く話「食い扶持」
清吉は五男坊であった。
二つ下には末娘の千代がおり、清吉は千代をとても可愛がっていた。
「にぃ、にーぃ」
まだ言葉も覚束ない千代は、いつでもどこでも清吉の後をついて回る。
その姿は誰の目に見ても微笑ましく、親兄弟は勿論、近所の村人達ですら農業の手を休めて見に来る程であった。
「ちよ、こっちこっち!」
「まって、にぃ、まってー」
ヨチヨチと懸命に歩くが可愛くて、清吉はよく野を駆け回っては千代が追いつくのを待った。
「にぃ、まってぇ!」
「しょうがないなぁ、ちよは」
そう言いながらも、清吉は必ず千代が追いつくのを待つ。
寄ってくる様を見るのが好きだったし、何より千代は一人になるのを何よりも嫌がる、怖がりで泣き虫だったからだ。
「にぃ、ちかまえた!」
「わぁ、つかまった!」
二人は家族の迎えが来るまで遊んで過ごし、夜は千代が怖がらないようくっついて過ごした。
親兄弟は皆、「よくもまぁ飽きないものだ」と呆れながらも笑うのが常であった。
そんな日々から一転、ある時期から家族の表情が曇り始める。
その理由が何なのか、清吉にはまるで分からない。
ただ、一日二回だった飯の時間が一回になった事だけが不満だった。
「にぃ、おなかへったー」
「おかぁ、おらもおなかへったー」
訴えても訴えても、家族は皆忙しそうで話を聞いてくれない。
清吉は野山で果実や木の実を見つけては千代と分け合って飢えを凌ぐようになる。
しかし見つかる食料は日に日に減っていく。
分け合う物は野草に代わり、ついには何も見つからなくなってしまう。
ほとほと困り果てた頃、父親が清吉に問いかけてきた。
「もっと飯が食いたいか」
「うん!」
「そうか」
それだけ話すと、父親は日が暮れているにも関わらず出掛けてしまった。
その事に関して母は何も言わない。
代わりに「千代が咳をしているから」と清吉から離れた所で寝てしまった。
「隣に千代がいない」という言葉にし難い不馴れさを感じつつも、清吉は一番上の兄の隣でいつしか眠りについた。
それからどれほど時間が経ったか──
ふと目覚めた清吉は、まず隣に千代がいない事に驚き、次に兄がいない事に動揺した。
そしてふいに鳴った物音に肩を跳ねさせ、こんな夜更けに何事だろうと首を傾げる。
もぞもぞと母親の元へ這う清吉だったが、そこに居る筈の母と千代の姿もない。
用足しにでも行ったのかと思った清吉が咄嗟に案じたのは、千代の事であった。
こんな真っ暗な中では千代が泣いてしまう、と。
だが千代の泣き声は聞こえない。
父親はまだ帰っていないらしく、聞こえるのは他の兄達の静かな寝息と家の裏から聞こえる微かな物音だけだった。
外に千代がいるかもしれない。
まさか声も出ない程怯えているのでは──と、清吉は履物も履かずに外へと飛び出した。
月明りを頼りに家の裏に回れば、林の方に一つ、灯りが見えた。
あれは人魂か化け物か。
清吉は悲鳴を上げそうになるのをぐっと堪える。
男の自分が母や千代を助けにいかねばなるまいと思い直し、そろそろと灯りの方へ歩み寄った。
枯れた草木に身を潜ませ、清吉はどうにか灯りの元に辿り着く。
そこには数人の村人が立っており、中には清吉の両親と一番上の兄もいた。
誰も言葉は発さず、ザクザクと穴を掘る音だけが辺りに響いている。
大人達の異様な雰囲気に呑まれた清吉は出ていく事が出来ない。
しばらく息を殺していると、大人達は菰に包まれた何かを穴に投げ入れ始めた。
ドサッ、ドサリと重量感のある音が二度、三度と続く。
何の音かと不思議に思っていると、次に投げ入れられる菰の端から茶色い着物の裾と小さな足が見えた。
あっと思う暇もない。
四度目の落下音と共に、清吉は「にぃ」という聞き慣れた声を耳にした。
大人達の動きが一瞬止まり、誰かが「ありえん」と呟く。
しかしすぐにザッザッと土を被せる音が聞こえたのを最後に、清吉の意識は途絶えたのだった。
「あそこのおっちゃん、清吉っつったっけ? アイツ変わってるよなぁ」
「あぁ、嫁もとらずに畑仕事の暇を見つけては取り憑かれたように穴掘ってる変わり者だろ?」
「そうそう、この前理由を聞いたんだけどな。『分からない、でも呼ばれてる気がするから』……だってよ」
「ひぇぇ、山の化け物に魅入られちまったのかもな。怖ぇ怖ぇ」
村の林からは今もまだ、ザクザクと穴を掘る音が聞こえている。