第十二話:未来の国王の育て方
王太子アルフレッド殿下への、最初の「ご進講」の日。
舞台となった王宮の一室は、重々しい沈黙に支配されていた。私たちの「生徒」であるアルフレッド殿下は、ふてくされた顔で椅子に座り、私とリアム様を、まるで不倶戴天の敵のように睨みつけている。特に、彼から見て私の隣に座るリアム様への視線には、嫉妬と憎悪がありありと浮かんでいた。
「殿下。本日より、我が国の統治の根幹たる、税法について学んでいただきます。まずは、こちらの三十七巻を、一字一句違わずに暗記していただくことから始めましょう」
リアム様は、家庭教師というよりは、冷徹な看守のように、分厚い本の山を机に積み上げた。その氷のようなやり方に、アルフレッド殿下の反発心は、火に油を注がれたように燃え上がる。
ああ、もう。初日からこれでは先が思いやられる。
「リアム様、お待ちくださいませ」
私は、二人の間に割って入ると、にこやかに微笑んだ。
「まずは、もっと実践的なお勉強から始められては、いかがでしょう?」
私は、アルフレッド殿下に向き直る。見下すのではなく、あくまで対等な目線で。
「殿下。昨年の、新しい水道橋の完成記念式典を覚えていらっしゃいますか? 民衆は大変な喜びに沸きましたわね。ですが、その半年後、莫大な維持管理費のせいで、その土地を治める子爵家が破産寸前となったことは、ご存じでしょうか?」
「……知らん」
突然、現実的な問題を突きつけられたアルフレッド殿下は、不機嫌そうに呟いた。
「大きな事業は、民を喜ばせます。ですが、王の務めは、それだけではございません」
私は、羊皮紙に簡単な図を描きながら説明した。お金の流れ、資材の調達ルート、そして、それによって変化する民衆の感情。
「一本の橋を架けることが、一年後のパンの値段に、どう影響するのか。その、目には見えない繋がりを読み解き、全体の均衡を保つこと。それこそが、真の治世ですわ」
私は、「学問」を教えたのではない。「王として、物事をどう見るべきか」という、視点そのものを教えたのだ。
私の講義は、パズルのように、一つの問題を解き明かしていく面白さがあったのだろう。アルフレッド殿下は、いつの間にか身を乗り出し、私の描いた図を食い入るように見つめていた。そして、初めて、自らの意思で、的を射た質問を口にした。
「……その維持費は、事前に試算できなかったのか?」
その小さな変化を、リアム様は黙って見つめていた。彼の表情は読めない。だが、彼が、私という人間の全く新しい側面に驚いていることだけは、私にはわかった。
その日のご進講は、大成功とは言えないまでも、確かな一歩となって終わった。
夜、私たちの王都の屋敷に戻ると、リアム様は珍しく、長いこと黙り込んでいた。やがて、彼は重々しく口を開く。
「……私が、間違っていた。私のやり方は非効率的だ。君の方が、はるかに優れていた」
彼のようなプライドの高い人間にとって、それは最大の賛辞だった。
「いいえ。わたくしたちには、それぞれ違う強みがあるのですわ。だからこそ、パートナーなのでしょう?」
私が微笑むと、彼は静かに私へと近づいてきた。
「ああ、そうだな」
彼は、私の頬にかかった一筋の髪を、そっと指で払う。その指先が、必要以上に長く、私の肌に触れていた。
「今日は、君に、私も一つ、教えられたようだ……エレノア」
その優しい声と、触れた指先の熱に、私の心臓が、またしても計算外に、大きく高鳴った。
私たちの新しい挑戦は、この国の未来だけでなく、私たち自身の未来をも、ゆっくりと、しかし確かな温かさで育み始めているようだった。