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第三話:契約(プロポーズ)は盤上の外で

 約束の日、私はシャロット様からの招待状を手に、再び宰相閣下の屋敷――黒い要塞の門をくぐった。


 今度は客として、堂々と。


 屋敷の中は、想像通り、華美な装飾を排した実用的な美しさに満ちていた。磨き上げられた黒檀の床、整然と並ぶ書物、そして、ぴりりと張り詰めた空気。全てが、私の愛する“推し”、リアム・ブラックウェル様そのもので、私は感動に打ち震えそうになるのを必死でこらえた。


「エレノア様、こちらへどうぞ。兄が帰る前に、美味しいお茶をいただきましょう」


 シャロット様に導かれ、客間へ向かおうとした、その時だった。


「シャロット。その方は?」


 背後から、低く、そして温度のない声が響いた。


 心臓が、跳ね上がった。この声! ゲームで、何度、イヤホン越しに聞いたことだろう!


 ゆっくりと振り返ると、そこに、彼が立っていた。


 月光を溶かしたような銀色の髪。理知の光を宿すアイスブルーの瞳を縁取る、銀縁の眼鏡。黒を基調とした隙のない服装に包まれた、長身痩躯の身体。


 生きてる……! 動いてる! 私の最推し、リアム・ブラックウェル様が、三次元に顕現している!


 あまりの尊さに、私は眩暈がしそうになるのを奥歯を噛み締めて耐えた。


「お兄様! こちら、先日お話ししたエレノア・マーシャル様ですの」


 シャロット様が嬉しそうに私を紹介するが、リアム様の射抜くような視線は、一切の温度を変えずに私を捉えている。婚約破棄されたスキャンダルの女。彼の目には、私がそう映っているのだろう。


 だが、好都合だ。私はシャロット様に優しく微笑みかけた。


「シャロット様、申し訳ありませんが、少しだけお兄様とお話をさせていただいてもよろしいかしら。あなたが淹れてくださるという特別な紅茶、楽しみにしておりますわ」


 私の意図を察するはずもないシャロット様が、にこやかに部屋を出ていく。二人きりになった静寂の中、私はついに、宣戦布告の口火を切った。


「ようやくお会いできましたわね、宰相閣下、リアム・ブラックウェル様」


 私は淑女の笑みを浮かべ、しかし、その瞳にありったけの覚悟を込めた。


「単刀直入に申し上げます。わたくし、あなたの全てを知っておりますわ。一年後、政敵の罠にはまり、国家反逆罪の濡れ衣を着せられて処刑されるという、あなたの未来も」


 その瞬間、彼の氷の仮面に、初めて明確な亀裂が入った。驚愕と、そして最大級の警戒心。


 私は、その隙を逃さなかった。


「わたくし、その未来を変えられます。あなたの破滅フラグを、根こそぎへし折ってみせますわ。見返りは、一つだけ。――わたくしを、あなたの妻にしていただきたいのです」


「……狂人か」


 ようやく我に返ったリアム様が、心底から侮蔑するように吐き捨てた。


「王太子に捨てられた挙句、ついに頭がおかしくなったか、マーシャル嬢。実に滑稽だな」

「では、試されますか?」


 私は、彼の嘲笑をものともせずに続けた。


「三日後の閣議にて、ノース子爵が西部地域の穀物への増税案を提出いたします。それは、あなたの政敵である財務大臣が仕掛けた罠。条文の隅に、西部の貴族たちを意図的に怒らせる一文が隠されており、見逃したあなたの責任問題へと発展する手筈ですわ」


 私は、ゲームで知っていた問題の条文と、最初に反発する貴族の名前まで、淀みなく告げてみせた。


 リアム様の顔から、表情が消えた。あまりに具体的すぎる情報。これがただの妄言でないことを、彼の頭脳は瞬時に理解しただろう。


 彼は、初めて私を「ただの愚かな女」ではない、未知の存在として見た。


 スパイか、預言者か、あるいは、恐ろしく勘のいい狂人か。どちらにせよ――。


「……よかろう、マーシャル嬢」


 その声は氷のように冷たいまま、しかし、わずかながら好奇の色を帯びていた。


「その情報、真偽を確かめさせてもらう。もし、お前の言う通りであれば……その滑稽な提案、一考の価値くらいは認めてやろう。だが、覚えておけ。もし、お前が敵の差し金であれば、寸分の躊躇もなく、お前を叩き潰す」

「ええ、望むところですわ」


 私は、勝利を確信し、心からの笑みを浮かべた。


「契約成立、ですわね。閣下」


 盤上の外で始まった、私の“推し”を救うためのゲーム。その第一手は、見事に成功したのだった。

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