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第六話:盤上の外の駆け引き

 シュタイナー侯爵領の小麦が枯れるまで、あと二週間。


 その日、宰相官邸から、一つの衝撃的なニュースが社交界に流れた。


「氷の宰相閣下、過労により倒れる。婚約者エレノア嬢を伴い、南方の温泉地にて長期療養へ」


 もちろん、これは全て、私たちが仕組んだカバーストーリーだ。社交界のゴシップ好きたちが「やはり、あの令嬢は疫病神だ」「宰相閣下も、とうとう心労がたたったか」と好き勝手に噂している間に、私たちの乗った豪奢な馬車は、一路、南のシュタイナー侯爵領を目指していた。


 二人きりの馬車の中は、まだどこかぎこちない空気が流れていた。


「……それで、次の手筈は?」


 リアム様は、馬車の中でも分厚い資料を読みながら、あくまで事務的に尋ねる。


「まずは、侯爵様を説得することですわね。ご自身の領地の警備に絶対の自信をお持ちのはずですから」


 私は、ゲームのシナリオを思い出しながら答える。


 そんなビジネスライクなやり取りが続く中、馬車が休憩のためにとある宿場町に立ち寄った。


「リアム様、この町の教会には、建国時代の英雄が使ったとされる盾が奉納されているそうですよ。レプリカですが、見事な装飾だとか」

「……なぜ、君がそれを」


 歴史好きな彼の興味を引くであろうことを、私はもちろん知っている。


「婚約者様の、お好みを把握しておくのも、妻の務めですもの」


 私が悪戯っぽく笑うと、彼は初めて、少しだけ困ったような顔をして視線を逸らした。氷の宰相の、ほんのわずかな人間らしい表情。その一つ一つが、私にとっては最高のファンサービスだった。


 シュタイナー侯爵領に到着した私たちを、当主であるシュタイナー侯爵――厳格で知られる、白髪の老紳士が出迎えた。


「これはこれは、宰相閣下。休養のためのご旅行と伺っておりましたが、わざわざこのような辺鄙な場所まで……」


 彼の言葉には、明らかに困惑と警戒の色が滲んでいた。


 リアム様は、人払いをさせた書斎で、単刀直入に本題を切り出した。シュタイナー侯爵の領地が、財務大臣の陰謀によって狙われていること。そして、近々、小麦畑に魔術的な毒が撒かれるであろうことを。


「馬鹿な!」


 侯爵は、案の定、激昂した。


「我が領地の警備は完璧です! そのような狼藉、誰一人として許しませんぞ!」

「ええ、存じておりますわ、侯爵様」


 そこで、私は静かに口を開いた。


「ですから、信じていただく必要はございません。ただ、私たちと一緒に、犯人を捕まえるための『罠』を仕掛けてはいただけませんこと?」


 私は、犯人が現れる正確な日時と場所――領地の東側を流れる、第三灌漑用水路――を告げた。そして、懐から数枚の、特殊な薬品を染み込ませた羊皮紙を取り出す。


「これは、わたくしが作らせた物です。例の毒に触れると、瞬時に黒く変色いたしますわ。これがあれば、言い逃れのできない、動かぬ証拠となるはずです」


 前世の化学知識を応用した、お手製の「リトマス試験紙」だ。


 私の具体的な計画と、リアム様が私に寄せる信頼の眼差しに、シュタイナー侯爵の頑なな態度も、次第に軟化していった。


 そして、運命の夜。


 月明かりもない、漆黒の闇の中、私たちは息を潜めて第三灌漑用水路を見下ろす茂みに隠れていた。冷たい夜気が肌を刺す。隣にいるリアム様の緊張が、静かに伝わってきた。ゲームの知識は絶対だ。でも、実際にこうして危険な現場に身を置くと、さすがに心臓が早鐘を打つ。


 その時だった。


 茂みの向こうから、一人の男が、周囲を警戒しながら用水路へと近づいてきた。その手には、黒い液体で満たされた、小さな小瓶が握られている。


 ――来た!


 私は、隣にいるリアム様と、見えない闇の中で視線を交わした。


 私たちの、最初の共同作業。そのクライマックスの幕が、今、上がろうとしていた。

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