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告白タイム

午前中は一時間の英会話教室。

それが終わると、僕たちは暇な時間を持て余していた。

シドニーに来てから少しだけ、僕はジャパニーズ・レストランでアルバイトをしたこともあったが、二週間であっけなく辞めてしまった。

そこに楽しさは見当たらなかったし、わざわざオーストラリアまで来てこんな生活を送る意味なんてどこにもないと思った。

アサハラさんもサイキさんも、フラットの連中はみんな一様に暇を持て余していた。

僕たちはトランプを広げては大富豪や七並べに興じ、あるいはボンダイ・ビーチ沿いの店で特大のピザを買ってきては、それをコーラと一緒に無心に口へ運んだ。

時折、日が落ちてからボンダイ・ジャンクション駅近くのコートを借りて、テニスをすることもあった。

ラケットを握るのは、千葉商科大学で遊び半分のサークルに顔を出していた時以来、二年以上ぶりのことだった。

フラットの仲間四人でダブルスの試合を始めた。

最初はサーブが入るかどうかさえ心もとなかったけれど、軽く打っている分には身体が感覚を覚えていた。

ネットの向こう側では、サイキさんが腰を落として低く構えている。

僕はふと思い立って、本気でサーブを打ってみることにした。

僕はラケットの面がフラットになるようにグリップを握り直し、ボールを空高く放り上げた。

バレーボールのアタックでも打つかのように高くジャンプし、ありったけの力を込めてラケットを振り抜いた。

自分でも驚くほどの、完璧な高速サーブが突き刺さった。

サイキさんは反応することさえできず、ただそこに立ち尽くしていた。

その時、コートの脇からパチパチパチと乾いた拍手の音が聞こえてきた。

いつの間にかベンチに座っていた初老のオージーが、僕たちの拙いテニスを見守っていた。

もちろん、それはただのまぐれだった。

僕は少し照れくさくなって、次からはまた、元の頼りないサーブに戻した。


キャンベラに行って以来、週末は、チエミちゃんたちと出かける事が僕たちの日常になっていた。

オールド・シドニー・タウンやマンリー・ビーチ近くの小さな遊園地に行ったりした。

五月上旬、シドニーの夏が名残惜しそうに去り、街が静かに秋の気配を帯び始めた頃のことだ。

まだ肌に触れる風が柔らかかった週末、僕たちはあるバーベキュー・パーティーに招かれた。

参加したのは、チエミちゃんとルミコさん、それにアサハラさんと僕の四人だ。

場所はブロンテ・ビーチ。

ボンダイよりもいくぶん小ぢんまりとしたビーチだ。

そこには二十代前半の日本人たちが五十人ほど集まっていた。

芝生の上にはいくつかの東屋があり、屋根の下には固定された椅子と、中央に鉄板を備えたテーブルが置かれていた。

コインを投入すると鉄板が熱を帯び始めるという公共のバーベキュー施設の仕組みを、僕はひどく合理的なものとして眺めていた。

鉄板の上にアルミホイルを敷いてから、ステーキ肉やソーセージを並べて焼いて食べた。

食事をしていると主催の二人組の女の子が「楽しんでる?」と声をかけに来た。彼女たちは二人は大阪から一緒に来たの事で賑やか関西弁を話しその場を盛り上げてくれた。パーティーに来ている全員が顔見知りという訳ではなかった。

食事が終わる頃、主催者の男性が「ゲームを始めるからみんな集まって」と言った。僕たちはビーチの砂浜に集まった。

ゲームは当時の大学生が考えそうな内容だった。女の子と男の子が交互になるように2列のチームを作ってレースを競う。同じようなゲームを2回戦して前後の男女がバラバラになるようにしてチーム入れ替える。最初のゲームは風船渡しリレーだ。前の人が後ろの人に風船を渡す。ちゃんと渡さないと風船が横風で飛んでしまう。手と手が自然と触れ合った。2番目のゲームは伝言ゲームだ。一番前の人がメモを見て後ろの人の耳元に小さな声で囁きメモに書いてある言葉を伝言する。「始めた見て時から好きです」とかちょっと恥ずかしい言葉が伝言される。

そして、最後のゲームが始まった。

細長いポテトチップスのようなスティックを各自が口に咥え、アルミホイルで作られた小さなリングを、手を使わずに前から後ろへとリレーしていく。

僕の前には、チエミちゃんがいた。

リングを渡そうとすれば、自然とキスを交わすような姿勢になってしまう。

チエミちゃんまでアルミホイルのリングが回ってきた。

彼女は僕の方を振り返り、口に咥えたチップスから、僕が咥えているチップスにリングを入れた。

チエミちゃんの顔がこんなに近づいたのは初めてだった。

僕はドキドキした。


ゲームが終わると、主催者の男が拡声器を通したような大声で、「男性はあっち、女性はこっちに並んで」と告げた。

二十メートルほどの距離を置いて、僕たちは向かい合わせの二本の列になった。

主催者の男が「告白タイム」にやけながらそう叫んだ。

当時、テレビで人気があった企画だ。向かい側に立っている好きな女性の前に男性が走って行って告白する。急な演出だった。

列の隣にアサハラさんがいた。僕に「どうするん?」と聞いてきた。

僕は迷わず「チエミちゃん」と即座に答えた。

アサハラさんは「チエミちゃんは無理やろ~」と少し呆れたように言い。「俺はさっき挨拶に来たあの関西の子にするわ」と言った。主催者が順番に、女の子たちの名前を呼び始めた。名前を呼ばれた子の前まで男が走り寄り、「お願いします」と言って右手を差し出す。承諾なら、彼女はその手を握り返す。それがルールだった。

何人かの名前が呼ばれた後に、チエミちゃんの名前が呼ばれた。

僕は「ハイッ」と短く声を上げ、砂を蹴って彼女の前に立った。

すると「ちょっと待ったー!」

背後から誰かの叫び声が上がった。そういうシステムなのだ。

僕の横に、もう一人の見知らぬ男が並んだ。

最初に僕が「やっぱりチエミちゃんです。お願いします」

と言って右手を差し出した。

横の男が「あまり喋ってないけど、一目惚れです。お願いします」

と言葉を添えて右手を差し出した。


チエミちゃんはすぐに頭を下げて「ゴメンナサイ」と言った。


帰り道、僕たちは来た時と同じ378番のバスに揺られていた。チエミちゃんとルミコさん、それにアサハラさんと僕。

チエミちゃんに「ゴメンナサイ」と頭を下げられたというのに、僕の心は晴れやかだった。それは自分でも意外なほどの軽やかさだった。告白タイムなんていうテレビ的なゲームを通してではあったけれど、自分の気持ちを彼女へ伝えることができた事が無性に嬉しかった。

翌日、ボンダイ・ジャンクションの英会話教室へ行くと、そこにはいつも通りのチエミちゃんがいた。彼女は昨日の出来事なんて最初からなかったかのように、ごく自然に、いつもの佇まいでそこに座っていた。その「いつも通り」の振る舞いが、僕の心を落ち着かせてくれた。

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