこと言ったところ。まあまあ楽しく生きていく分には支障がないという良く言えば中流の、悪く言えば生ぬるい感じの都市であった。しかし、
「生ぬるさ、大いに結構!」
アレスは拳を天に突き上げる。
諸事情あってこれまで、熱く、いささか暑苦しいくらいにアツく生きてきたアレスにとっては、生ぬるいくらいがちょうど良かった。生ぬるさとはすなわち穏やかさと同義であって、それを嫌ってわざわざ、
「おれは都に行って、一旗上げてくるぜい」
なんぞと口走って町を出るヤツの気が知れない。ここではないどこかへ幸せを求めるなど愚の骨頂。足元を見よ。キミのすぐ近くに幸せはいつでもゴロゴロ転がっているよ。それが、十五年の人生で得たアレスの真実の一つだった。若年のくせに既に、海越え山越え谷に落ちて這い上がってきた春秋高き老人並みの見識を持っていることから、これまでの彼の苦難を推し量ってもらいたい。
イードリ市から更に東に行くと、山地が広がっており、そこを越えると、隣国ヴァレンスである。ヴァレンスもミナンと同様の小国であり、現在は年若い王女が治めている。一年前に王が亡くなり、現在は喪中であるが、喪が明ければ王女は女王として即位する。ミナンとは小国同士の紐帯を強め、仲良しの関係である。
大陸には、現在、六つの大国と、十数個の小中国があるわけだが、ミナンが大国三国に睨まれているということは既に述べた。三匹の大蛇に挟まれた一匹のカエルの心もちを思ってもらえば良い。しかし、ミナンの現王は名君としての誉れ高く、外交上の努力で蛇の牙を巧みにすりぬけてきた。次期王の呼び声高い王子も評判が良く、王子の御代になればミナンは大きく発展していくのではないか、という期待がこれまで窮屈な思いをしてきたミナン人には濃厚にあった。
話があちこちへ飛んだが、一言でまとめると、ミナンはまあまあ平和な国であって、同盟を組んでいるヴァレンスに近いイードリ市はさらに戦争とは縁遠く気だるい町である、そういうことを分かってもらえれば足りる。