第十三話:王の見る景色
アルフレッド殿下の「再教育」が始まって、数週間が経った。
私たちの間には、奇妙なルーティンが生まれていた。法律や歴史といった理論はリアム様が教え、その知識をどう現実に活かすかという実践的な思考法は、私が教える。アルフレッド殿下は、相変わらず不承不承といった態度だったが、彼の私に対する敵意は、いつしか、厄介な家庭教師に対する、ある種の好敵手意識のようなものに変わっていた。
「殿下、この地域の災害救助について、法に則れば、まずこちらの貴族の許可を得てから物資を輸送するのが筋です」
リアム様の正論に、アルフレッド殿下はうんざりしたように顔をしかめる。
「では、殿下。もし、あなたが使える駒が、騎士百名と金貨一万枚だけだとしたら? 三日という制限時間内に、一人でも多くの民を救うための、最も効率的な一手は、どこに打ちますか?」
私がゲームのような問いを投げかけると、彼の瞳に、途端に思考の色が宿る。彼に必要なのは、退屈な暗記ではなく、頭脳を刺激する挑戦なのだ。
だが、机上の空論だけでは足りない。
「リアム様。次は、フィールドワークと参りましょう」
私はある日、そう提案した。
「王都の下町で進められている、公共事業の視察ですわ」
「危険だ。それに、報告書を読めば済む」
「報告書では、町の匂いも、商人の目つきもわかりませんわ。王とは、民の顔を知る者であるべきです」
私の言葉に、意外にも、アルフレッド殿下が「エレノアの言う通りだ。行こう」と賛同した。部屋に閉じこもっているのが、よほど退屈だったらしい。リアム様は、渋々といった体で、私服での極秘視察を許可した。
王宮しか知らないアルフレッド殿下にとって、下町の光景は衝撃だったようだ。そして、私たちは、そこで一つの「事件」に遭遇する。視察先の市場で、役人が商人たちから不当な税を取り立てていたのだ。
「無礼者! 私を誰だと心得る!」
正義感に燃えたアルフレッド殿下が、王子の権威を振りかざして役人を怒鳴りつけようとする。私は、その腕をそっと掴んで制した。
「お待ちください、殿下。今あなたが彼を罰すれば、溜飲は下がるでしょう。ですが、あなたが去った後、この役人の怒りは、より弱い立場の商人たちへと向かいますわ。王の裁きは、その場限りであってはなりません」
私は、答えではなく、問いを投げかける。
「問題の根源は、法ですか? それとも、法を執行する、人ですか? 彼を合法的に罰するには、何が必要でしょう? 商人たちが、自らを守れるようにするには、どうすれば?」
私の導きに、アルフレッド殿下は、初めて自らの頭で考え、行動し始めた。商人たちから話を聞き、証拠を集め、法に則った手順で、役人の不正を告発する準備を整えた。力ではなく、法と知恵で問題を解決する。それは、彼が、真の統治者としての第一歩を踏み出した瞬間だった。
その日の帰り道、アルフレッド殿下は、驚くほど素直な、そして尊敬の念のこもった目で、私を見ていた。
夜、屋敷の庭で、リアム様が静かに私に告げた。
「……君は、実に素晴らしい教師だ」
その声には、心からの感嘆が滲んでいた。
「君は、彼に知識を教えているのではない。王たるものの『知恵』を教えている」
彼は、そっと私の隣に立ち、同じように夕日を眺めた。
「この契約を結んだ時、私は、有用な『武器』を手に入れたと思っていた」
彼は、言葉を続ける。
「だが、今ではわかる。……私が得たのは、共に、この国を創り上げていく、かけがえのないパートナーだったのだと」
その言葉は、どんな愛の告白よりも、深く、そして温かく、私の心に響き渡った。私たちの偽りの契約は、もうどこにも存在しない。そこには、ただ、同じ未来を見つめる、二人の確かな絆があるだけだった。