表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/15

第八話:氷の宰相のチェックメイト

 南の地での勝利を携え、私とリアム様は「療養」を切り上げ、足早に王都へと帰還した。


 社交界では「やはり南の水は合わなかったようだ」「あの婚約は宰相閣下にとって荷が重すぎたのでは」などと、面白おかしい噂が飛び交っている。結構なことだ。その油断こそが、私たちの最大の武器になるのだから。


 案の定、私たちの最大の敵である財務大臣は、まだ何も知らずにいた。彼は、シュタイナー侯爵領で「自然災害」が発生し、侯爵が破産寸前だという報せが届くのを、今か今かと待ちわびていることだろう。


 リアム様は、すぐには動かなかった。王に直接証拠を突きつけるのは、最も単純で、最も芸のない手だ。彼は、敵を社会的に、完全に抹殺するための、完璧な舞台を整え始めた。


「宰相閣下、療養中に発見した『国家の安全保障を揺るがす重大な案件』について、緊急の閣議を要請する」


 その報せに、王城は騒然となった。財務大臣も、まさか自分の陰謀が露見したとは夢にも思わず、一体何事かと、いぶかしげな顔で閣議へと出席した。


 婚約者として末席に座ることを許された私は、議員席の片隅から、これから始まる一方的な蹂躙劇を、胸の高鳴りを抑えながら見守っていた。


「先日、私が訪れた南方のシュタイナー領で、小麦の生育不良が確認された」


 リアム様は、あくまで冷静に、淡々と切り出した。その言葉に、財務大臣が待ってましたとばかりに、悲痛な顔(もちろん、見せかけの)で立ち上がる。


「なんと、それは由々しき事態! 宰相閣下、民が飢えることのないよう、私めが責任をもって、国の穀倉から支援物資を手配いたしましょうぞ!」


 ――かかった。


 私は、心の中で喝采を叫んだ。リアム様が仕掛けた罠に、彼は自分から飛び込んできた。


「おお、それはありがたい。あなたほど、シュタイナー領のことを心配してくださる方がいるとは、私も心強い」


 リアム様はそう言うと、その表情から、すっと温度を消した。彼の両目が、獲物を捉えた捕食者のように、氷の光をたたえる。


「あなたが、それほどまでに、あの土地を『心配』なさっている理由が、よくわかりました」


 次の瞬間、リアム様が提示したのは、刺客の署名入りの自白調書、私のリトマス試験紙による毒の鑑定結果、そして、財務大臣の不正な金の流れを示す、完璧な証拠の山だった。


「こ、これは、捏造だ! 私を陥れるための、悪質な罠だ!」


 財務大臣は、真っ青な顔で叫ぶ。だが、彼の味方をする者は、もう誰もいなかった。これまで彼に追従していた貴族たちも、蜘蛛の子を散らすように距離をとり、自分に累が及ぶのを恐れて俯いている。


 静まり返った会議室に、国王陛下の厳かな声が響き渡った。


「……財務大臣。貴様を、国家反逆罪の容疑で逮捕する。衛兵、連れて行け」


 こうして、リアム様の最大の政敵は、彼の仕掛けた完璧なチェックメイトによって、血を流すこともなく、静かに盤上から消え去った。


 その夜。宰相官邸の書斎は、勝利の静けさに満ちていた。


 リアム様は、私をただの駒としてではなく、対等なパートナーとして、その瞳に深い信頼の色を宿して見つめていた。


「君の知識が、彼の息の根を完全に止めた。……我々は、恐ろしく相性がいいらしい」


 彼はそう言うと、執務机のそばにあるティーセットから、自らの手で紅茶を淹れ、そのカップを私に差し出した。彼が、私のために、何かをしてくれたのは、これが初めてだった。その小さな行動が、どんな言葉よりも、私たちの関係の変化を物語っていた。


「申し上げたはずですわ。わたくしは、あなたの成功を確実にするための、最高の妻ですから」


 私が微笑んでカップを受け取ると、彼の唇の端に、ほんのわずかな、しかし本物の笑みが浮かんだ気がした。


「……ああ。信じ始めてきたよ、エレノア」


 初めて、彼は私の名を、何の肩書もつけずに呼んだ。


 偽りの婚約から始まった私たちの関係は、確かな勝利と、そして、本物の絆の萌芽を手に入れたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ