第十五話:氷の宰相の幸福な誤算
季節が巡り、アルフレッド殿下の教育は、見事な実を結んだ。彼は、かつての未熟な少年ではなく、民を思い、国の未来を真に憂う、思慮深い次期国王へと成長を遂げていた。
その成果を認めた国王陛下は、王宮の大ホールに全ての貴族を集め、公式な宣言を行った。
「王太子アルフレッドの成長は、偏に、宰相ブラックウェル卿と、エレノア・マーシャル嬢の尽力によるものである! 二人は、この国に新しい時代の礎を築いた、真の功労者だ!」
そして、陛下は満面の笑みで、こう続けた。
「よって、ここに、二人の結婚を、王家が全面的に祝福することを宣言する! この吉事は、国の新たな門出を祝う、希望の象徴となるだろう!」
私たちの婚約は、もはや政略的な契約ではない。国中が祝福する、真実の愛の物語として、新たな章を迎えたのだ。
結婚式の準備に追われる日々の中、私は、リアム――今では、二人きりの時にそう呼ぶことが許された、愛しい人の書斎で、自らデザインしたウェディングドレスの最後の仕上げをしていた。
「エレノア。君の最初の『提案』は、私がこれまで目にした中で、最も大胆不敵な政治的策略だった」
私の作業を眺めながら、リアムが、楽しそうに言った。
「そして私は、その策略に、完璧にはまってしまったわけだ」
かつての氷の宰相の面影はなく、そこには、ただ一人の女性を、愛おしそうに見つめる、一人の男の顔があった。
結婚式当日。
王都の大聖堂は、国中の要人たちで埋め尽くされていた。
大聖堂の重い扉が開かれ、父のエスコートでバージンロードを歩む私の瞳には、祭壇の前で私を待つ、リアムの姿しか映っていなかった。
私たちは、神の前で、自らの言葉で誓いを立てた。
「わたくし、エレノア・マーシャルは、かつて、書物の中に描かれた物語を知っておりました。ですが、リアム、あなたが教えてくれましたわ。本当の未来とは、自らの手で書き記すものであると。憧れの登場人物を救うという使命は、いつしか、あなたという一人の男性への愛へと変わっておりました。私の知識と、忠誠と、そして愛のすべてを、今日この日から永遠に、あなたに捧げることを誓います」
リアムもまた、その氷の瞳を、極上の熱で溶かしながら、私に誓ってくれた。
「私、リアム・ブラックウェルは、かつて、世界を敵と駒が並ぶ盤上としてしか見ていなかった。だが、エレノア、君が、そこに生きる人々の心と、愛と、未来があることを教えてくれた。私は、契約によって『武器』を得たつもりでいたが、見つけたのは、生涯を共にする、ただ一人の『女王』だった。私の人生と、名誉と、この心の全てを、私の唯一のパートナーである君に捧げる」
交わした口づけは、契約の証でも、政治的な見せ物でもない。深く、そして永遠を誓う、真実の愛の形だった。
――そして、数年後。
宰相官邸の陽当たりの良い庭で、私は、木陰のベンチに座り、穏やかに読書をしていた。その少し先では、私の愛する夫が、チェス盤を挟んで、小さな男の子と真剣勝負を繰り広げている。銀色の髪を父親から、輝くような快活な瞳を母親から受けついだ、私たちの息子だ。
時折、庭を訪れるアルフレッド殿下――今や、国民から厚い信頼を寄せられる、立派な王太子――が、その様子を微笑ましげに眺めている。
チェス盤から顔を上げたリアムが、私に気づき、微笑む。それは、かつての世界で誰も知らなかった、私と、私たちの家族だけに見せてくれる、陽だまりのような笑顔だった。
私は、読んでいた本を、そっと閉じた。
私が知っていたゲームの物語は、もう、とっくに終わっている。
「王太子との婚約を破棄して、物語の悪役を救いに来たはずが」
夫と息子の笑い声を聞きながら、私は心の中で呟く。
「まさか、どんなおとぎ話よりも素敵な、自分だけのハッピーエンドを、この手で書き上げることになるなんて」
それは、偽りの婚約から始まった、私の人生で、最高に幸福な誤算だった。