第十四話:王妃の器と、愛の在り処
アルフレッド殿下の教育は、順調に進んでいた。彼は、かつての傲慢さが嘘のように、私とリアム様が与える課題に真摯に取り組み、統治者としての視野を日に日に広げている。だが、彼の心には、まだ一つの大きな澱が残っていた。
その日の議題は、隣国との関係を占う、政略結婚について。リアム様が、その政治的意義と複雑さについて講義する中、アルフレッド殿下の意識が、上の空であることに私は気づいた。
「殿下、何かお悩みごとでも?」
私が優しく尋ねると、彼は気まずそうに視線を彷徨わせた後、珍しく、弱々しい声で本音を漏らした。
「……ロザリーとのことだ」
ロザリー嬢。かつて彼が「真実の愛」と叫び、私の代わりに選んだ男爵令嬢。彼女との関係が、今、破綻しかけているという。後ろ盾を失った彼女は、アルフレッド殿下に、自身の家の地位の回復ばかりを求めるようになったらしい。
「殿下の私的な問題は、国の政とは無関係です」
リアム様は、冷ややかに切り捨てた。
「いいえ、リアム様」
私は、静かに反論した。
「自らの心を治められない者に、国を治めることはできませんわ。殿下のその悩みは、未来の国政に直結する、重大な問題です」
そして、私は、二人を驚愕させる提案をした。
「わたくしが、ロザリー様と、お話をさせていただきます」
「なっ……君が、彼女と!? だが、それは……!」
アルフレッド殿下は、あまりのことに言葉を失っている。リアム様もまた、「その必要はない」と、私を庇うように、反対の意を示した。
だが、私の決意は固かった。
数日後、私は王宮のティールームで、ロザリー嬢と二人きりで向き合っていた。彼女は、私に対し、棘のような警戒心を隠そうともしない。
私は、過去のいざこざには一切触れなかった。ただ、静かにお茶を飲みながら、最近のアルフレッド殿下の様子について語り始めた。彼がどれほど国務に励んでいるか。未来の王としての重責に、一人で懸命に耐えているか。
「王太子妃とは、ただ殿下の隣で微笑むだけのお飾りではございません。彼の孤独を分かち合い、その重荷を、共に背負う覚悟を持つ者のための場所です。それは、時に、自分自身の望みを全て捨てなければならないほど、過酷な道……」
私は、彼女を諭すでも、責めるでもなく、ただ事実だけを告げた。
「あなたに、その覚悟はおありになって?」
私の言葉に、彼女は俯き、その肩は小さく震えていた。
その数日後。アルフレッド殿下は、私たちの前に現れると、神妙な面持ちで告げた。ロザリー嬢が、自ら身を引き、修道院に入ることを決めた、と。彼女は、最後に「わたくしには、王妃の器はございませんでした」という言葉を残していったらしい。
全てが、穏やかに、そしてあるべき場所へと収まった。
アルフレッド殿下は、私に向かって、深く、深く頭を下げた。
「……エレノア様。君は、私が思っていたよりも、ずっと……心が広く、そしてお優しい方だった。君にした仕打ちを、心から、詫びる」
それは、彼の、初めての、心からの謝罪だった。
その夜、屋敷のバルコニーで月を眺める私の背後から、リアム様が静かに近づいてきた。
「私であれば、復讐を選んだだろう。彼女を、完膚なきまでに叩き潰していたはずだ」
彼の声には、深い感銘が滲んでいた。
「だが、君は違った。君は、破壊ではなく、癒しによって、全てを解決した」
彼は、私の後ろから、その腕を私の腰に回し、背中から優しく抱きしめた。それは、これまでとは全く違う、明確な愛情のこもった抱擁だった。
「君は、ただ賢いだけではない。君は、気高い。……私が持ち得なかった、本当の気高さを、君は持っている」
彼の頭が、私の肩にこてんと乗せられる。まるで、甘えるように。
「リアム様……?」
「……リアム、と」
耳元で、彼の低い声が囁く。
「リアム、と呼んでくれ。エレノア」
偽りの契約から始まった私たちの関係は、今、この瞬間、本当の愛という名の、新しい契約を結び直した。氷の宰相が、初めて見せた、愛という名の、完全な降伏だった。