第十話:氷の宰相の晩餐会
リアム様とトリスタン将軍夫妻との晩餐会は、緊張のうちに始まった。
将軍は、リアム様の幼馴染らしく、気さくに彼に話しかけている。だが、その隣で私に向けられる視線には、明らかに「友人の将来を心配する」色が混じっていた。まあ、そうでしょうとも。いきなり王太子に婚約破棄された女と、電撃的に婚約したのだから。
その妻であるセリーヌ様もまた、穏やかな笑みの裏で、私という人間を静かに値踏みしているのがわかった。
リアム様に至っては、ホスト役だというのに、気の利いた世間話の一つもできず、書斎にいる時と同じように、ただ黙ってスープを口に運んでいる。このままでは、せっかくの晩餐会が、ただの気まずい食事会で終わってしまう。
(……仕方ありませんわね!)
私は、心の中でため息をつくと、優雅な女主人の仮面をかぶった。
「セリーヌ様、お庭で育てていらっしゃると伺いました、新品種の『月光の涙』という薔薇。その花弁の青みがかった白さは、まさに芸術品ですわね」
私の言葉に、セリーヌ様の目が驚きに見開かれた。彼女が薔薇の育成に情熱を注いでいること、そして、最近、品評会で賞を取ったばかりだということも、もちろんゲームのキャラクター設定で予習済みだ。
「まあ、エレノア様! ご存じでしたの?」
「ええ、あまりの美しさに、わたくし、すっかり魅了されてしまいましたのよ」
これをきっかけに、私とセリーヌ様の会話は、面白いように弾んだ。次に、私は実直な軍人であるトリスタン将軍へと向き直る。
「将軍。わたくし、近頃、建国英雄譚を読み返しておりまして。かの有名な『鷲ノ巣谷の戦い』について、専門家である将軍のご意見を、ぜひお伺いしたいのですが」
政治や経済の話には興味を示さない彼が、こと軍事史、特に英雄たちの物語には目がないことを、私は知っている。案の定、将軍は「ほう!」と身を乗り出し、その戦術の巧みさについて、生き生きと語り始めた。
私は、ただ知識を披露したのではない。相手が最も心地よく話せる話題を提供し、心からの敬意をもって、その話に耳を傾けた。
リアム様は、そんな私の様子を、驚きと、そして次第に感心の入り混じった表情で眺めていた。彼が苦手とする「接待」を、私が完璧にこなしている。私が、彼の敵だけでなく、彼の味方をも「攻略」していることに、彼は気づき始めていた。
晩餐会が和やかな雰囲気のまま終わり、将軍夫妻が帰る間際だった。トリスタン将軍は、リアム様の肩を力強く叩いた。
「リアム。正直に言うと、君の婚約の話を聞いた時、心配した。だが……エレノア様は、素晴らしい女性だな。聡明で、心優しく、そして、何より君を……そうだな、ただの氷の塊ではなく、人間に見せてくれるようだ」
彼は悪戯っぽく笑う。
「彼女を、大切にしろよ、親友」
それは、敵の陰謀が入り込む隙もないほどの、固い信頼の言葉だった。破滅フラグは、芽を出す前に、完全に摘み取られたのだ。
客人が帰り、静寂が戻った客間で、私とリアム様は二人きりになった。
「……見事な手腕だった」
彼の声には、初めて聞く、素直な賞賛の色が乗っていた。
「あなたの、大切なご友人に、本当のあなたを知っていただきたかっただけですわ」
私がそう答えると、彼はしばらく黙って私を見つめ、そして、ゆっくりと私の手を取った。
「エレノア……ありがとう」
その言葉は、どんな甘い囁きよりも、私の心を揺さぶった。彼が、私に、個人的なことで感謝を告げたのは、これが初めてだった。
そして、リアム様は、私の手を取り、その甲に、騎士が主に捧げるように、静かに唇を寄せた。
それは、形式的で、紳士的な、ほんの短いキス。
だが、私たちの「契約」という名の氷を溶かすには、十分すぎるほどの熱を持っていた。
私の頬が、カッと熱くなる。二人の関係が、また一つ、計算外の甘いステージへと進んだ夜だった。