第十一話:盤上の外の王手
トリスタン将軍との一件以来、私とリアム様の関係は、新しいステージへと移行していた。彼はもう、私の「予言」をただ待つのではなく、あらゆる政務において、私を対等なパートナーとして扱い、その意見を求めるようになった。私たちの婚約は、社交界においてもはや「スキャンダル」ではなく、宰相閣下の権力を盤石にする、最も堅固な「同盟」として認識され始めていた。
その夜、王城で開かれた夜会でも、私たちは注目の的だった。かつてはこのような場を嫌っていたリアム様が、私の手を取り、堂々とダンスフロアの中心で踊る。その姿は、一分の隙もない、完璧な力関係を貴族たちに見せつけていた。
そんな私たちの元へ、国王陛下自らが、穏やかな笑みを浮かべて近づいてきた。その異例の出来事に、周囲の貴族たちが息をのむ。
「ブラックウェル卿、そしてエレノア嬢。二人の尽力に、改めて感謝する。お陰で、国の気風は一新された」
陛下は私たちを労うと、ふと、その表情を曇らせた。
「だが、一つ、懸念が残っている。……息子の、アルフレッドのことだ」
アルフレッド殿下。私を公衆の面前で婚約破棄した、元婚約者。財務大臣という後ろ盾を失い、自らの愚行で権威を失墜させた彼は、今や抜け殻のようになっているという。
「このままでは、あの子に、この国の未来を任せることはできん」
国王陛下は、私たちに、思いもよらないことを要請した。
「そこで、二人に頼みたい。アルフレッドの、公式な『後見人』兼『教育係』となってもらってはくれまいか。君たちのその知性と品格で、あの愚かな息子を、真の王太子へと育て直してほしいのだ」
――後見人? 私が、あの王子の?
私は、絶句した。これは、ゲームにはなかった展開だ。私が彼の破滅フラグを回避し、歴史を変えてしまったことで、全く新しい、未知のシナリオが発生してしまったのだ。私の「チート」であるゲーム知識が、初めて通用しない局面だった。
リアム様もまた、その眉間に深い皺を刻んでいる。これは、下手をすれば、王太子を傀儡にしようとしていると見なされかねない、危険な役回りだ。
私たちは、一度、バルコニーへと下がって二人きりになった。
「お断りするべきだ。我々にとって、何の利益もない」
リアム様は、即座に切り捨てた。
だが、私は違った。もう、私の胸にあるのは、彼への個人的な恨みではない。
「いいえ、リアム様。お受けするべきですわ」
私は、冷静に彼を見つめ返した。
「もし私たちが断れば、別の誰かが彼の後見人になります。それが、私たちの敵対勢力でないと、どうして言えましょう? ですが、私たちが後見人となれば、未来の国王を、私たちにとって最も望ましい、賢君へと導くことができるのです。これは、アルフレッド殿下のためではありません。私たちが手に入れたこの国の平和を、未来永劫守るための、最も確実な布石ですわ」
それは、もはや「推しを救う」という個人的な願望を超えた、国家の未来を見据えた、宰相の妻(仮)としての視点だった。
私の言葉に、リアム様は目を見開いた。彼は、私の顔をじっと見つめ、やがて、深い感嘆のため息を漏らした。
「……君の視野は、時折、私さえも超えるな」
彼は、私の手を取った。
「よかろう。君の献策、採用する」
私たちは、国王陛下の元へと戻り、その大役を、謹んでお受けした。
リアム様が、私の耳元で、悪戯っぽく囁く。
「我々の『契約』内容が、また一つ増えたな」
「ええ、左様ですわね」
私も、笑って応えた。
「契約項目、『未来の国王育成』、と」
偽りの婚約から始まった私たちの関係は、今や、この国の未来そのものを創造する、本物のパートナーシップへと変わろうとしていた。私たちの前には、ゲームのシナリオにはない、全く新しい、そして、やりがいに満ちた挑戦が待っているのだった。